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大出敦『余白の形而上学──ポール・クローデルと日本思想』(水声社、2025年)/ 黒木朋興

  • 日本ヴァレリー研究会
  • 9月23日
  • 読了時間: 15分

 「余白の形而上学」というタイトルの中の「余白」という言葉、あるいは「虚無」「空白」「無」「沈黙」などとも言い換えが可能だ。この概念はマラルメを師と仰ぐ象徴主義以降の文学、及び前衛芸術運動において重要視されてきた。理論的・美学的な核と言っても良い。大出氏のこの著作は、マラルメからクローデルに受け継がれてきたこの「虚無」とは何かについて、19世紀当時おけるヨーロッパの仏教理解やフランスのヘーゲル受容といった背景から、クローデルが駐日大使として滞在した日本の仏教、神道や道教などの宗教文化、能や文楽などの演劇文化や俳句などの詩文化からの影響にいたるまで詳細に調査を行い見取り図を描くと同時に詳述した力作である。

 最初に、大出氏は私にとって長らくマラルメ研究会で活動を共にしてきた同志であることを言っておく。竹内信夫先生の薫陶を受け実証的な研究を目指している点でも、カトリック神学と象徴主義との関係を追い続けている点でも志を共にしている。もちろん、大出氏も私もキリスト教徒ではない。実証的な研究の必要性から、西洋文化の基盤となっているカトリックの信仰のあり方に関心を抱いているのだ。

 「虚無」とか「空白」というのは実に厄介な概念である。なぜなら、何もないということは何色にでも染められるということであり、読み手の側が自分勝手に自分の解釈をこの「空白」に投影できてしまうからである。実際、20世紀の文学・芸術はマラルメ以降の「虚無」を援用し、自らの理論を展開させていった。唯物論、無神論や非ミーメーシスの表現を目指す文学者や芸術家はマラルメの詩学の庇護下で独自の理論を構築していった。例えば、フランスではポール・ヴァレリーがマラルメの詩学を発展させ20世紀の文学の主要な流れを作っていったし、やがてモーリス・ブランショやジャン=ポール・サルトルなどを経てこの「虚無」の理論は、芸術作品であるオブジェ=<もの>は何かの表現や隠喩と解するべきではなくその物質としてのファルムそのものを鑑賞するべき、という前衛芸術理論を産み出す根拠ともなった。また日本では、禅の思想とマラルメの「虚無」を結びつけ、作曲家のジョン・ケージなどを援用しつつ、黙ることによってしか示すことのできない表現こそが、マラルメの詩学の真髄であると信じる者も少なくない。

 しかし、マラルメの「虚無」は決して、読み手の側が好きに自分の思想を投影できてしまう無色透明の「何もない」状態のことを指すわけではない。フランスではベルトラン・マルシャル氏、日本では竹内信夫先生が主導してきたここ30年くらいの実証志向のマラルメ研究は、20世紀に解釈されてきたマラルメではなく19世紀末当時の文脈からマラルメの姿を再構成することに努めてきた。2023年に初来日を果たしたマルシャル氏は改めてヴァレリー、ブランショやサルトルによるマラルメではなく、19世紀末のマラルメを理解することの大切さを強調しておられた。

 大出氏の功績の一つは、マラルメの「虚無」を、19世紀末フランスにおけるヘーゲル受容や仏教理解といった背景を調べ上げた上で詳述したことだ。例えば、大出氏は「無とは、何もない空の状態ではなく、あらゆるものが可能性として潜在し、それがゆえにまだ何ものとも規定されない状態であるため、それを論理学的に敢えて表現しようとすると、無としてしか表現できない。マラルメは、ヘーゲル同様、事物の本質は無規定な無であると捉え、直接は認識不可能なものと考えている。つまり本質なるものはあらゆる可能性を内包しているが、特定・限定できないので、『これこれのもの』と名指すことができず、無でしかないのである」と書く。

 大出氏は19世紀末フランスにおける「虚無」を解明するためにヘーゲルの仏教理解、更にはフランスにおけるヘーゲルの受容理解状況を丹念に調べ上げている。仏教は19世紀のヨーロッパにおいて、霊的実体があること、つまり神が存在すること、を否定する退廃的で危険な教えだとされていたという。多くの日本人にとって「あの世」や「彼岸」とは魑魅魍魎が跋扈するいかがわしい世界かもしれない。しかし、キリスト教の世界観では、霊界=形而上とは神=創造主がいる世界であり、理路整然とした理性的な世界であることに注意したい。キリスト教の神とは理性的存在であることを確認しておこう。また、この世=物質界にあるものは不完全であるのに対し、神の国にあるものは完全であることも言い添えておく。

