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文学の政治、芸術の政治 / 鈴木亘

【2023年12月23日に開催された、ジャック・ランシエール『文学の政治』(森本淳生訳、水声社、2023年6月刊)オンライン合評会(フーコー研究フォーラム主催)の記録】


 ランシエールは1990年代にかけて「文学論」と呼びうる著作を矢継ぎ早に刊行し――『マラルメ』(1996)や『言葉の肉』(1998)、『沈黙の言葉』(1998)――、2000年代に入ると広く美学や芸術一般に関わるテクストを発表するようになります――『感性的なもののパルタージュ』(2000)や『美学における居心地の悪さ』(2004)、『解放された観客』(2008)――。このように整理すると、ランシエールは文学論で練り上げた論点を芸術論一般に応用した、とか、文学論を芸術論の一部に包摂した、とか、そういった単線的な表現でランシエールの思想遍歴をまとめてみたくなるかもしれません。私自身もランシエールについて手短に説明するとき、そのような言い回しをしたことがあるように思います。しかしながら、およそあらゆる整理にあてはまるように、ことはそう単純ではありません。そのことを、70年代から2000年代までの(すなわち他の芸術論と並行して書かれてもいる)文学論的テクストからなる、この『文学の政治』は模範的に伝えていると言えます。以下では、『文学の政治』と美学・芸術論的著作を比較対照することを通じ、その「単純でなさ」の一端を示したいと思います。


1. 「文学」の時代と「芸術の美的体制」

 文学論と芸術論の並行関係はまず、両者において提示される歴史的枠組みに見出されます。訳者解説にも記されているように、『文学の政治』で(その他の著作でも)繰り返し提示されるそれは、「文芸」から「文学」への移行、というものです。前者はアリストテレス的な、「古典主義的な模倣=再現の秩序」が有効な時代であって、作品とは「行為する人間たちの模倣」であるという規範、現実の社会的ヒエラルキーに対応したジャンル規定――「高貴なジャンル〔悲劇〕は高尚な行為と人物を描くことを目的とし、低俗なジャンルは身分の低い人々の物語を対象とする」――、それに適合した文体の要請――「王は王として、庶民は庶民として話さなければならない」――等によって特徴づけられます。要するに作品を作品たらしめる明確な規則が存在した時代というわけです。それに対し「文学」の時代においては、それらあらゆるヒエラルキーが「破綻」すると言われます。そこに現出するのは誰が何をどのように語ってもいいという「民主主義的な平等原理」であって、フローベールによる「文体の絶対化」――「イヴトはコンスタンティノープルと同じ価値を持つ」[1]――が、その範例として位置づけられています(24-26)[2]。かくして文学の課題は、いかにして自らを単なる日常的散文と区別するか、「文学を成り立たせる差異」(50)を生み出すかにかかっています。

 美学的著作で提示される「(諸)芸術の表象的体制」から「芸術の美的体制」への移行という芸術史観は、基本的には文学史のそれと同型です。すなわち表象的体制を語るにもまた、アリストテレス詩学が呼び出され、表象対象に応じてのジャンルの区分、それに対する表象形式の適合性などの諸規則が、その体制の特徴として取り上げられます(PS 28-29; 21-22)。異なるのは、歴史画を頂点に定める絵画内のヒエラルキーや、詩画比較論への言及など、文学以外の芸術ジャンルが(当然ながら)考慮されることです。また美的体制は、文学が文芸に対してなしたのと同様、表象的体制のあらゆる規則・規範・ヒエラルキーを解体します。「〔美的体制は〕まさしく芸術を単数で同定し、この芸術をあらゆる特定の規則から、主題やジャンル、諸芸術の間のあらゆるヒエラルキーから切り離す」(PS 33; 25)。「美的体制に固有の運動は(…)諸芸術の特殊性〔spécificités〕を消去し、諸芸術それぞれを分け隔てていた境界や、芸術と日常的経験とを分け隔てていた境界を撹乱する」(A 13)。異なるのはこれらの引用にあるように、芸術と日常の境界消失に加えて、各芸術ジャンル間の境界消失、ヒエラルキー解体が語られていることです。前者は例えば芸術と生活の統合を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動、後者は伝統的な芸術とデザインなど応用芸術をひとしなみに扱ったバウハウスが該当するでしょう。

 芸術一般を論じるにあたって各芸術間の混交が問題になる、という次第は、帰結としてはやはり当たり前に見えますが、しかしこれがランシエールの文学論と芸術論一般を分かつ重要な点の一つであると考えられます。〈文学がミメーシス的規範から解放され、かつ日常的散文から差異化される〉という――往々にして袋小路に陥りかねない――判定基準の外部を、美的体制の枠組みは示しえていると思われるからです。

