声の交差点——エドゥアール・グリッサン『マホガニー——私の最期の時』書評 / 福島 亮



風の交差点で、数々のつぶやき声が書かれた記号にまとわりつき、

その記号は悲痛な行列となって木の実や羊皮紙のうえに並んでいる。

(『マホガニー——私の最期の時』)


この果てしない海のように吹きわたる風に一度は溺れてみるんだな……

(『第四世紀』)


0. はじめに


 『マホガニー——私の最期の時』(塚本昌則訳、水声社、2021年)は、エドゥアール・グリッサン(1928-2011年)の10冊目の邦訳書である[1]。2000年に刊行された『全−世界論』(恒川邦夫訳、みすず書房)と『〈関係〉の詩学』(管啓次郎訳、インスクリプト)がはじめて邦訳された著者の書物だったことを思い返すならば、約20年かけてグリッサンのテクストは日本語の世界に確実に根をおろし、枝葉を茂らせつつあるといえるだろう。浩瀚な『カリブ海序説』も近刊予定だという(原著1981年、星埜守之、塚本昌則、中村隆之訳、インスクリプト)。これだけの翻訳がなされるのは、グリッサンが深さ——底知れなさ——を有する書き手だからに違いない。

 詩人、小説家、劇作家、評論家、哲学者……グリッサンは、とある研究書の表題を借りるなら、「多様なる歌」の歌い手である。小説世界に焦点を絞ってみるならば、本書の登場によって、第一作『レザルド川』(原著1958年)から、『第四世紀』(1964年)、『憤死』(1975年)、『痕跡』(1981年)、そして本書(1987年)へと続く5つの小説作品が邦訳されたことになる。これはグリッサンが生涯書いた小説作品の大半が邦訳されたことを意味する[2]。各国語による翻訳状況を一瞥するなら、日本語訳の充実ぶりは突出している[3]。

 この歌い手に関心を持つ人びとにとって、本書『マホガニー』の刊行は大きな意味を持っている。すなわち、本書を通してよりはっきりと見えてくるグリッサンの世界観があると思うのだ。本書が小説の翻訳である以上、そのあらすじを書評で要約するだけでは意味がない。むしろここでは、本書の登場によってよりはっきりと見えてくるグリッサンのヴィジョンとは何か、と問うてみたい。

 グリッサンの書物は、互いに結ぼれ、呼応し、響きあう複数の声からなっている。しかもその声は、時にグリッサンその人を超えて人びとのあいだで共鳴する。これが、本書を通して見えてくるヴィジョンである。以下、グリッサンの他の小説作品と本書の連関を指摘しつつ、本書の特異性について述べる。次いで、「全=世界」という世界観の練り上げにおいて本書が持つ重要性にも言及しよう。最後に、本書を私がどう読んだか、より私的な体験を交えつつ所感を述べたい。


1. こぼれ落ちる者たちの(不可能な)連帯


 まず、本書のタイトルに目を向けてみよう。1987年に刊行されたフランス語原書のタイトルはMahagony(マアゴニー)である。あるインタビューで作家自身が語っているように、樹木の名「マホガニー」と、「苦悩」や「臨終」を意味する「アゴニー」(所有形容詞をつければ、「モナゴニー」)という二つの意味がこの表題にはかけられている[4]。マホガニーの巨木が持つ存在感は、スイユ社から刊行された初版の表紙からも伝わってくる。そこには、樹皮に触れるグリッサン本人の手の写真が用いられているのである。

 『レザルド川』に登場する——じつはこっそり本書にも登場する——「フロマジェ」や、彼が刊行した雑誌(1971-1973年)のタイトルにもなった「アコマ」など、グリッサンの作品においてはカリブ海の樹木が重要な役割を果たしている。カリブ海の風景(paysage)を描くことで、書かれた言葉のうちに、「邦」(pays)を立ち上げようとする作家の情熱が感じられる。だが、高級家具材としてカリブ海地域からヨーロッパへと輸出されたマホガニーが絶滅危惧種であることも忘れてはならないだろう。樹木はこの「邦」が直面する「苦悩」そのものである。「アゴニー」という語が本書のタイトルに響いていることは、フランス海外県へと呼び名を変えたこの「旧」フランス植民地の「邦」が置かれた状況を反映しているのである。だからこそ、本書冒頭付近には「一本の木は、そのままひとつの国である」(17頁)という言葉が書かれている。

 次いで、おおまかな構成について述べておく。本書は三人の人物をそれぞれ中心とする三部構成である。第一部「〈岩=の=穴〉」では、1815年に生まれ1831年に死んだガニが、第二部「マランデュール」では、7年間の逃亡の末1943年に死んだマオが、そして第三部「〈全=世界〉」では、逃亡劇の末、1978年にやはり若くして死ぬマニが中心となる。お気づきのように、三人の名前は、本書のなかで重要な存在感を持つ「マホガニー」に由来する。ガニ、マオ、マニ、この三人の逃亡と死が物語の骨子であるが、実際にはこのように要約することがためらわれるほど語りは入り組み、三人と一見結びつかなそうなさまざまなエピソードが語られる。