 当時のヨーロッパ人たちが理解した仏教の「虚無」とは、霊界の実存がない、という思想であり、それは神だけではなく形而上そのものがないということを意味し、完全な存在、理想や生そのものを否定する退廃的で危険な思想と思われていたのである。対して、1860年代になるとヘーゲルの哲学と結びつく形で仏教思想がフランスに流入し、アンリ・カザリスやウージェーヌ・ルフェビュールなどヘーゲルに関心を抱いた友人たちの影響でマラルメもこの「虚無」に言及している。新しい詩学の構築を目論んでいた彼らは、既成の世界観を否定する「虚無」の思想に共感していたのだろう。この「虚無」の発見は、20世紀に入ると、マラルメを起源とする象徴主義という文学運動として発展し、やがてマルクスの唯物論と結びつけられつつ、様々な文学者や芸術家に影響を及ぼしていったことは改めて指摘するまでもないだろう。

 もちろん、この時代におけるヘーゲル理解は『小論理学』など一部の著作を通しての理解に過ぎず、本格的なヘーゲルの研究と翻訳がフランスにおいて始まるのは20世紀を待たなければならなかった。もちろん、ヘーゲルの仏教理解も正確とは言い難く、自らの形而上学を仏教の「虚無」に投影したものに過ぎない。すなわちその「虚無」とは、上の引用にあるように、神の国=霊界=形而上にあるものが現世の言葉や概念で表される以前の何ものともつかぬ混沌とした状態を指す。

 今までにない革新的な詩学を目指したマラルメと違って、カトリックへの信仰へと舵を切ったクローデルは仏教を危険思想と見做している。そのクローデルが、仏教色の濃い日本文化触れて自らの信仰と通底する何かを感じてしまうのはいかにも興味深い。詩人は日本だけではなく中国にも大使館員として居住しているのだが、なぜか中国の仏教文化には警戒心を崩さない。対して、日本の仏教には自身の信仰と通底する部分を見出し、共感を示すのである。

 これには、日本の仏教が中国の仏教と違って、儒教、道教や神道とが入り混じった教えになっていることが大きい。特に、クローデルはパリの国立東洋語学校日本語科初代教授のレオン・ド・ロニーの著書『道教』(1892)を読み、そこで語られている道教の「無」に、ヘーゲルが考えていたような、人によって概念化される以前の混沌状態に似た側面を見出し、キリスト教の神との間の共通点を感じていたと大出氏は言う。

 もちろん、道教と言えど元は中国思想である。更に、大出氏はクローデルが共感した日本文化として、能という舞台芸術を通して垣間見た平田篤胤の国学思想と文楽の観劇で発見した「ああ性」=「物のあはれ」といった本居宣長の美意識を議論の俎上に上げる。

 クローデルは能という日本の舞台芸術を気に入ったようで、観劇するだけではなく自身も『女と影』という能作品を創作し上演している。もちろん日本に滞在し、日光や京都の寺社仏閣を訪れたことがあるというだけで、日本語を解することのなかったクローデルが日本の精神文化を完璧に理解していたとは到底言い難い。それでも詩人は能舞台の幽霊のあり方に自らのカトリックへの信仰と共通する要素を見出す。死んだ人間の霊があの世ではなく、この世に現前するという平田篤胤の国学思想にカトリックの臨在を重ね合わせたのである。

 あの世とこの世という2つの領域を考えてみよう。キリスト教では神の住んでいるエデン=霊界というあの世と人間のいる現世という物質界という区分がある。日本でも死んだ人間が赴く天国や地獄といったあの世と生きた人間が生活しているこの世という区別が一般的だろう。対して、平田篤胤は霊は生きている人間の目には見えないだけで、我々のすぐ側、つまり現世にいるのだと考えた。クローデルはここにカトリックの臨在と同種の思想を感じ取る。ユダヤ教、キリスト教とイスラーム教といった啓典の宗教では、元来、神はエデン=霊界にいるのであるが、キリスト教では本来は霊的存在である神が肉体という物質も持った人間であるイエスとして現世に現れたことから、イエスという存在を通してあの世とこの世が交信し得るという神秘思想を発展させてきた。そして聖体拝領など司祭が執り行う儀式によって神を現実の存在として現世に出現せしめるというのが臨在の思想である。クローデルは能の上演の際に感じ取った霊に関する平田篤胤の思想にカトリックの臨在を垣間見たというわけなのだ。なお、カトリックに対して、プロテスタント諸派は臨在を敬遠する傾向があることを言添えておく。

 もちろん、平田篤胤の霊とカトリックの臨在は別の思想であり、クローデルは明らかに自分に都合の良いように日本の精神文化を解釈し、自らの思想を無理矢理当てはめている。だが、仏教を危険思想と見做し中国文化に関心を示さなかったクローデルが、中国と同じ仏教、儒教や道教の文化圏である日本の文化に惹かれたのは、この国学思想故のことであったのだ。

