サント゠ブーヴ『サント゠ブーヴ評論選』(池田潤/松村博史編訳、幻戯書房、2026年)/ 小倉孝誠
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日本におけるフランス文学研究の分野では、多くの研究者に恵まれてきた、そして現在も恵まれている作家や流派がある一方で、フランスでは評価が高く、研究の蓄積も大きいのに、日本人がほとんど関心を示してこなかった作家、したがってほとんど翻訳されたこともない作家がいる。前者の例としてはプルーストがそうであり、またボードレールからランボー、マラルメを経てヴァレリーにいたる広義の象徴主義の系譜がそうだろう。後者の例として評者(小倉)に思い浮かぶのは、たとえばシャトーブリアンである。『ルネ』、『アタラ』はかつて邦訳されたことがあるが、あのレヴィ=ストロースが「フランス語で書かれた最も美しい散文」と讃えた『墓の彼方からの回想』をはじめ、彼の主要作品はどれも、ごく部分的な抜粋を除いて、残念ながらまったく訳されたことがない。
もちろん、日本人のフランス文学研究は本国フランスに同調する必要はない。どのような流派、作家、作品が愛好されるかは国民性にも由来するだろうし、究極的には研究者個人の趣味の問題に帰着するだろう。それはフランス文学にかぎらず、およそいかなる外国文学の受容の領域でも見られる現象だと思う。
とはいえ研究者の側からすれば、そして学生を相手に文学を講じる教師としての立場からすれば、好みや趣味の問題だけで済ませられない。さまざまなジャンルで時代を画するような仕事を成し遂げ、後世に無視しがたい波及力をもった著者であれば、考慮に入れないわけにはいかない。況してや、その著者が近年再評価されているとなれば、軽率な無視を装うことも許されないだろう。近代の文学批評を確立したとされる19世紀を代表する批評家サント゠ブーヴ(1804-1869)は、まさにそのような者の一人である。
前置きが長くなったが、本書はこのサント゠ブーヴの数多ある評論から9編を選んで編んだアンソロジーだ。不当なまでに煉獄に追いやられていたサント゠ブーヴが、フランスで1990年代以降新たに読み直されるという機運が顕著になり、著名な「フォリオ叢書」をはじめとして、『女性の肖像』、『文学的肖像』などが復刊されるようになった。そのような事情も、今回の日本語版選集が編まれた理由であろう。過去に遡及するならば、わが国で刊行されたサント゠ブーヴの最後の著書は『月曜閑談』のアンソロジー(土居寛之訳、冨山房、1978年)だから、今回の『サント゠ブーヴ評論選』はじつに半世紀ぶりの邦訳だ。収録されたテクストが『月曜閑談』と重複していないのは、この不世出の批評家の新たな相貌を日本の読者に知らしめたいという編者の野心の表われだろう。各評論の邦訳は、対象となる作家に詳しい研究者の手によるもので、そこに付された「解題」は各論考が草された背景と、その価値および限界を的確に教えてくれる。
収録されたテクストのうち、8編が作家論、残りの1編「産業文学について」(1839)は同時代の文学状況に厳しい診断を下した論考である。作家論で取りあげられているのは、古典期のセヴィニエ夫人とサン゠シモン公爵を除いて、あとはすべて19世紀フランスの作家たち(シャトーブリアン、ノディエ、スタンダール、ユゴー、バルザック、ボードレール)であり、そのうちの何人かとは批評家自身が面識を有し、一時期は親しく交流していた。19世紀前半のパリの文壇は、限られた数の作家、評論家、ジャーナリスト、出版人から構成される、比較的狭い世界だったことを想起しておきたい。
内容を少し具体的に紹介しておこう。
「セヴィニエ夫人」は、本書に収められた論考のなかで、対象への共感がもっとも強く感じられる。モリエール、ラ・フォンテーヌと並んで、セヴィニエ夫人は17世紀の三大作家の一人であり、この時代のフランス文学に洗練と感性の機微をもたらして、ヨーロッパのなかでフランス文学を抜きん出た地位にまで高めた。彼女の書簡集はパリの上流社会、ヴェルサイユの宮廷、さらにはしばしば訪れた地方や田園地帯の習俗と精神を、みごとな観察眼、豊かで喚起力に富むイメージ、才知あふれる文体で鮮やかに映し出してくれる、とサント゠ブーヴにしてはめずらしいほどに賛辞を惜しまない。興味深いのは、彼がセヴィニエ夫人と、19世紀のスタール夫人を比較している点だ。「スタール夫人は新しい社会を、セヴィニエ夫人は消え去った社会をそれぞれ代表している」(p.19)。
