柴田秀樹『ミシェル・フーコー 自己変容としての文学』(青土社、2025年)/ 坂本尚志
- 日本ヴァレリー研究会
- 8月29日
- 読了時間: 10分
更新日:9月23日
ミシェル・フーコーは「哲学者」である。2026年に生誕100周年を迎えるこの思想家について今こう形容しても、さほど違和感はないのかもしれない。しかし、フーコー自身が「自分自身は哲学者ではない」(「批判とは何か」)と述べているように、彼が「哲学者」であるというのはそれほど自明なことではない。
1986年、フーコーの没後2年が経とうとする頃に、「哲学者ミシェル・フーコー」という大規模な国際シンポジウムが開催された(Collectif, 1989)。主導したのはフーコーの師のひとりであるジョルジュ・カンギレムであった。シンポジウムのタイトルは、フーコーという、複雑でとらえどころのない思想家を、敢えて「哲学者」として読み解いてみようという意図を明確に示している。言い換えれば、彼が「哲学者」であることは、80年代はいまだ自明ではなかったのである。
しかし、その後状況は劇的に変化した。1984年の早すぎた死の後も、フーコーのテクストはさまざまな形で世に問われてきた。彼が生前に出版を許可したテクスト群を集めたDits et écrits(邦訳『ミシェル・フーコー思考集成』)の1994年における刊行、そして1997年に始まり2015年に完結したコレージュ・ド・フランス講義の編纂は、フーコーのコーパスの質・量を劇的に増やすものであった。
2015年には主要著作がプレイヤード叢書に収録され、ある意味ではフーコーは「体制」の中に組み込まれた「権威ある」著者となった。その後も、フランス国立図書館に収蔵された草稿から発見された講義ノートや論文の計画書など、多種多様なテクストが続々と刊行されている。たとえば、ヘーゲルを扱った彼の1949年の修士論文や、「現象学と心理学」と題された幻の博士論文の計画書、あるいは『言葉と物』の内容に基づくサンパウロ大学での講義録、はたまた『性の歴史』の幻の続刊『両性具有者たち』などによって、フーコーの知られざる側面が次々に明らかになっている。
こうした草稿の読解と編集は、主に哲学者たちが担っている。哲学あるいは哲学史を扱っているものが多い草稿の内容からすれば、それは決して奇妙なことではない。没後40年以上が経過して、「哲学者ミシェル・フーコー」という形容はそれほど違和感なく受け入れられるものになった。あたかも哲学という「体制」が、フーコーという異端の著者をその内部に組み込み、ふさわしい場所を与えたかのようである。
しかし、それでよいのか。柴田秀樹氏が本書『ミシェル・フーコー 自己変容としての文学』で提起する問いは、フーコーを哲学の枠へと押し込めることに対する異議申し立てであるように思われる。フーコーの仕事は、哲学、歴史学、文学といった多様な領域を横断しつつ、古代から現代までのさまざまな時代区分の中で、狂気、病、セクシュアリテ、監獄といったさまざまな対象の哲学的-歴史的考察を展開してきた。1980年のフーコーの対談「覆面の哲学者」を出発点に、柴田氏はフーコーがいくつかの「覆面」をまとっていること、そして哲学者の「覆面」は決して彼の「素顔」ではないことを指摘している。フランスにおける初めてのフーコーに関する博士論文の著者ベアトリス・アンの研究(Han 1998)に対して柴田氏が行う指摘は、本書の議論の基盤をなすある種の「憤り」を表しているように思われる。
フーコーが「覆面の哲学者」である以上、「哲学者」がフーコーの「素顔」である保証など、どこに存在するというのか。そしてさらに問題であるのは、アンが「哲学者」こそフーコーの素顔であると信じ込むがゆえに、彼の覆面のひとつをほとんど完全なまでに見落としていることである。すなわち、「文学」である。文学に熱狂し、文学を論じるフーコー、いうなれば「文学批評家」としてのフーコーである。(14ページ)
哲学によるフーコーの「占有」に対して、「文学批評家」としてのフーコー像を突きつけること、あるいは、「文学批評家」の「覆面」を被ったフーコーの姿を描き出すこと、それによってフーコーの思想に新たな光を当てること、これが本書の大きな目的のひとつであると言えるだろう。
さらに、フーコーと文学の関係において、柴田氏はもう一つの異議申し立てを行っている。「文学批評家」としてのフーコーの活動は、これまでは主に1960年代に活発であったと理解されてきた。1970年代に入り、権力論や政治哲学へとその関心を移していったフーコーにとっては、文学はもはや特権的な思想の場ではなくなったという主張は、たとえば現代フランスを代表するフーコー研究者のひとりであるジュディット・ルヴェルによって支持されている(Revel 2010)。