 更に、クローデルは文楽の舞台観劇を通して「物のあはれ」の理解を深めようと努める。詩人は「あはれ」の訳語として「ああ性」という言葉を造り出すのだが、この「ああ」とは文楽の三味線方の漏らす「おお!」と「ああ!」といった感嘆詞のことである。三味線方は意味のある分節言語を発することは許されておらず、自らの内から湧き上がる情動をただ呻いたり感嘆を上げるのみだ。クローデルはこの「ああ」に、言葉が分節化され確固とした概念となる以前の言語の原初的状態を見出す。まさに、マラルメが友人を介して到達したヘーゲルの「虚無」、つまり「あらゆるものが可能性として潜在し、それがゆえにまだ何ものとも規定されない状態」という考えを、クローデルはマラルメから受け継いでいるのだ。

 当然、クローデルが本居宣長が論じた「物のあはれ」を完全に理解しているとは言い難い。それどころか、詩人は勝手に自分の思想を日本の文化に投影しているに過ぎないとさえ言える。ただ、中国文化にはあまり関心を示さなかったクローデルが日本文化には共感の意を露わにしたということは、詩人が何かしらの日本文化の特徴を絶妙に掴み取っていたとは言えるだろう。

 実際、クローデルが中国文化にはなく日本文化にはある特徴を微妙にも感じ取っていたという事実からは、クローデルがカトリック保守の作家であることを考え合わせれば、日本の保守思想家がクローデルから少なからぬ影響を受け取ることになったのも十分に肯ける。日本が西洋文化を取り入れつつ自らのナショナリズムを立ち上げようと躍起になっていた時代に、クローデルが日本の文化や国学思想にヨーロッパの保守思想との類似を見出していたことを考えれば、彼の詩学がその後の日本の右翼思想に衝撃を及ぼしたのも自然な成り行きであったのだろう。

 このようなクローデルに関する著作は、クローデル研究のみならずマラルメ研究においても重要な価値を持つ。マラルメの詩学の影響を受けつつカトリックへの信仰を深めた詩人クローデルの詩学の軌跡を探ることは、20世紀において単なる前衛の始祖として祀り上げられてしまってきたマラルメ像の探究から抜け落ちてしまったものを補ってくれるからだ。

 それはカトリック神学とマラルメの詩学の関係である。例えば、サルトルは、マラルメをフランス文学のニーチェであると言った。すなわち「神の死」を通過した詩人ということだ。もちろんマラルメが1860年代の危機の時代にキリスト教の信仰を捨てたのは確かである。しかしだからと言って、そこにマルクス主義的な唯物論や無神論を当てはめるのは早計であろう。また、マラルメの「虚無」や「沈黙」の影響下、20世紀に前衛芸術の傑作が次々と創作されたのは事実であり、それ故、マラルメの詩学を前衛芸術の理論的起源とし、詩人に始祖としての姿を見てしまうのも自然な流れではある。この場合、ヴァレリーやブランショが援用されるのが基本であると言って良いだろう。だが、ここからはマラルメ本人の重要な側面が抜け落ちてしまう。

 マラルメが生きた19世紀末とはフランス社会において、自然科学の発展が宗教的迷信の闇を払い、第三共和政が起動しライシテ(政教分離)の原則が定着し、神中心の社会から人間中心の社会への移行が行われた時代である。この時代にキリスト教の信仰を捨て、詩学を宗教から切り離したマラルメはまさに世紀末を代表する詩人として持ち上げられることになる。20世紀に入ってからも、共和国での民主主義を支持するフランスの知識人や文人は脱宗教路線を取り、当然その思想の延長上でマラルメを論じた。フランスに留学し彼らの指導を受けた日本人研究者も前衛の旗手としてマラルメを位置付けることになる。そこではやはりキリスト教とマラルメの詩学の関係は無視されないまでも軽視されることになる。

 クローデルはと言えば、マラルメの薫陶を受けつつもカトリックの方へと舵を大きく切った人間である。実際、20世紀になるとジョルジュ・ベルナノスやジュリアン・グリーンなど、自然科学の発展の反動としてカトリックの信仰を逆に強く打ち出す文学運動が起こる。クローデルもこの流れの中に身を置いていたと言ってよく、ライシテ(政教分離)が進行する共和国社会を「唯物論の徒刑場」と見做し、時代に逆らって深い信仰の世界へと入っていった。この状況下、20世紀のフランスカトリック文学を対象とする研究者の多くは、自分たちの信仰の延長に研究を捉えていたと言っても良いだろう。もちろん、この20世紀のカトリック文学の流れは従来の信仰世界を保持するという意味での保守ではなく、勢いを増す自然科学主義と共和主義への反動としての信仰を反映しているものだろう。