 だから、といったら奇妙なのだが、本書を読んで真っ先に抱いた感情は、ある種の懐かしさだった。本書の最終章「マチウによる受難曲」に至った時、上記三人とは直接かかわりのないある人物との「再会」に、疼くような気持ちを抑えられなかったのである。その人物とは、グリッサンの最初の小説『レザルド川』の主人公、タエルである。1945年のマルティニックを舞台とする(小説中の舞台はランブリアンヌという架空の町)『レザルド川』のなかで、タエルはまだ少年だった。本書の終わりは、おそらく『レザルド川』の設定年代から約30年後だと思われるが、タエルは世界を渡り歩いた後、本書終盤で、旧友のマチウと再会するのである。

 このように、本書と本書以前に発表された小説世界は密接につながっている。したがって、これまでグリッサンの作品に親しんできた読者は、本書を通して彼の小説世界をより一層探索できるだろう。あるいは逆に、本書を入り口にして、他の作品へと読み進むこともできる。その場合、本書のなかに散りばめられている物語の破片を別の書物のなかに探す喜びを味わうことができるだろう。

 そこで、まずは「サーガ」という切り口から、本書の内容を検討し、本書を読むための緒を提示してみたい。先に『レザルド川』に言及したが、ここでとくに重視したいのは、グリッサンの二作目の小説『第四世紀』(管啓次郎訳、インスクリプト、2019年)である。

 本書『マホガニー』の冒頭は、「マチウ」と題されている。マチウもまた、『レザルド川』以来グリッサンの小説に登場する人物の名である。『第四世紀』では、このマチウの存在が大きくクローズアップされ、島の歴史を知ろうとするマチウと、呪術師パパ・ロングエの対話によって物語が織りなされていた。『マホガニー』の冒頭は、これまでの小説の登場人物であるマチウの独白、ということになるのだろうが、事態がやや複雑なのは、「私」マチウは、彼が「年代記作者」と呼ぶ書き手——マチウとタエルの再会場面で、この書き手がグリッサンであることが明示される(209頁)——がこれまで書いてきたものを読んだうえで、そこからこぼれ落ちてきた三人の人物に目を向ける、と宣言する点にある。「人間であると同時に作者であり、描かれた寓話でもある」(32頁)という「私」マチウの試みは次のようなものだ。


私はこの物語の、もしこういう言い方ができるとすれば、まだ語られていない三つの裏側を発見しなくてはならなかった。源泉で命が尽きた子どもであるガニと、姪と同じ名前をもつリベルテ・ロングエは、1831年、黒檀の周辺で相次いで倒れたが、年代記作者はその後、自らの家系をもつ男ロングエだけに言及し——この男だけを選択した。それから管理人のボータンは、1935年かいずれにせよその頃、逃亡奴隷となり、相変わらずあだ名であるマオを名乗ったが、年代記作者はこのような瞠目すべき事実を無視していた。最後に殺人者マニは1978年、ミセアの息子、そしておそらく私の息子であったかもしれないオドノ・スラと知り合ったが、この土地の聖人伝によってかつて物語られた歴史のどこにもそのことは言われていなかった。(33-34頁)

 数行にもかかわらず、すでにいくつものテクストを「私」マチウは踏まえている。1931年に三本の黒檀のもとで斃れたリベルテ・ロングエの物語は、『第四世紀』の中盤で物語られ、『憤死』や『痕跡』でも言及されることになるエピソードである。『第四世紀』は、1788年にマルティニックに上陸した二人の黒人奴隷の家系をめぐる小説であり、こういってよければグリッサンのマルティニック・サーガの源流を開示する小説である。二人の黒人奴隷の一方は、到着するやいなやモルヌと呼ばれる山に逃げ、逃亡奴隷(マロン)となったロングエ、そして他方は、サングリ農園にとどまり、そこの女主人に寵愛されたベリューズである。1931年、ベリューズの息子アンヌは、ロングエの息子リベルテを黒檀の根本に埋まっていた鉈で殺害する[5]。上の引用箇所で言及されているのは、このリベルテ殺しのエピソードである。ほかにも、マオと呼ばれる管理人ボートンは、「苦悩から破滅に身を投じ、この世紀の最後の逃亡奴隷」(98頁)となり、7年間逃亡を続けた後、絶命する。このエピソードは、『憤死』のなかでも語られていた。そして、オドノ・スラをめぐっては、『痕跡』のなかで「オドノ」というもはや意味の失われてしまった謎の言葉とスラ家の来歴が語られる。本書冒頭で告げられるマチウの試みは、これまで年代記作者によって記されてこなかった三人の逃亡と死を語ることだった。要するに、本書は『レザルド川』から『痕跡』までのグリッサンの創作活動に、登場人物マチウが裏の物語を導入するという形をとっている。