サント゠ブーヴが女性作家たちに向けるまなざしには、単なる共感にとどまらず、文学作品としての特質を明らかにしようとする姿勢が示されている。セヴィニエ夫人論は『女性の肖像』の劈頭を飾る文章で、この著作には17~19世紀の代表的な女性作家たちをめぐるテクストが収められており、とりわけスタール夫人に関する研究は質量ともに際立っている。批評家は書簡集、回想録、教育書、そして「内面的な小説 le roman intime」の分野で女性たちが大きな存在感を放ってきたことを強調しているが、これはたとえばマルティーヌ・リードの刺激的かつ挑発的な書物『女性と文学』(2020)が示すように、現代の文学史研究にまで継承されている視点だ。また彼が『女性の肖像』で論じている女性作家たちの何人かは(クレール・ド・デュラスなど)、バルザック的な「私生活情景」の主題を先取りしていたとして、21世紀に入ってから改めて注目度が増している。フェミニズム文学研究という現代の潮流からしても、サント゠ブーヴの炯眼は到底無視できるものではない。ないものねだりになるが、本選集にも、女性作家に関するテクストがもう一編欲しかったように思う。
「フランス文学ほど回想録の豊かな文学はない」(p.213)という、いささか断定的な宣言から始まるサン゠シモン論もまた、全体的に見れば対象への共感が強く感じられる。サン゠シモンの一族は代々王家に仕えてきた名門貴族であり、宮廷生活や貴族社会の慣習と掟は熟知していた。野心と権謀術数が渦巻く一方で、豊かで華やかな文化を創出した当時の社会を、彼ほど身近に、そして鋭く観察しえた人間はいない。
サント゠ブーヴは次のように述べる。「歴史の偉大な画家、サン゠シモンは、個々人の全身像を描き、集団や群衆をその全体的な動きと同時に限りなく個別の詳細においても表現する。彼の描く歴史は、念入りにデッサンしたり、塗る前にその輪郭を決めたりすることを許さない、ルーベンスのような熱のこもった筆で書かれた一大絵巻である」(p.224)。サン゠シモンは俯瞰的な視線で過去の歴史を再現しようとしたのではないが、みずからが接した個人の相貌を描き、遭遇した出来事を物語ることで、旧体制下のフランス社会の動きを鮮明に記録できた。
回想録は、サント゠ブーヴが偏愛したジャンルだという印象を受ける。「文学的肖像」を描くことに長け、「逸話」を巧みに活用する術を心得ていた彼にとって、回想録は分析の食指をことのほかそそる対象だったにちがいない。彼の逸話好きは、後年あのプルーストによって辛辣な批判を浴びることになるのは、周知のとおりである。とはいえ『失われた時を求めて』が19世紀末のパリ上流社会の、現代の日本人から見れば些末的で、ときにはいささか退屈な逸話に満ちていることは否定できないだろう。
以上の二編に較べると、同時代の作家たちを論じたテクストは、ノディエ論を除いてかなり手厳しい。充実したノディエ論では、作家、愛書家、碩学、評論家としてのノディエの全体像を示そうとした。ゲーテやスコットなど外国作家の影響を正しく測定し、ロマン派の先駆となり、若い世代にとって精神的、知的な父のような存在だったと讃える。いくらか人生論風、サロンの談話風の叙述が鼻につくとはいえ、批評家の方法論の特徴がよく出ている文章だ。サント゠ブーヴはノディエのうちに、ありえたかもしれない自分の姿を投射しているのかもしれない。
その他の論考において、もちろん批評家は評価すべきところは評価しているし、斬新さを認めるのに吝かでないが、それに続いて舌鋒鋭い批判が、ときには悪意がこもっていると思われるような弾劾が展開される。新聞や雑誌に発表された記事であり、当時のフランスの新聞・雑誌は政治的、イデオロギー的、文学的な色彩がきわめて明瞭だったから、歯に衣着せない論評はめずらしいことではない。単なる仲間誉めでは、「批評」にならないという暗黙の了解が共有されていたはずだ。それにしても、批判を向けられた側からすれば平静ではいられなかっただろう。バルザックとユゴーを論じた文章がその典型である。