 まず『文学の政治』から例を挙げます。「闖入者」においてランシエールは、マラルメがプラトン的身分規定の維持と引き換えに詩の理想の実現を先送りにしたことに関し、次のように言っています。「大衆をそれ自身の偉大さから隔てるのと同じ法則が、詩篇をその神格化から隔て、賽の一振りをパロディに変えてしまう。(…)『賽の一振り』の紙葉の上で、文字(エクリチュール)は沈む船のデッサン、天空の星座のデッサンとなる」(149-150)。ランシエールいわく、規範なき文学の時代におけるマラルメの戦略は、ミメーシスではないしかたでイデーを示すこと、「その固有な感覚的形態に受肉化し現れ出たイデーの現前」(145)によって詩を詩として成立させることですが、『賽の一振り』は結局のところ(紙面に活字で船や星座を描き出すことで)単なる視覚的ミメーシスと化し、理想の詩、イデーの現前たる絶対的〈書物〉となりえなかったということです。ここでの口吻はネガティヴに響きます。あたかもマラルメは出口のないアポリアに入り込んで終わったと言っているかのようです。

 他方、諸芸術間の混交を謳う芸術論的著作においては、『賽の一振り』は別の評価で語られます。『イメージの運命』所収の「デザインの表面」では、紙面に活字を視覚的に配置した『賽の一振り』を、詩ではなくひとつの「デザイン」作品として捉える観点が示されます。そこでランシエールはマラルメをドイツの工業デザイナーであるペーター・ベーレンスと引き比べ、純粋芸術の代表たる詩/応用芸術であるデザイン、高踏的詩人/工業デザイナーという身分規定を組み替える、一種の政治的読解をマラルメに施しています[3]。諸芸術間のヒエラルキーの解体は、そのように政治的なものとして、芸術論ではもっぱら肯定的に語られています。その集大成が、「芸術の知覚・感覚・解釈の体制が、美術という観念からは最も対立すると思われていたイメージ、オブジェ、パフォーマンスを受け入れることで、いかに構成され変容したのか」(A 10)を示すことで、西洋近代美術史の再編成を試みた、『アイステーシス』だと言えるでしょう。


2. 文学の困難を再演する現代アート

 とはいえ、文学が巻き込まれているような、常に無差異に飲み込まれてしまう、という困難は、芸術論で消失したわけではありません。例えば『解放された観客』における現代アート批評、特に政治的作品の批評において、この論点は変奏されることになります。

 前提から辿りましょう。『文学の政治』で示される「文学」の時代の特徴の一つとして、言葉を発する者はそれが誰に届くべきかをはっきりと認識しており、その聴衆は発信者が意味しようとしているものを、意味しようとしているとおりに受け取ってくれる、という、作者−作品−受容者の明確な「宛先関係」(32)の崩壊が挙げられていました。すなわち「文芸」の時代においては、「言葉による行為は明確に限定された聴衆に対して思考や感情やエネルギーを喚起する効果を生み出すとされていたから、言葉の力は限定された聴衆を宛先として調整され関係づけられていた」(28)一方で、文学の体制においては、「文学はもはや、社会秩序の中で同じ位置を共有し、そうした気質(エートス)から解釈の諸規則と秩序立った種々の感じ方を引き出していた特定の聴衆に向けられるものではなくなる」(29)とされます。

 こうしたいわば誤配可能性という論点は、『文学の政治』ではプラトン的身分規定を揺るがす「エクリチュールの民主主義」(同)として、印刷物の大規模な普及とともに、どのような身分の者でも自由に読み、書くことのできる状況の到来、という側面から深められます。他方、『解放された観客』では、そうした19世紀の社会状況の記述よりも、作者が意図したとおりに聴衆からの反応を引き出せる、というメカニズムの失調そのもの(これは『文学の政治』ではあまり前景化されていないように思われます)に焦点が当てられます。

 具体的に見ていきます。『解放された観客』所収の「政治的芸術のパラドックス」の趣旨は、現代という美的体制の時代において、政治的たろうとする芸術がいかにして政治的に有効なものとなるか、を批評するものです。そこで強調されるのが美的体制に特有の「美的有効性」のモデル、すなわち「芸術の諸形式を作り出すことと、特定の公衆に対して特定の効果を作り出すこととの間にある、あらゆる直接的な関係の中断」(SE 64; 73)というモデルです。この宛先関係の崩壊にあって、政治的芸術はもはや〈しかるべき人にしかるべき作品を提示すれば、観客はしかるべきしかたで政治的に方向づけられ、社会が変革する〉というモデルに則ることはできない、その状況における政治的な現代アートの諸戦略が論じられます。

