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日本ヴァレリー研究会ブログ Le vent se lève
ヴァレリーやマラルメ、サンボリストにとどまらず、文学一般、哲学・音楽・美術・映画から世界の姿まで、古き問題と最新の話題をめぐり多様な人々が集う場…... 風よ立て!……
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エリック・ロメール映画における編集に関する覚書——『モードの家での一夜』と『緑の光線』にみるストーリーテリング / 正清健介
1.「モードの家での一夜」のシーン エリック・ロメール監督『モードの家での一夜 [1] Ma nuit chez Maud 』(1969)は、最初25分を過ぎたあたりから、ある長いシーンが始まる。それは、フランス中部の山岳都市クレルモン=フェランに引っ越してきたばかりの主人公〈僕〉(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、クリスマスの夜、旧友のヴィダル(アントワーヌ・ヴィッテ)に連れられて、ヴィダルの女友達モード(フランソワーズ・ファビアン)の家を訪れるシーン(25:37-1:06:25)である。ヴィダル曰く「とても美しい女性」であるモードは離婚しており、ヴィダルとは友人関係にある。ただ、ふたりは肉体関係にもある。ヴィダルは、そんな友達以上恋人未満とも言えるモードを、どうしても〈僕〉に紹介したいらしく、その夜、半ば無理やり〈僕〉をモードの家へ連れて行く。本シーンは、その夜のモードの家での出来事を描くシーンである。そんなまさに作品タイトルにもなっている「モードの家での一夜」のシーンと言ってよい本シーンは、約40分間もの持続を持ち、本作品の中核をなすシ
11月6日読了時間: 36分
大出敦『余白の形而上学──ポール・クローデルと日本思想』(水声社、2025年)/ 黒木朋興
「余白の形而上学」というタイトルの中の「余白」という言葉、あるいは「虚無」「空白」「無」「沈黙」などとも言い換えが可能だ。この概念はマラルメを師と仰ぐ象徴主義以降の文学、及び前衛芸術運動において重要視されてきた。理論的・美学的な核と言っても良い。大出氏のこの著作は、マラルメ...
9月23日読了時間: 15分
柴田秀樹『ミシェル・フーコー 自己変容としての文学』(青土社、2025年)/ 坂本尚志
ミシェル・フーコーは「哲学者」である。2026年に生誕100周年を迎えるこの思想家について今こう形容しても、さほど違和感はないのかもしれない。しかし、フーコー自身が「自分自身は哲学者ではない」(「批判とは何か」)と述べているように、彼が「哲学者」であるというのはそれほど自明...
8月29日読了時間: 10分
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