 ガニ、マオ、マニ。それぞれ異なる時代を生きたこの三人の「逃亡奴隷」の物語を、先にマルティニック・サーガと呼んだ。しかし、それだけでは本書をとらえそこねてしまう。というのも、先の引用でも述べられているように、この三人の物語は共同体の歴史からこぼれ落ちてきた物語だからであり、ある共同体の系図を語る叙事詩という意味でのサーガにはおさまらないからである。本書以前のグリッサン作品に親しんできた読者は、登場人物たちの家系図を作成することができる[6]。ところが、本書に登場するガニ、マオ、マニはこの家系図におさまらないか、かろうじておさまったとしてもその家系は途絶えてしまうのである。つまり、本書でなされているのは、血縁的な共同体を作りえなかった者たちの「歴史」を語ることなのである[7]。家系図とは異なるかたちで別のサーガを語ること。共同体をなしえなかった者たちの(不可能な)共同体を描き出すこと。これが本書の試みなのである。実際、第一部の最後にはもう一度「マチウ」と題された章がくるのだが、そこで「私」マチウは共同体をめぐる語りからこぼれ落ちてきた者たちについて、次のように述べている。


結局のところ、それはこの場所のありふれた逸話にすぎず、自分の境遇への苦く、陰鬱な絶望ではないものなら、何でも受け入れるニグロが逃亡したというだけの話なのだ。私が時に口にして、体験したいと願う「私たち」という言葉のうちに、見たところほとんど痕跡を残さなかった逸話にすぎなかった。(77頁)

 「私たち」のうちに痕跡を残さなかった者たちを結びつけるのは、逃亡行為、逃亡場所、そして樹である。あるいはそこに、逃亡者たちを助ける女性たちの存在を付け加えてもよい。

 森のなかを走って逃げるガニのために、「女たちは、管理人も会計係も行かないと確実にわかっている場所に、豚の脂で煮たキャッサバとヤマノイモを置いた。」(71頁)ガニは、隠れ家の集落を作り、そこは〈池の小屋〉と呼ばれるようになる。この集落の近くでは、三本の「黒檀の木が完璧な三角形をなし」(74頁)ており、またその近くには、1815年にガニが生まれた時に彼が宿っていた胎盤とともに植えられたマホガニーの樹が佇んでいる。

 ガニの逃亡と死から約100年後、今度は逃亡するマオのもとに、女性たちは食べ物を運ぶのだが、そんな女性たちの一人であるアデライードは語るだろう。「私はマホガニーを見つめます。マホガニーが百何歳かの眼で自分を見ているのがわかります。それは永遠に光が差さない聖なる場所で、その聖なるテーブルには食べ物が置かれています。」(114頁)マホガニーが「百何歳か」であることを知るアデライードは、この樹の来歴、つまりガニの物語をある種の共有知として分かち持っていると考えられる。彼女はそのうえでマオに食べ物を運ぶのである。

 そして最後はマニ。マニの逃亡劇は、もうひとりの逃亡者マルニーの逃亡劇によって二重化されている。「訳者あとがき」でも指摘されるように、1963年から65年にかけて実際に起ったピエール=ジュスト・マルニー青年の犯罪と逃亡は、マルティニック民衆を熱狂状態に置いた。マニの逃亡は、このマルニーの逃亡と同時並行的に語られる。1978年に逃亡したマニと、1963年に逃亡したマルニー。この二人の人物が同時に逃亡劇を繰り広げるという時間軸の錯綜を、本書末尾で「作家」は「連続性を強調するため」(219頁)だと主張するだろう。さて、マニもまた、マホガニーに守られながら、隠れ家に身を隠す。そして、夢の中でこのマホガニーと「一体」となるのである。


再び夢が彼をとらえた。彼は跳び上がって起きた。「これはマホガニーだ」と、彼は考えた。彼は木がつくりだすあらゆる影、破片のすすり泣きにすっかり身を委ね、どこまでも続く石となり、抵抗する林となり、気がつくと朝の5時半になっていた。(195頁)

 〈池の小屋〉、三本の黒檀、そしてマホガニー。「逃亡奴隷する」三人は場所と樹によって、こういってよければある種の時空を超えた「連帯」を形成する。では、どのような秘密に支えられて、彼ら三人は時空をこえて連帯するのだろうか。この(不可能な)共同体の秘密、それが「全=世界」というヴィジョンである。


2. 『マホガニー』における〈全=世界〉の錬成


 本書は、「全=世界」というグリッサンのヴィジョンへと接近するための通路のような書物である。本稿の最初で述べたように、グリッサンの邦訳の嚆矢は『全−世界論』と『〈関係〉の詩学』だった。前者の存在によって、日本語読者にとって、グリッサンの「全=世界」というヴィジョンは、そこへと至るものではなく、グリッサンを知るための「入り口」として機能してきたといえるだろう。とはいえ、言葉や世界観にもまた歴史があり、そこへと至る行程があるはずである。

 本書は、中村隆之が指摘するように、「全=世界」へと至る行程の始点と考えることができる書物である[8]。「全=世界」とは何か。「全=世界」に一義的な定義を与えることはできない(だから「概念」と区別するために「ヴィジョン」という言葉を用いている)。目を向けるべきは豊潤なプロセスである。「全=世界」については、すでに中村がグリッサンの創作活動全体を視野にいれて総合的に論じている[9]。そこで以下では、本書に焦点を絞ることで、「全=世界」というヴィジョンが本書のテクストのなかでどのように錬成されるのか検討してみたい。