バルザックは近年人気が高まっている作家であり、その要因は首都と地方を問わず、そこに住む女性たちの生態を説得的に表現し、それによって女性読者の支持を得たことだという。物語の舞台をパリだけでなく、フランス全土の都市や田舎にわたって多様に配置している点も、革新的な工夫にちがいない。こうした指摘は、現代でも通用する点だ。この論考が発表された1834年の時点において、『人間喜劇』全体の構想は出来上がっていなかったが、サント゠ブーヴはバルザックの小説世界の特徴をすでに察知していた。
狂気の化学者を主人公とする『絶対の探究』をとおして、批評家はバルザックのうちに思考の錬金術師、神秘科学に通暁した幻視者をみてとる。現代ならば、バルザック的小説がさまざまな知の言説を融合させた多声的な宇宙という評価につながり、称賛の辞になりうるが、サント゠ブーヴにとってそれはジャンルの不純な混淆にすぎなかった。『ウジェニー・グランデ』は疑いもなく傑作だが、『結婚の生理学』は「風流譚の寄せ集め」だし、『ふくろう党』はフェニモア・クーパーやウォルター・スコット流の歴史小説の模倣にすぎない…。最後は、語彙が支離滅裂で、文法上の誤りが多いと、まるで生徒の作文を添削する教師のような説教臭い口ぶりになる。
同じようなことはユゴー論にも当てはまる。『薄明の歌』に収められた詩のいくつかを個別に解釈しながら、雄大な構想と繊細な抒情性を評価するのに吝かではない。しかし他方では、イメージや修辞の不適切さを指摘し、語法や語彙のうえでの誤謬を指摘する。あのヴィクトル・ユゴーにたいしてである! 「適切な作法や行き届いた調和の価値を軽んじ」(p.77)ていると難詰された詩人が気分を害したのは当然だろう。バルザック論もユゴー論も、作家たちとサント゠ブーヴの決裂をひきおこすことになったのも、驚くにはあたらない。
シャトーブリアンは、サント゠ブーヴの世代にとってまさに偶像的な存在だった。若き日のユゴーが「私はシャトーブリアンになりたい、それ以外は何も望まない」と言ったのは、有名なエピソードである。批評家にしても、作家が壮年期に発表した『ルネ』や『殉教者』や『パリからエルサレムまでの旅』の価値を認めつつ、最晩年にまとめられた回想録『墓の彼方からの回想』には、往時の輝きや洞察が欠落している、と嘆かずにいられない。サント゠ブーヴが向ける批判はいくつもの論点をはらんでいる。登場する者たちの人物像にゆらぎがあって、印象が一貫していない。政治家や作家にたいする不当で誤った非難、端的に言えば悪口が多く、読者の側からすれば道徳的印象が悪い。文体には思慮と節度が欠けている。真実をないがしろにして、自分の都合のいいように書き換える虚栄心が鼻につく、云々。「告白する人間は嘘をつく」と後にヴァレリーは述べることになるが(「スタンダール論」)、そう指摘したのは彼が最初ではない。
『墓の彼方からの回想』は、シャトーブリアンの幼年時代から、政治・外交に関与した壮年期までの長い生涯を回顧した長大な回想録である。シャトーブリアンは謙虚で慎ましい人間から遠いが――そもそも回想録や自伝を書く者が、言葉の一般的な意味において慎ましいとは思えない――、彼の作品は同時代の社会、政治、習俗をめぐる深い洞察に満ちた比類のない証言になっている。ブルターニュの名門貴族の家系に生まれ育ち、フランス革命とナポレオン帝政の時代にさまざまな辛酸をなめ、復古王政期に政治に関与するようになった作家には、思うこと、語りたいことが無数にあったのは想像に難くない。そういう人間が著した回想録は歴史上の出来事や、それに深く関わった人物への判断を含まざるをえない。サント゠ブーヴの診断はたしかにしばしば不当だ。とはいえ、語られる過去の出来事と、時間が経過してからそれを叙述する執筆の現在という複雑な時間性の問題、記憶とその無意識的な歪曲など、回想録や自伝というジャンルがほとんど不可避的にはらむ問題系を指摘しているのは、批評家の炯眼であろう。