たしかに、ブランショ、バタイユ、クロソウスキー、ルーセルといった文学者たちについての壮麗な文体による論考が次々に世に問われていた1960年代に比べると、1970年代以降のフーコーは文学自体から遠ざかったように思われる。
しかし、こうしたフーコーと文学の距離の問題は、文学という定義の変容を見逃していると柴田氏は指摘する。柴田氏によれば、1960年代において文学に見いだされていた特質は、1970年代においては別種のテクストの中にも見いだされ、晩年には「自己変容」をもたらすフィクションへと至る。このように考えるならば、フーコーの思想においては「文学」という概念の定義自体が変容しており、その変容を見落とし、「文学」に対するいわば硬直した視点を持った場合にしか、「フーコーは文学と決別した」と拙速に結論づけることはできないだろう。
では、フーコーはいかなる文学的テクストを読み、分析し、その過程において自己自身も変容していったのだろうか。本書の構成は、そうしたフーコーの変容の軌跡をたどることを可能にしている。
第一部「言語そのもののほうへ―60年代文学論」では、表題が示すように1960年代のフーコーにおける文学論が扱われている。第一章「書物、図書館、アルシーヴ—フーコー文学論の問題圏」は、書物、図書館、アルシーヴという3つの概念によって、60年代におけるフーコーの文学論を、明瞭な見取り図のもとに描き出している。それに対して、第二章「語るのは語それ自体である—鏡としてのマラルメ」、第三章「模倣としての翻訳、侵犯としての翻訳—クロソウスキーの波紋」は、それぞれマラルメと翻訳という、フーコーの文学論の中ではそれほど中心的なものとして取り上げられなかったテーマを扱い、60年代の文学論の諸相を鮮やかに切り取っている。第四章「フーコーはいかにしてレーモン・ルーセルを読んだか」では、フーコーの文学論の中で唯一の著作である『レーモン・ルーセル』を、フーコーが「いかにして」それを書いたか、そしていかなる意味で「個人的な」著作であるかという視点から読み解いている。
第二部「自己の変容、文学の変容—70年代以降の文学論」では、文学論の「不在」として先行研究で語られてきたこの時期のフーコーに、文学に関する思想を見出すことが目的とされている。第5章「微粒子たちの軌跡—境界線上の「ヌーヴェル」」では、絶対王政時代の封印状についての小論「汚辱に塗れた人々の生」の読解を通じて、70年代のフーコーにおける文学的なものの転回と権力論との関係を提示する。第6章「真理の劇場—フーコーと「演劇」」においては、60年代においては「反-文学」とフーコーによって見なされていた演劇が、70年代においては哲学との関連を見出され、80年代には権力への抵抗の一様態として重要性を獲得していく過程が描かれる。そこで演劇は文学とは重なり合わないものの、決して無関係ではない、フーコーの思想の変遷を映し出す一種の鏡としての役割を与えられている。第7章「文学と自己変容—「経験」としてのフィクション」は、80年代のフーコーにおいて書くことが自己変容へと結びつけられていること、それが文学とは異なるものでありながらも類似したものであることが確認される。その意味で文学は、フーコーの晩年に至るまでその思想に付き従っているのである。
以上のような議論を経て、柴田氏は結論において特に1970年代以降のフーコーの軌跡をこう総括する。
ひとたびは「文学」への失望を語ったフーコーは、それでもなお晩年に至るまで「文学」の可能性をかつてとは別の形で模索していたのである。絶えず自己変容を続け、その思考の対象であった「文学」の定義もまた変容させながら、フーコーは常に文学と「ともに」思考していたのだ。ここに、「文学批評家」としてのフーコーと、その文学論の特異性——「本質」——を見出すことができるだろう。(211ページ)
これまで文学との関係で語られることがそれほど多くなかった1970年代以降のフーコーの思想が、1960年代とは異なる形で文学との接点を持ち続けていたことが明らかにされ、本書は結論へと至る。京都大学に提出された博士論文を元に執筆された本書がここでその議論を終えたとしても、学術書としては何の問題もないだろう。しかしこの結論はあくまで「一応」のものである。