 すでに確認したように、マニの逃亡を語る本書第三部は「全=世界(Le Tout-Monde)」と題されている。本書を「全=世界」へと至る行程の始点と考えることができる所以である。では、グリッサンはいつこの構想を固めたのだろうか。このように問うことから議論を開始しよう。少し話は迂回するが、2014年に刊行された『リテラチュール』誌第174号には、本書の手稿が写真版で掲載されている[10]。原書刊行直後のインタビュー動画でも執筆の様子を部分的に見ることができる。写真版とインタビュー動画を突き合わせてみると、グリッサンは製本した分厚いノートの見開き右頁に万年筆で本書の原稿を執筆し、左頁を加筆修正用に用いていたようだとわかる。さらに、このノートには、これまで確認してきた〈池の小屋〉、三本の黒檀、マホガニーの位置関係が示された地図や、デッサンも描かれており、作家グリッサンが、かなり綿密な作業工程を経て本書を執筆していることがわかる。

 手稿について述べたのは、少なくとも本書執筆開始時点では、第三部は「全=世界」と題されていなかった、と指摘しておきたかったからである。『リテラチュール』誌掲載の手稿にはグリッサンが作成した手書きの構成一覧表が二種類含まれている。どちらも年代や語り手が詳細に検討されており、グリッサンが本書を執筆する際にいかなるプロセスを踏んだのか想像させてくれる。写真版しか確認できていないので確証があるわけではないが、インクの濃度および文字の太さの違いを考慮するならば、グリッサンは何度もこの構成一覧表に手を入れ、周到な準備を重ねていたようだ。またいくつかの表現、たとえば本書のなかでも印象的に用いられている« Papa Longué ka mô »「ぱぱ・ろんぐえガ死ンダ」というクレオール語の文章(141頁)はこの構成一覧表にメモ書きされており、構想段階で用いることが決まっていたと考えられる。

 二つの構成一覧表には、第一部から第三部までの題名が記されている。さて問題の第三部である。じつは、この構成一覧表作成段階では、第三部は« La Croix aux Vents »、すなわち「風の十字」ないしは「風の十字架」と題されていた。さらに、一覧表の一方には、« La Croix aux Vents »と書かれたうえに、小さな文字で« la croisée des vents »すなわち「風の交差点」と書かれている。この「風の交差点」という表現は、本書の終わり近く、「註釈する者」と題された章に見いだされる表現である。該当箇所は本稿のエピグラフに掲げておいたが、後ほどもう一度引用し、検討することにして、ここではひとまず、「全=世界」という言葉は、本書の構想段階(少なくとも構成一覧表作成時点)では顕在化していない、とだけ指摘しておこう。

 「全=世界」というヴィジョンの錬成にかんする私の仮説はこうだ。すなわち、グリッサンは本書の構想段階ではなく、執筆過程において「全=世界」という言葉を発明し、ガニ、マオ、マニの物語を紡ぐなかで、「全=世界」というヴィジョンを前景化していったのではないか。手稿全体にアクセスできない以上、本稿では以上の仮説の妥当性を検討することはできない。だが、本書のなかでこの表現が用いられている箇所をいくつか拾って、「全=世界」というヴィジョンの錬成過程を想像することはできるだろう。

 本書において「全=世界」という表現が用いられている箇所は、第三部のタイトルを除くと全部で10箇所ある。それらはいずれも、後にグリッサンが用いる« Tout-Monde »という大文字はじまりの表記ではなく、« le tout-monde »という小文字始まりの表記である。「全=世界」という表現が本書において最初に用いられているのは、第一部の「エジェジップ」という章の次のくだりである。


彼はさいきん、私たちを朝早く起こす仕事に終止符を打った。見えない鉈をもっていることさえできないオッタントとかいう人物が、ことの最初の始まりは、恩恵をもたらす時間の贈り物だと語りだす。物語では十分ではないことを私は理解する。チボワは想像上の人物だ。私たちの記憶のなかを虎が飛んでいる。ガニは予言した、全=世界を守り、それを追い求めなくてはならないと。二本の足で、狂ったように速く走る人のようにではなく、考えを束ね、心に浮かぶ憐れみに浸りながら駆けるのだ。(63頁)

 語り手のエジェジップは、ユードクシーという女性の「夫の役目をはたす者」であり、文字の読み書きを独学し、「まもなく視力を失うこの眼で、ガニの生涯、そもそもガニが何をしようとしたのかを、書き記す」ことに全力を注いでいる(57頁)。ここでは「全=世界」は「予言」として提示されている。この「予言」は、次の使用箇所に目をやると、少々異なった表現で言い換えられることになる。すなわち、「夢」という表現である。以下の引用箇所で「彼」と呼ばれているのはガニである。


彼はまた、自分で〈デカンの園〉と名づけた〈インド〉を示したが、そこで根の片隅にはえた苔をかき削り、黒檀の木が完璧な三角形をなしていることに注意を促した。(…)彼は言った。「国々の痕跡、さまざまな声の反復が、あなたの子孫に受け継がれるように、私は夢のなかで全=世界をあなたにお目にかけよう[Il dit : « Je vous montre à rêve le tout-monde »]」(74-75頁:p. 82-83)

