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日本ヴァレリー研究会ブログ Le vent se lève
ヴァレリーやマラルメ、サンボリストにとどまらず、文学一般、哲学・音楽・美術・映画から世界の姿まで、古き問題と最新の話題をめぐり多様な人々が集う場…... 風よ立て!……
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サント゠ブーヴ『サント゠ブーヴ評論選』(池田潤/松村博史編訳、幻戯書房、2026年)/ 小倉孝誠
日本におけるフランス文学研究の分野では、多くの研究者に恵まれてきた、そして現在も恵まれている作家や流派がある一方で、フランスでは評価が高く、研究の蓄積も大きいのに、日本人がほとんど関心を示してこなかった作家、したがってほとんど翻訳されたこともない作家がいる。前者の例としてはプルーストがそうであり、またボードレールからランボー、マラルメを経てヴァレリーにいたる広義の象徴主義の系譜がそうだろう。後者の例として評者(小倉)に思い浮かぶのは、たとえばシャトーブリアンである。『ルネ』、『アタラ』はかつて邦訳されたことがあるが、あのレヴィ=ストロースが「フランス語で書かれた最も美しい散文」と讃えた『墓の彼方からの回想』をはじめ、彼の主要作品はどれも、ごく部分的な抜粋を除いて、残念ながらまったく訳されたことがない。 もちろん、日本人のフランス文学研究は本国フランスに同調する必要はない。どのような流派、作家、作品が愛好されるかは国民性にも由来するだろうし、究極的には研究者個人の趣味の問題に帰着するだろう。それはフランス文学にかぎらず、およそいかなる外国文学の受
8月28日読了時間: 17分
ジャック・ランシエール『美学における居心地の悪さ』(松葉祥一/椎名亮輔訳、インスクリプト、2025年)/ 関大聡
たとえば存命のフランス人哲学者でBIG3を考えるとしたら、ジャック・ランシエール、アラン・バディウ、エチエンヌ・バリバールあたりが有力候補になるのではないか。そう言っていいほどランシエールは今日、大きな存在感を示している。日本語に訳された書物も多く、本書『美学における居心地の悪さ』は、単著で言うと15冊目になるはずだ。 邦訳書を中心にその知的遍歴を振り返ってみよう。彼自身が語る遍歴に関心のある向きは対談形式の『平等の方法』を参照されたい。もともとランシエールは60年代に光芒を放ったアルチュセール派の近傍にいたが、その批判者として頭角をあらわす(『アルチュセールの教え』)。そこから知識人と労働者の出会い/損ないを批判的に分析することで民衆の能力や平等、そして民主主義の可能性について独自の理解を築いた(『哲学者とその貧者たち』、『無知な教師』)。政治を、共同体の内部に「不和」が発生する場として捉え返す議論で、90年代の政治哲学をめぐる論争に切り込み(『不和』)、現代に蔓延する民主主義への不信に対抗する強力な拠り所になった(『民主主義への憎悪』)。他
8月13日読了時間: 27分
平野啓一郎『「カッコいい」とは何か』(講談社現代新書、2019年) / 小倉康寛
戦後日本の空白とジャズの受容 1.はじめに 本書は、1970年代から今日に至るまで、日本人にとって顕著な審美判断であり続けている「カッコいい」という観念を考察する文化批評である。そこから浮かび上がるのは、戦後の日本人たちが、文化的な空白に対峙し、ジャズをひとつのモデルとした美意識によって余白を埋め、新しい文化を生み出してきたという構図である。こうしたテーマ設定の根底には、西欧の個人主義との対比が潜んでいる。10章で構成され、新書で477ページにわたる本書は大部であり、議論も多岐にわたるため、簡潔に示そうとすれば単純化は避けられない。そこで、まずは全体の枠組みの要所を読むことにしたい。 ヨーロッパは市民社会の成立によって、ブルジョワたちの個人主義とそれに基づく趣味判断の多様性を是認した。その時、問題とされたのは、芸術の「美」であった。他方、戦後は、その個人主義が、ロックに象徴される新しい文化を中心に、労働者階級の若者たちを主役として再燃することとなる。それが、大西洋を横断しながら爆発的なブームを巻き起こしていく。敗戦によって、天皇に一元化された総
5月15日読了時間: 19分
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