 21世紀に入った日本のフランス文学研究の世界で、マラルメからクローデルという流れが重要なのは、今まで傍に置いておかれていたカトリック神学とマラルメ詩学の関係を浮き彫りにしてくれるからだ。20世紀の文学研究が、共和国の押し進めるライシテ(政教分離)の流れの中では宗教的側面をお座なりにしてしまうのは仕方のないことではあった。社会と時代の要請から研究は無縁であり続けることは不可能なのだ。特に信仰を捨てたマラルメのような詩人の研究では、宗教と距離を取ることが自然と求められるようになるのも決して責められるべきことではない。

 対して、ベルトラン・マルシャル氏や竹内信夫先生などが主導してきた研究は、上記のような旧来のヴァレリー、ブランショやサルトルが行ってきた解釈の延長上でマラルメを読むのではなく、19世紀末当時の文脈の中にマラルメを置いてテクストを読解してみるといった実証的な姿勢をとった。そこではそれぞれの研究者が現在では忘れ去られてしまった19世紀末当時の言語学、音楽学、哲学や宗教のテクストを調査し、それに詩人のテクストを並べて読解するという努力が続けられた。

 そこで我々が気づいたことの一つに、マラルメ詩学とカトリック神学の関係がある。マラルメは信仰を捨てたと言えど、カトリックが19世紀末まで勢力を誇っていたフランス社会で育ち教育を受けその後の人生を営んでいたのであるから、その影響から完全に自由になることは不可能である。『政務典礼』と日本語に訳された三部作のテクストを読んでみれば、マラルメの詩学がカトリック神学の理論的枠組みを使って構築されているのが分かる。特にこの三部作の中の『カトリシズム』というテクストでは、臨在と新しい詩学との関係が論じられている。すでに述べたように、臨在とは司祭が聖体拝領という儀式によって神を現実の存在としてその場に出現させることだが、信仰を捨てたマラルメによれば詩人は言葉を操ることによって<詩>を出現させるべき、とした。またマラルメは非表象の演劇上演のモデルとして、教会で行われるミサを挙げて議論を展開させてもいる。ベルトラン・マルシャル氏の主著『マラルメの宗教』もマラルメの詩学における宗教や神的な要素の重要性を射程に入れたものであることは改めて言うまでもないだろう。

 もちろん、ヴァレリーがマラルメを自分に合わせて解釈していたように、クローデルとマラルメの詩学も決して同一と言うわけではない。カトリックに改宗したクローデルがはっきりとマラルメに背を向けることを決意している以上、両者の溝は深いと言わざるを得ない。それでもクローデルがマラルメの影響を受けていたのは明らかであるし、何よりクローデルを読解することによって、マラルメの詩学とカトリック神学の関係という問題系を我々に意識させたという点が、マラルメからクローデルへという系譜を探る研究の意義なのだ。

 以上のように、大出氏のこの本がクローデル研究だけではなく、マラルメ研究にも重要であることが明らかになったように思う。たとえ、マラルメが信仰を捨てていたとしても、知的環境としてのカトリックは19世紀末のフランス社会ではまだまだ力を持っていたわけで、少なくとも20世紀に入ってからのマルクス主義的な唯物論や無神論を援用し、マラルメの「虚無」とは何もない空っぽの状態を指すと主張することの限界をこの業績ははっきりと示してくれている。

 まただからと言って、カトリックの信徒ではない大出氏は決して自らの信仰の延長にこの研究を置いているわけではない。たとえ無宗教を標榜する作家の研究と言えど、キリスト教文化を中心として歩んできたヨーロッパ出身ではない我々日本人が、知的環境としての神学を押さえておくのは大切なことだろう。むしろ信徒でもなく、ヨーロッパ人でもない我々こそが、研究の題材として神学を俎上に上げることの重要性を改めて示してくれているとも言える。

 19世紀のフランスに対するヘーゲルの哲学や仏教思想の受容状況、20世紀に入ってクローデルが日本で訪れた神社仏閣や詩人が観劇した舞台などを丹念に調べ上げ、日本におけるフランス文学研究の意味を再確認させてくれたこの著作は、衰退しつつある日本のフランス文学研究の世界における最後の大きな打ち上げ花火として研究史に足跡を残すことになるのは間違いない。

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余白の形而上学

ポール・クローデルと日本思想

大出敦 著


出版元:水声社 判型:A5判上製

頁数:391頁

定価:6000円+税

ISBN:978-4-8010-0847-2 C0098


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