「スタンダール氏 その『全集』」と題された記事は、前半で『イタリア絵画史』、『ラシーヌとシェイクスピア』などの批評的著作を論じて、外国の作家や芸術家へのていねいな目配りを当時としては画期的と評価する。他方、小説を論じる後半ではトーンが異なる。『パルムの僧院』の冒頭の数章には無条件の賛辞を捧げるが、ファブリスとサンセヴェリーナ公爵夫人の性格造型には真実味が乏しく、「イタリア風の精神的仮装行列」(p.260)だと断罪する。『赤と黒』に関しても、ジュリアンは作者の観念を具現する「自動人形」(p.254)という、手厳しい判断を下す。現代のわれわれから見れば、いずれもスタンダール的小説の精髄を看過した、的外れな判断に思われる。バルザック、ユゴー、シャトーブリアン、そしてスタンダールと、19世紀を代表する大作家たちの本質に批評家がじゅうぶん肉迫できなかった、という批判がなされるのも故なしとしない。
ただしスタンダールに関して言えば、死後しばらくは忘却されていた作家であり、サント゠ブーヴの記事は、作家の死後10年余りの時期に発表された、本格的なスタンダール論としては初期の部類に属する。スタンダール自身、自分は1880年代にならなければほんとうに理解されはしない、と言ったとされるが、実際彼への真の評価を展開するのはテーヌやゾラの世代である。
最後に置かれたボードレールに関する断章は、私信のかたちを借りて『悪の華』を評する。詩の領域であらゆる可能性を汲みつくしたかに思われるロマン主義の後で、より端的に言えばユゴーの後で、あえて詩作を試みようとする者にとってどのような領野が残されていたのか。遅れてきた世代にとって――ここでサント゠ブーヴは昔日のみずからの姿を重ね合わせているわけだが――、どこに新たな着想源を探し求めればいいのか。「あなたは地獄を掴み取り、悪魔を生みだした。夜の悪霊たちからその秘密を引き出さんとした」(p.277)。あながち的外れの批評でもないだろう。
大部分が個別の作家論である本選集において、一編だけ同時代の「文学場」全体の様相に切り込んだのが、「産業文学について」と題された1839年の記事である。産業文学とは耳慣れない語だが、littérature industrielleの訳語である。けっして長くはないこの論考は、サント゠ブーヴの数多い評論文のなかで最も有名で、かつ現在でもきわめて示唆に富む議論を展開しているもののひとつである。何が問題とされているのか? 一言で要約すれば、文学の大衆化ということだ。そこには大きく二つの要素が含まれていた。
第一に、文学が金儲けの手段になっている。「肥大化する利己心と強欲の深淵のなかで」(p.158)、作家たちは節度や知的矜持を失いつつあるという。サント゠ブーヴが念頭に置いているのは新聞小説であり、名指しはしていないが、当時その代表的な書き手として洛陽の紙価を高めていたデュマやウジェーヌ・シューやフレデリック・スーリエである。ジラルダンが1836年に創刊した『プレス』紙が新聞に小説を連載して売り上げを伸ばそうとしたのがその嚆矢で、そこに連載されたバルザックの『老嬢』が最初の新聞小説とされる。
第二に、新聞に公告が掲載され、それが文学の質にまで影響するようになったとサント=ブーヴは警告する。ジャーナリズムと文学の世界に資本の論理が侵入してきた、ということだ。作家たちは、自分の想像力と美学にしたがって書きたい作品を書くというより、文学市場で売れそうな作品をめざすようになり、広告はそのような作品を宣伝するだろうというわけである。
産業革命にともない、印刷技術が発展して新聞・雑誌がより速く、より大量に印刷されて流通するようになり、教育制度の改革により識字率が上昇して本を読める層が増え、社会と政治が相対的に自由化した時代、要するに民主化が進行したこの時代に、文学の大衆化もまた避けがたい趨勢ではあった。同時期にあのトクヴィルは、「民主主義とは多数者の専制 la tyrannie de la majorité」だと喝破したが(『アメリカのデモクラシー』)、民主化は文学とジャーナリズムの世界で読者の大衆化と、読者から文学生産の場への影響力の増大を引き起こさずにいなかった。
