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ヴァレリーの言葉を導きに フランス文学者の白鳥の歌──保苅瑞穂『ポール・ヴァレリーの遺言──わたしたちはどんな時代を生きているのか』(集英社、2021年)/ 安永愛

 プルースト研究の泰斗として知られ、モンテーニュやヴォルテール、さらにはレスピナス嬢についても優れた著作を残した保苅瑞穂は、奇しくもプルースト生誕150周年にあたる2021年7月10日にパリにて亡くなった。本書は、文芸誌『すばる』2019年9月号から2021年1 月号にかけての連載「ポール・ヴァレリー 現代への遺言 わたしたちはどんな時代に生きているのか」を元に、著者の没後1周忌に上梓された。本書の校閲を担当された今井勉氏によれば、預かったゲラ原稿には、煙草の匂いが感じられたという。紫煙を燻らせながら校正刷に向かっていた保苅は、これが最後の著作になることを知っていただろうか。

 遺著となった本書は、保苅の愛した野田弘志の細密な静物画が装画となっている。みずみずしさそのものの青りんごが4つ、潔い白の背景に浮かんでいる。ヴァレリーが愛し、注視の対象としていた貝殻も、野田の精緻極まりない筆致で添えられている。

 著者名も、ヴァレリーの名さえも知らずとも、この清新な香気を放つ装丁に惹かれて本書を何気なく手に取る人もいるではないだろうか。そして、きっと著者の語りに引き込まれていくことだろう。

本書は、ヴァレリーのテクストを導きの糸としながら、老境をパリに過ごすことになったフランス文学者としての稀有な人生と、フランスの、ひいてはヨーロッパの文明を響き合わせるようにして語った書物である。その語りは、作家研究のそれというより、例えば、マルグリット・ユルスナールの著作に事寄せながら、フランス・イタリアを経た自らの人生と時代のありようを語った須賀敦子の『ユルスナールの靴』の語りに近い。

 ヴァレリーのテクストは保苅にとって、研究対象といったものではない。保苅の人生の最も深く決定的な部分と響き合うものとしてある。

 若き日、留学生として2年半を過ごしたパリに、保苅は「古来稀なると言われる歳を前にして」戻っていく。長く連れ添った夫人を急な病で亡くした保苅は、東京大学退官後の職場であった獨協大学の定年を機に、思い切ってパリでの生活を選ぶ。新しい伴侶を得てのことだった。この選択、そして久しぶりのパリに戻ったほとんど回春といってよい喜びは、ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の絶唱と重ね合わせて描かれている。保苅はヴァレリー詩の最も有名な一節を自ら次のように訳している。


「風が吹きおこる!・・・ いまこそ生きようと試みるときだ!」


 「風が立つ!・・・生きようと努めなければならない!」というのが標準的な訳であろうか。保苅は、ヴァレリーのフランス語のil fautを「義務」として捉えるのではなく、現在形の使用に有徴的な表現を見、生きること(vivre)を「めぐり合わせによる促し」と捉えて訳しているのである。これは、保苅の人生に起こった、この回春の出来事なくしてはなされえなかった翻訳ではなかったかと思われる。

 パリに老境を過ごすことを選んだ保苅は、『ヴォルテールの世紀』(2009年)や『プルースト──読書の喜び──私の好きな名場面』(2010年)『恋文──レスピナス嬢悲話』(2014年)『モンテーニュの書斎──『エセー』を読む』(2017年)といった著作を上梓して行った。老年に至って、保苅の執筆は質量ともに充実していったのである。社会的なさまざまな任務から解放され、ただ一人の個人となって、愛する文学者たちの作品に向き合ったのであるから、そこに人生の全重量のかかった読みが現れるのは必然であったかも知れない。保苅の晩年の著作の充実はまことに喜ばしく、一つの老年のモデル、希望の光と映る。

 保苅のこの充実した執筆、その清新な筆致は、内面の静けさと結ばれていただろう。保苅は、ヴァレリーの文明論「知性の決算書」の中に「あの存在の深みにある本質的な静かさ」という言葉を見出し、「前からずっと考えていたことがそこに意を尽くして書かれているではないか。私が探していたのはこの言葉だ!」と快哉の声を上げる。保苅のヴァレリーとの付き合いというのは、まさにそうした自己の生の実感と照らし合わせ、共振させる、そのようなものである。単なる文献研究、テクストの科学というのではない。保苅は、ヴァレリーのテクストに揺り動かされる自らを描くことによって、もう一つのテクストを紡いでいるのである。