このアカデミックな作法に則った結論の直後から、本書は異なる展開を見せる。柴田氏は「親愛なる読者」の声を聴き、その匿名の読者との対話を始めるのである。この対話は、『知の考古学』の序論や結論、『レーモン・ルーセル』の第8章、『狂気の歴史』1972年版の序文に見られるような、フーコー自身が試みた形式へのオマージュであろう。『知の考古学』結論では、それまでの方法論的議論とは一変して、考古学をめぐる匿名の批判とそれに対するフーコーらしき著者の応答が繰り広げられる。本書もまた、フーコーに倣うかのように、それまでとはまったく異質な対話篇を開始する。
この突如として現れた読者は手厳しい。「文学批評家」としてのフーコー像を提示する本書の試みに難癖をつけ、柴田氏が重視する「自己変容としての文学」という晩年のフーコーの主張が「凡庸」で「何の変哲もない」と断じる。そうした難詰に対して弁明する柴田氏(あるいはその分身)に対して、「あなたは何の話をしているのですか」と言い放つ。
それに触発されたのか、柴田氏は「SNS上に日々刻々と排出される、あの膨大な言葉の集塊」を引き合いに出し、それらの大半が「ゴミのようなもの」であり、「汚物の垂れ流しに等しい」と断じる(217-218ページ)。とはいえ、その中に「フーコーが、そして彼のみならず人々がかつて「文学」に期待していたような、力に満ちた言葉が潜んでいる」ことが宣言される(219ページ)。フーコーにおける「文学」の地位、そしてその定義の変容は、ここで柴田氏自身の関心へと引き寄せられる。それはあたかも、フーコー的な仕草を通して、博士論文というきわめて制度的な文章を、そこから引きはがし、私的な領域へと連れ出そうという試みのようにも思われる。この脱線によって、柴田氏の著作は単なる「博論本」から「作品」へと変容を遂げているのではないだろうか(「あとがき」もまた「博論本」への毒が書き連ねられていて愉しい)。
とはいえ、本書は一つの「作品」として完結してしまってはいけないようにも思われる。一つの書物が閉じられるとき、そこには必然的に新たな問いが提起される。本書も例外ではない。冒頭で柴田氏は、フーコーがいくつかの「覆面」をまとっていることを指摘した上で、「文学批評家」フーコーに焦点を当てることを宣言している。では、「文学批評家」の覆面と、それ以外の覆面とはどのような関係にあるのだろうか。つまり、「文学批評家」フーコーと、「哲学者」、「歴史家」、「活動家」の覆面をまとったフーコーとはどのような関係にあるのだろうか。彼の「素顔」を見極めることは不毛な作業であるにしても、複数の覆面の間の関係について考えることは有益ではないだろうか。
おそらく、こうした覆面の交錯は、『狂気の歴史』、『監獄の誕生』、『性の歴史』等の主要な著作にはっきりと見られるだろう。本書において柴田氏は、「文学批評家」フーコーの姿を明確に描き出すために、あえて主要な著作をその分析から外していたように思われる。その選択はある意味では正しい。なぜなら、フーコーの著作は、いわば哲学者フーコーと文学批評家フーコー、そして歴史家フーコーの交錯する地点で書かれたものだからであり、文学批評家としての側面だけを取り出して論じることは非常に困難に思われるからである。
とはいえ、本書の議論を踏まえるならば、主要著作におけるこうした覆面の交錯についてもある程度の見通しを与えることができるだろう。たとえば、『狂気の歴史』におけるディドロや、『言葉と物』におけるセルバンテスなど、フーコーの歴史叙述の中で象徴的な意味を与えられている文学的テクストがいかに機能しているか、あるいは、『監視と処罰』において文学的なものがどのような様態において権力の諸関係の中にあるのかなど、論じるべき問いは多い。さらには、「文学」と「哲学」の関係についても、ピエール・マシュレやフィリップ・サボが試みたような「哲学」の側からではなく、「文学」の側からアプローチすることが可能なのではないだろうか。こうした問いが想起されるという意味でも、本書は豊かな可能性を示しているものであると言えるだろう。
参考文献
Collectif (1989), Michel Foucault philosophe : Rencontre internationale, Paris, 9, 10, 11 janvier 1988, Seuil.
Béatrice, Han (1998), L'Ontologie manquée de Michel Foucault : entre l'historique et le transcendantal, J. Million.
Judith, Revel (2010), Foucault, une pensée du discontinu, Mille et une nuits.
![]() |