それは時代の流れであり、現代からみればそれが文学の質を低下させたとは言えまい。その後のフランスで、小説家の大多数はまず作品を新聞・雑誌に連載し、それから単行本として刊行するという慣習が成立する。サント゠ブーヴは文学の大衆化に警鐘を鳴らしたが、そしてその意味で保守的ではあったが、ジャーナリズムの急速な発達、それがもたらした連載小説の勃興、読者層の飛躍的な拡大をその初期段階でしっかりと見定め、それが惹起する諸問題の所在を明確に剔抉した点は高く評価されるべきだろう。今日風に言うならば、1839年時点のパリの文学場をまさに文学社会学の視点から分析してみせたのだった。
以上、本選集に収められた各論考について注釈を試みた。最後に、サント゠ブーヴの批評装置の本質を簡潔にまとめておこう。
第一に、いわゆる「人と作品」という基本的なスタンスが通底している。作品を論じると同時に、あるいは論じる以前に、作家の生涯や家族の系譜を辿り、出身地の特性を問いかける。彼にとって、作品は作家から独立した創造物ではなく、彼があるところで用いた有名な定式を借用するならば、「この樹木にして、この果実あり」ということになる。ただし、誤解してはならないが、それは生涯によって文学創造が既定されるという粗雑な決定論ではない。サント゠ブーヴにとって、作家の「才能」は究極的には説明しがたい神秘だったのだから。
第二に、彼の著作のタイトルにしばしば使用されていることから分かるように、作家の「肖像 portrait」を描くことが、彼の批評の究極的な目的だった。それは「人間」と「作家」を密接に関連づけることを意味し、だからこそ両者を分離しようとしたプルーストから弾劾されることにもつながった。作品から人間へ、作品をつうじて作家の人間性や創造性の精髄に迫ること――それがサント゠ブーヴの目指すところだった。
第三に、そのために彼は一人の作家を論じるに際して、それまでその作家が書いたあらゆる作品を渉猟し、手紙や手記や回想録など現代の歴史学が「エゴ・ドキュメント」と呼ぶ文書にも広く目を通した。その徹底して実証的な姿勢は敬服に値する。『絶対の探究』について語りながら、サント゠ブーヴはそれ以前に発表されたバルザックの小説だけでなく、彼がバルザックと名乗る以前に偽名で発表していた厖大な量にのぼる青年期の習作にまで目を通していたことを告白する。『薄明の歌』を集中的に分析しつつも、もちろんユゴーのそれ以前の詩集や小説や戯曲についても通暁していたことは、言うまでもない。当時はまだ高い評価を受けていなかったスタンダールについてさえ、あらゆるジャンルで彼が公刊した著作を読破していた。その博捜ぶりたるや、同時代の誰も比肩しうる者はいないだろう。
フランス文学史においては、「1830年の世代」と言われる現象がある。1800年前後に生まれ、ナポレオン帝政下と復古王政期に自己形成を遂げて、文学の道に参入した者たちであり、パトロンや国家の庇護を頼まず、ペンだけで生活するようになった(できるようになった)最初の世代と言われる。1799年生まれのバルザック、1802年生まれのユゴーとデュマ、そして1804年生まれのサント゠ブーヴ、ジョルジュ・サンド、ウジェーヌ・シューらに代表される。
バルザックが近代小説の構図を定め、デュマやシューが新聞小説をひとつの制度に昇格させ、サンドが女性の文学進出を決定づけたように、サント゠ブーヴは「批評」をひとつの文学ジャンルとして確立した。しかも大学という公的な教育制度の場から独立した新聞・雑誌という媒体をおもな活躍の場として、批評家としての活動のあり方を示した。文学場において批評家をひとつの職業として成立させたという功績は、いくら強調しても足りないだろう。たしかに彼は、作家への診断や作品の解釈において、現代的な基準からすればしばしば誤った。しかし無謬の批評家など存在しないし、古びない批評もありえない。
日本でもフランスでも、長い間サント゠ブーヴは読まれることなく拒否され、考察される以前に断罪されることの多かった著者である。しかし知らずして批判するのはあまりに安易であり、知的な誠実さを欠く。本書『サント゠ブーヴ評論選』は、彼の仕事の特徴と価値をわれわれに知らしめてくれる貴重な貢献にほかならない。
![]() | 池田潤・松村博史=編訳 ルリユール叢書 出版社 幻戯書房 発売日 2026年1月 定 価 4070円(税込) 判型・頁数 四六変形上製/372ページ ISBN 978-4-86488-340-5 |