 逃亡中のガニは、〈池の小屋〉という隠れ家を作り上げる。「自分で〈デカンの園〉と名付けた〈インド〉を示した」というのは、ガニが〈池の小屋〉の隠れ家に〈アフリカ〉、〈中国〉、〈インド〉、〈ペルーのピラミッド〉といった名前をつけ、「周囲の土地で世界の顔を」作っていたからである(73頁)。〈池の小屋〉はいずれも西洋世界によって蹂躙されることになる世界の縮図である。さて、この部分の手稿が折よく『リテラチュール』誌に掲載されているので目をやると、まず見開き右頁の当該箇所は« Il dit : Je vous montre le monde entier »(彼は言った。私はあなたに世界全体をお目にかけよう、と)とあり、« monde entier »の部分が抹消線で消された上で、左頁に« tout-monde »と書き込まれている[11]。先にグリッサンは「ガニ、マオ、マニの物語を紡ぐなかで、『全=世界』というヴィジョンを前景化していったのではないか」と仮説を述べたが、その時念頭にあったのはこの書き換え作業である。アクセス可能な手稿だけではここまでしかわからないが、決定版(つまり本書の底本)には« à rêve »(「夢のなかで」)という文言も加筆されている。「世界全体」から「全=世界」へ。この修正は、逃亡奴隷ガニが作り上げた空間としての「池の小屋」=「世界の顔」を、より「夢」の領域へと近づけるものだったのではないだろうか。もっとも、本書の巻頭、マチウの語りのなかでは、すでに「夢」が前景化していた。(執筆順が本書の通りならば、と仮定するなら)上の書き換え箇所では、個々の国名の集合としての「世界全体」から、「全」という構想に重点が置かれた「全=世界」へと書き換えがなされ、さらにそこに冒頭から続く「夢」のテーマ系が合流することで、「全=世界」が単なる国の集合ではなく、夢というより抽象度の高い次元へとずれる過程だといえるだろう。「夢」という観点に立つならば、本書の第三部ではつぎのような箇所もみつかる。


風景が次々に繰りひろげられるなかで、全=世界を夢みること[Rêver le tout-monde]——風景が対照的だったり、調和していたりすることで統一性がうまれ、ひとつの国が構成される。石、木々、参加する人びと、競いあう道の矛盾のなかに降りていき、ふたたび上がってゆくこと。人びとが馴染んでいるこうしたものの意味を、もったいぶって探すのではなく、自由に通い、触れることのできるそうした場所を、自分自身のなかに見つけること。(190頁:p. 218)

 「全=世界」のヴィジョンが本書のなかで生まれ(あるいは書き換えられ)、夢の領域へと移される。本書が三人の「逃亡奴隷」の時を超えた連帯について語っていることからもわかるように、この夢の領域は、一人の人間のうちで完結するものではない。その夢は語られ、守られ、連帯を生み出す。そのことをはっきりと示しているのはやはり第三部で語られる、「ガニの夢」——マホガニーと三体の幻獣との闘争の夢——をめぐる次の箇所だろう。ここでの「私」はマチウである。


(私たちのうちの誰も夢みたことのない)ガニの夢を出発点として、いまや私にはこう思えるのだ、友情とはまさしくこうしたものだった、ひとつの夢想を守ろうと、つねに連帯していることだったのだ、と。友情とはかつてそういうものだった。もっと古い時代にさかのぼり、私たちのうちの最初の者たちをマランデュールに吐きだした最初の船にまでさかのぼればさかのぼるほど、私たちはますます世界をより深く知るようになる。全=世界を。(187頁)

3. 風=声の交差点


 「全=世界」というヴィジョンは、本書の次に発表される小説『全=世界』(1993年)へと、あるいは『全−世界論』(1997年)へとグリッサンの手によって錬成される。前者がこのヴィジョンの小説的練り上げであるとしたら、後者はより思索的な練り上げである。そこに踏み込む余裕はもはやない。ただ、この議論の最後に、いま一度、第三部の構成一覧表に記されていた「風の十字」、あるいは「風の交差点」という言葉を思い起こしておきたい。「風の交差点」という言葉は次の箇所で用いられる。エピグラフに掲げたものを中略なしで引用しておこう。


風の交差点で[À la croisée des vents]、数々のつぶやき声が書かれた記号にまとわりつき、その記号は悲痛な行列となって木の実や羊皮紙のうえに並んでいる。形のほうが優勢なのだ。しかし話しているもの、それはこうした声の終わりなき反響である。(200頁:p. 230)

 世界中を巡り、旅する風たちが集う交差点。それをもう一度想起することは、本書の至るところに書き込まれた風へと通じる通路を開いてくれる。この風は、上の引用箇所にもあるように、エクリチュールにまとわりつく「つぶやき声」であり、「声の終わりなき反響」でもある。グリッサンの想像世界において、風は声の異名なのである。そしてこの声は、「語り」へと変換される可能性を秘めたものに他ならない。実際、語り手マチウは本書の冒頭で次のように述べていた。「私は山を駆けのぼる黄色い風となり、呪術師パパ・ロングエが見つめていた、あの赤土の境界線にまで一挙にたどりついた。そこでは私たちの嵐のような過去と悲しげな未来が、酔ったラギアを繰り広げていた。」(25頁)