 本書『ポール・ヴァレリーの遺言』のタイトルの中核となっているのは、両大戦間に書かれたヴァレリーの一連の文明論のメッセージであろう。保苅がヴァレリーについての連載を始めるにあたって念頭にあったのは、ヴァレリーの文明批評を、現代世界の抱える問題に対する処方箋として読むことの可能性であった。ヴァレリー文明論に関連する章のタイトルは「機械文明の中の人間」と題されている。「機械文明」とは、このインターネットやA Iが発達し、様々なレベルでボーダーレス化が進んでいる現代にあっては、むしろ牧歌的な響きがするが、保苅はそうしたことには頓着していない。「機械文明」とは要するに「人間の手が及ばず、自動化され、ブラックボックス化され、数量化され、人の意識を超え制度化、システム化の進んでいる文明」と敷衍すれば良いだろうか。本質的なところで、ヴァレリーの文明論は現代を照射すると保苅は読んでいるのである。保苅は、この断章の中で、精神の自由の価値を脅かすものについて警告を発するヴァレリーのテクストをひたすら指差し続ける。このテクストを見よ、読め、と。保苅はそれに余計な解釈や敷衍は行っていない。己を消して指差し続けるその持続のありようが印象的である。

 保苅は、本書でフランスに居を移してから実感するようになったことに触れるのだが、それが自然とヴァレリーのテクストと接続される。例えば外国人でありながら、外国人だと意識もしないでいられるパリ、そしてフランスの人種の混淆・共存のあり方について触れ、そうしたことについても、ヴァレリーの文明論が小気味良いほどの切れ味で分析していることを紹介している。テロなども相次ぐパリの現実を目の前にしながらも、日常を愛おしみ勇気を持って生きる人々への共感が語られる。2015年の無差別テロの直後、パリではカフェのテラスに陣取ってパリ讃歌ともいうべきヘミングウェイの小説『移動祝祭日』を読むことが抵抗の印となったという。保苅は「何があっても愉しく生きることが一番の抵抗なのだと言わんばかりに」と言葉を添えている。パリに住む人々の生活感情の底に流れているものを、自らのものとするに至っていたのであろう。そしてヴァレリーの著作は、保苅のパリでの生活感情の基調を成すものであったと言って良い。

 保苅の文学へのアプローチというのは、「理解する」「理解しない」の二項対立に基づくものではない。保苅のプルースト論において、サント=ブーヴ批判をめぐる展開は、重要な論点であった。プルーストは、サント=ブーヴのような「知的」な理解を批判し、知性を超えたものによる理解を求めていた作家として捉えられている。プルーストの認識の方法は、「知性」によるのではなく「再創造」によるものであった。保苅は、本書の中で、ある文学テクストを「理解する」というより「親しみ」を感じるようになることの重要性を説いている。二十代後半のフランス留学で、黒い壁のように、よそよそしく立ちはだかったラシーヌの悲劇。そしてそれが象徴するフランス文明の他者性。しかし、留学が終わる頃には立ち去るのが惜しいほどフランスに愛着を覚えるに至ったこと。老境に至り、パリで幾年も過ごすうち、「フランス人として鋳造される」と感じるに至るほどに染め上げられていった生活感情。そうした感覚と感受性の変容を保苅は精細に描いている。

 私は修士課程以来、教え子として保苅に接してきたが、大学教員の中では稀なことに、保苅の認識の仕方は、セレブラルなものから非常に遠いという印象を得てきた。それは全身全霊になって対象に向かっているという印象である。保苅はもちろん碩学としての面は持ち合わせていたが、対象に向ける一瞬一瞬の感覚に、「無心」「童子」というのを思わせるところがあったのである。保苅のそのような感受性は、本書の叙述を貫いている。中でも、保苅の感性のありようの元基が現れているくだりを紹介したい。パリの早春の宵に咲く八重桜について語った件である。


この夕方、私は偶然、小さな幸運に恵まれたのだった。そして、花の命が頂点に達して、満開の桜の木全体が、しばらくの間にだけ息をひそめ、不動のものとなって、夕方の空気の中で静まり返った瞬間にめぐりあうことができたのだった。


 内面の静けさ、花の生命感への感応、そして与えられた人生の時間を「恵み」grâceとして受け止める思い。そうしたことが揃ってこそ紡がれた文章であると言えるだろう。

 広やかな時空の中で、人であれ、植物であれ、文学作品であれ、対象を見つめ、交歓すること。遺著となった本書は、そうした保苅の美質が息づいている。まさに白鳥の歌である。


後記:本書の元となった『すばる』での連載については、「響き合う言葉と生──保苅瑞穂「ポール・ヴァレリー 現代への遺言」をめぐって」(『人文論集』静岡大学人文社会科学部、72-2、1-30頁、2022年1月)のタイトルで小論を執筆した。


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