 語り手、という言葉はナラトロジーが要請する用語(narrateur)ではなく、グリッサンの制作学が要請する言葉である。というのも、件の手稿に含まれる構成一覧表の一つには、第一部から第三部までの話者の性格が明確に設定されており、第一部は「語り手(le récitant)」、第二部は「密告者(le délateur)」そして第三部は「共犯者(le complice)」と指定があるからである[12]。もっとも、本書を繙けばすぐわかるように、この三つの語りの設定が本書をがんじがらめにしているわけではなく、語りの設定は本書の構成原理というよりも、あくまで本書を生み出すためにグリッサンが構想した制作学の一側面、一段階だと受け止めるのが妥当だろう。

 さて、語義に立ち返るならば、「語り手(le récitant)」とは誰かの言葉を記憶をもとに繰り返す存在である。「書かれた記号」にまとわりつく「風」は、だから、ここにない別の声を保持していると考えられよう。であるならば、「語り手récitant」とは、他の声をもう一度現前させる者、別の声を語りによって〈今−ここ〉と関係づける、すなわち報告する(relater)者である。このように考えた時に思い至るのは、『第四世紀』の冒頭もまた風=声によってしるしづけられていたということである。エピグラフで掲げた『第四世紀』冒頭部分を、やはり省略無しで再引用しておく。


——この一面の風に[Tout ce vent]、とパパ・ロングエはいった、これから立ち上がり吹きわたるこの風に、おまえができることなど何もない、ただ風がおまえの両手に、それから口、目、顔へと吹き上がってくるのを待つだけだ。まるでひとりの男には風を待つことしか、溺れることしかできないとでもいうように、そうだよ、わかるか、この果てしない海のように吹きわたる風に一度は溺れてみるんだな……[13]

 「全=世界(le tout-monde)」という語が本書の構成一覧表ではまだ顕在化していないと述べてきた。だが、「風」に目を向けてみるならば、すでに『第四世紀』に「全=世界」へと発展するヴィジョンの胚珠があった、と解釈することも可能ではないだろうか。それを象徴するのは、『第四世紀』の冒頭に置かれた「全(Tout)」という語であり、『第四世紀』と本書とを結ぶ「風」のテーマ系である。グリッサンの想像力における風の特徴をいくつか拾い上げ、並べてみよう。

 まず、風は声である。そして声とは複数の声——マチウの声、パパ・ロングエの声、いや、彼らよりずっと前の誰かの声——である。この複数の声を、歴史、と言い換えた時、それはパパ・ロングエがマチウに語る歴史の別名となる。本書冒頭でマチウが口にする「私は山を駆けのぼる黄色い風となり」という言葉は、パパ・ロングエの衣鉢を継いで三人の逃亡者の物語を語るという、マチウの宣言として解釈できるだろう。

 次いで、風は過去と現在とを結びつける。構想段階で「風の十字」と題された第三部の終わりに登場する「風の交差点」は、異なる時間に属する声と声とが交差する場であり、それは共同体からこぼれ落ちた者たち、忘れられた者たちを、系図とは異なる仕方で包含するのである。あえて図式的な言い方をするならば、「全=世界」を要請するのは、共同体の内側に系図を構成する者たちではなく、共同体からこぼれ落ちた者たちなのである。かくして本書は、サーガにおさまらない三人の「逃亡奴隷」の物語を語ることで、(その語りを通して)「全=世界」というヴィジョンを開くのであり、ここに私は本書の重要性を見て取りたい。

 そして、風は此処と彼処を結びつけもする。異なる空間、異なる時間を、計量可能な時空間に封じ込めるのではなく、錯綜する時間錯誤と空間錯誤が織りなすカオスとしてとらえること。グリッサンの想像力において「風」が可能にするのはこのような世界認識の方法ではないだろうか。これまで述べてきた仮説によるならば、この「全=世界」という認識は、『第四世紀』(1964年)において胚珠として示され、本書『マホガニー』(1987年)において発芽した。そして、本書の次に書かれたグリッサンの小説『全=世界』(1993年)では、タイトルが示すように「全=世界」というヴィジョンが存分に枝葉を茂らせるのだが、この「全=世界」の行程は直線的な発展ではなく、むしろ再帰、あるいはずれを伴う反復として捉えるべきものだろう。このことをよく示すのは、『第四世紀』から約30年後に発表された『全=世界』のなかで引用される「ロングエ老人」の次の言葉である。


「この一面の風[Tout ce vent]」とロングエ老人はいった。それは私たちにアフリカの邦々の種子と砂を、大洋を越えてもたらす。そしてお前が大洋の底を仔細に繙くなら、お前たちは鉄球をつけられたアフリカ人を、鎖に繋がれたまま深淵へと投げ捨てられた彼らを数えあげるのだ[14]。

 引用という形で『全=世界』に登場するこの言葉は、『第四世紀』の冒頭と強く響き合っている。これまで本書『マホガニー』の第三部「全=世界」が構想段階では「風の十字」と題されていた点に着目してきたが、それは(少なくとも)『第四世紀』から『全=世界』までを結ぶ風の布置のなかに本書を位置づけることでもあった。だとしたら、次に読むべきは『全=世界』である。本書を読んだ日本語読者は、続く『全=世界』の翻訳を心待ちにするだろう。

 ところで、風は過去と現在を結びつける、と先ほど述べた。そう述べた以上、「全=世界」のヴィジョンを、『全=世界』や『全−世界論』といったグリッサンのテクストだけに限定するのは惜しい。いま私の念頭にあるのは、グリッサンが2005年に刊行した『ラマンタンの入り江』の終わり近くに収められた一篇の詩である。7歳になったグリッサンの孫娘クララ・アルティエールの朗読ノートから引かれたという詩「風さんたちの会議」は、これまで本稿がたどってきた「風の交差点」としての「全=世界」をみごとに寓話化してはいないだろうか。本書によって開かれた「全=世界」のヴィジョン、あるいは夢は、異なる世代と世代のあいだで——つまりグリッサンという一個体を超えて——継承されているのである。いや、むしろアナクロニックにこう考えた方がよいかもしれない。7歳の少女がノートに書き記した夢想を——時を遡り——本書執筆時のグリッサンは分有しているのだ、と。クララ・アルティエールの声に耳を傾けよう。


宇宙の風さんたちがみんな集まったわ。台風、貿易風、地中海のトラモンタン風、氷霧、これは風さんではないけれど来てもよいことになったの、アラビアのシムーン、火事を引き起こす地中海のシロッコ(…)。風さんたちは、やはり名もない里の小さなため息さんには気がつかなかったの。でも、そんな小さな風だって大きなお兄さんたちの声を聴いていたのよ。世界ってどんなところか教わったのよ。小さなため息さんは夜の果てまで行ったの。南の島や海に向かったの。たくさんの島が群れているところまで行ったの。モルヌ・ペルーやラマンタンの入り江が見えるところまで行ったの[15]。

4. おわりに——声の翻訳


 共同体からこぼれ落ちる者たちの夢の連帯を語るなかで生まれた「全=世界」というヴィジョンについて述べてきた。「全=世界」というグリッサンの鍵語の裏に決定稿では消えてしまった「風の十字」というヴィジョンがあり、その風とは複数の声であることも見てきた。ならばこう問うことはできるだろうか。その複数の声をいかに(作者は、そして訳者は)翻訳するのか、と。『第四世紀』の訳者である管啓次郎は、グリッサンが『第四世紀』で行った試みを「すでに消えた口承的記憶、オリジナルの存在しない記憶から文章への翻訳」として位置づけている[16]。同じことは、グリッサン作品の翻訳についてもいえるだろう。グリッサンのテクストにまとわりつく声を、いかにして日本語に翻訳するのか。これまで訳されてきたグリッサンのテクストは、それを訳した訳者それぞれの心の「懸け」を——「賭け」ではなしに——刻印している。いや、グリッサンだけではない。たとえばこれまで本書の訳者が訳してきたパトリック・シャモワゾーの『カリブ海偽典——最期の身ぶりによる聖書的物語』(紀伊國屋書店、2010年)、あるいはラファエル・コンフィアンの『コーヒーの水』(紀伊國屋書店、1999年)はどれも、テクストにまとわりつく声の翻訳ではなかったか。

 ともあれ、グリッサン、シャモワゾー、コンフィアンと連なる「声」の問題系を論じる余裕はもう私にはないし、それをするには稿を改めねばならないだろう。本稿を締め括るにあたり、少しテクストから離れ、より私的な体験を付け加えておきたい。

 本書の舞台となっているマルティニックを私が再訪したのは2018年11月の末だった。それは二度目の滞在だった。ちょうどクリスマスの時期だったこともあり、島中が活気につつまれていた。マルティニックでは、クリスマスの時期になると「シャンテ・ノエル」というイベントが行われる。これは夜、近所の人たちが家に集って、クレオール語とフランス語のまざったクリスマス・ソングを歌うというもので、地域ぐるみのパーティーのようなものである。会場となる家には、太鼓叩きがやってくる。太鼓に合わせて歌をうたうのである。このため、クリスマス・シーズンの夜はいたるところから太鼓の音が聞こえてくる。私はある晚、遠くからやってくる太鼓の音を聞きながら、その音がどこから発せられているのか確かめてやろうと思って夜の町を徘徊した。結局、徒労に終わった。太鼓の音は数キロ先まで届き、とても音源までたどり着くことはできなかったのである。しかも、家々の明かりがあるとはいえ、やはり夜は暗い。所々、塊のような夜闇があり、怖いと思った。まあ、逃亡奴隷たちが駆け抜けた夜闇は、これとは比べ物にならなかったわけだが。

 さて、この時期に島を訪れた私は、様々な家にお呼ばれされ、充実した時間を過ごすことができた。とくに忘れられないのは、エピファーヌ老人の家を訪れたことだ。じつは、本稿を用意している最中、この老人が102歳で天寿をまっとうしたことを知った。102歳という年齢が意味しているのは、この島が経験した20世紀という時代を彼はまるごと生きたということである。それはまた、彼がマオとマニの同時代人だったということである。本稿の最後にエピファーヌ老人が語ってくれた話を付記しておこう。

 エピファーヌ老人が語ってくれたのは、マルティニックがヴィシー政権下に置かれていた時期の話だった。当時彼は漁師をしていた。ヴィシー政権下の島では、情報統制が行われており、島民たちは棚の奥にラジオを隠し、夜になるとそれをこっそり聞いたという。合衆国は対独政策の一環としてヴィシー政権下の仏領カリブ海地域を海上封鎖し、その結果、島内では深刻な食料不足がおこった。「この1943年という年、時は夢みるような時代ではなかった。食べ物がほとんどないために、住民全員が肉と油という同じ妄想にいつも取り憑かれていた」(20頁)と、本書冒頭でもこの危機的状況について語られていたが、背景にあるのはこの海上封鎖なのである。

 ここまで話を聞いた当時の私は、修士論文でヴィシー体制下のマルティニックにおける雑誌出版活動を扱ったこともあり、これまで書物を通じて理解してきたことが老人の証言によって裏付けられたような気がして、素朴に喜んでいた。ところが、である。老人の話しはそこで終わらなかった。彼によると、漁師たちは舟を持っていたため、この海上封鎖の監視の目をくぐり抜け、近隣の英領の島々の漁師たちから海上で食物をわけてもらっていた、という。人びとの交流は、島と島の間、海の上で続いていたのだ。このエピソードは、その場にいたマルティニックの友人も知らない話だったようで、みな驚きをもってエピファーヌ老人の声に耳を傾けた。彼の声は嗄れており、所々にクレオール語が混ざっていた。それを私がどれだけ理解できたか心許ないのだが、老人は日本からやってきた私に戦時中のマルティニックの状況を言葉を尽くして語ってくれたのである。

 私は本書を読みながら、とくにマオとマニについての語りを追いながら、どこかでエピファーヌ老人の声を思い出していた。というよりも、むしろ、本書の所々に書かれた言葉を読みながら、記憶のフィルターを通して、それを彼の声に翻訳していた。風——そう、極東の群島の言葉で記された本書のなかの記号にも、いくつかの声、もうここにはないいくつかの声がまとわりついており、私はその声を——読みつつ——翻訳していたのである。


[1]本稿では以下、「本書」と記し、引用にさいしては頁数のみを示す。また、本書のフランス語原書(Édouard Glissant, Mahagony, Paris, Seuil, 1987.)から引用する場合は、「p.」を用いて引用箇所を示す。たとえば「74-75頁:p. 83」は、本書74-75頁、フランス語原書83頁を意味する。

[2]本書以降に書かれた小説作品として、『全=世界』(1993年)、『サルトリウス——バトゥート族の小説』(1999年)、そして『オルムロッド』(2003年)がある。いずれも未邦訳である。

[3]たとえば星埜守之による『憤死』の翻訳は、この作品の世界最初の翻訳であり、グリッサン研究者のみならずカリブ海の現役作家たちからも驚きの声があがった。このことを、中村隆之は「事件」として報告している。中村隆之「もはや事件である——「幾多の過ち」のなかに邁進したマルティニック社会に対する痛烈な批判」『図書新聞』No. 3476、2020年12月19日。以下のURLを参照のこと(最終閲覧2021年12月9日)。

URL : http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3476&syosekino=14327

[4]本書の原書が刊行された1987年になされた次のインタビューを参照のこと(最終閲覧2021年12月9日)。https://youtu.be/HJ1y8G-xDDM

[5]エドゥアール・グリッサン『第四世紀』管啓次郎訳、インスクリプト、2019年、184-186頁。

[6]実際、『痕跡』の巻末には、「付録」としてグリッサン本人が作成した家系図が掲載されている。エドゥアール・グリッサン『痕跡』中村隆之訳、水声社、2016年、245頁。Édouard Glissant, La case du commandeur, Paris, Gallimard, 1997 [1981], p. 211.

[7]準備中の本稿を読んでくれた中上健次研究者の亀有碧から、1987年に刊行された本書と、中上健次の遺作となった『異族』(1993年刊)とが、共同体からこぼれ落ちる者たちの逃亡を語る点で共通している、と助言を得た。フォークナーに魅了されたグリッサンと中上が、80年代から90年代にかけて、それぞれのサーガをどのように展開しようとしたのか、という比較文学的な問いは興味深い。

[8]中村隆之『エドゥアール・グリッサン——〈全−世界〉のヴィジョン』岩波現代全書、2016年、7-10頁。

[9]同書。

[10]« Extraits du manuscrit d'Édouard Glissant : Mahagony »,Littérature, no 174, février 2014, p. 114-137.

[11]Ibid., p. 122-123.

[12]Ibid., p. 120.

[13]『第四世紀』前掲書11頁。Édouard Glissant, Le Quatrième siècle, Paris, Le Cercle du nouveau livre / Seuil, 1964, p. 13.

[14]Édouard Glissant, Tout-Monde, Paris, Gallimard, 1993, p. 352. 引用は拙訳による。

[15]エドゥアール・グリッサン『ラマンタンの入り江』立花英裕、工藤晋、廣田郷士訳、水声社、2019年、236頁。

[16]『第四世紀』前掲書、391頁。

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