 この諸戦略のうち、まずはいわゆるリレーショナル・アートを取り上げましょう。ランシエールによればそれは、もはや「見るためのオブジェ」ではなく「共同体における活動」を「直接的に」作り出す芸術、「社会関係の直接的提案として提示される」芸術です。すなわち、作品を社会関係と同一化することで、作品を受容して解釈する「観客の意識」という「媒介」――この不確定性が問題なのでした――を消去し、それによって現実世界に直接的に介入しようとするのです(SE 77; 88-89)。なるほど社会関係が芸術となりうる、という事態は、あらゆるものが芸術となる、という美的体制の特質をよく伝えているでしょう。しかしながら、文学の散文が日常的散文と区別不可能に陥るように、完全に社会関係に還元された作品は、もはや芸術作品として社会空間から区別されえません。したがってランシエールいわく、こうした作品は芸術として、あるいは「芸術による芸術自身からの範例的な脱出として見られなければ」(SE 78; 90)、有効性を、それも「象徴的有効性を」(ibid.)持たないことになります(ランシエールが挙げるリレーショナル・アートの事例に即せば、ギャラリーでパッタイを振る舞って会食するリクリット・ティラヴァーニャのパフォーマンスは、ギャラリーで行われることで初めて成立するのです)。しかしこのいわば短絡的な芸術性の確保は、芸術家が一定の意図のもとに作品を設え、そのもとで観客に実践を促すという図式の復活になるでしょう。つまり、「芸術の有効性を芸術家の意図の実行と再び同一視することで、名手にして戦略家としての芸術家という伝統的なヴィジョンを助長する」(SE 83; 96)のです。こうしたことが、現代において政治的たろうとする芸術が抱える逆説、あるいはディレンマ(のひとつ)です[4]

 この困難を回避する戦略はありうるでしょうか。ランシエールが示すのは、美的体制における意図や意味の決定不可能性、未規定性という事態そのものに、ランシエール的な意味での政治――感性的なものの分割=分配(パルタージュ)の再編成――の契機を見て取るという観点です。というものそうした決定不可能性こそ、「効果をあらかじめ見込んで芸術に用途を付与していた連結の網の目」(SE 67; 76)から芸術が離脱することを意味するのであり、それを経験することは、「「自然な」秩序の感性的明証性を断ち切る」(SE 66; 75)ということ、すなわち規定の感性的枠組みに切断をもたらすことだからです。例えば、フランスの写真家ソフィ・リステルユベールは、一見すると石が堆積した丘と小道という、地中海沿岸らしい牧歌的な風景写真を提示します。ただしその写真は、連作《WB〔West Bank〕》(2005)の一枚として示されるとき、パレスチナの道路にイスラエルが設置したバリケードであることがわかります。例えばスペクタクル的な爆撃の映像や、象徴的な分断の壁よりも、この写真家は「戦争が領土に刻み込んでいる傷や傷跡」という曖昧でささやかな形象を見せることで、観客に未規定的な情動を、「より控えめで効果の定まらない情動」を生じさせたとランシエールは語ります(SE 113-114; 134-135)。そしてそれこそが、美的体制における芸術の政治的作用にほかなりません。すなわち、


身体や精神がそうした態度をとるとき、目は自分が何を見ているのか、思考は見たものをどうすれば良いのかをあらかじめ知ることがない。身体や精神はそれによって緊張し、感性的なものをめぐる別の政治に注意が向けられるのだ。すなわち、距離の変動、見えるものの抵抗、効果の決定不可能性に由来する政治である。イメージは、その意味から察しのつくものであったり、自らが及ぼす効果をあらかじめ定めてしまったりしなければ、われわれの眼差しや可能なものの風景を変化させる。(SE 114; 135-136)


 さて以上の議論を、『文学の政治』に差し戻してみましょう。先に「闖入者」を取り上げた際、私は『賽の一振り』の帰結が出口なしに聞こえると診断しました。このことは上述の議論をふまえて再考することができます。ランシエールは実のところ、『文学の政治』劈頭に掲げられた同名論文の末尾――文学の様々な自己消去を取り上げた後――に、解釈という実践に(やにわに)触れ、次のように述べています。「解釈が、公共の世界の可視性の諸形態を変形させると同時に、任意の身体がそこで公共の新しい光景に対して行使できる諸能力をも変形させるときには、解釈とはそれ自体が現実的な変化である」(53)。この一節は文脈限定的にではなく、一般的な射程を有するものと解釈してよいでしょう。フォイエルバッハの第11テーゼ、「哲学者は世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのはそれを変革することである」を明らかに念頭に置きつつ、ランシエールは解釈という営みそれ自体が、感性的なものの分割=分配(パルタージュ)の再編成の実践たりうると主張します。無差異の民主主義に対して自己差異化しつつ自己消去する文学の格闘を跡づけ、そこから文学の決定不可能性や、解消不可能な矛盾を引き出す解釈は、まさに「感性的明証性」の切断の実践、ランシエール自身による政治的実践と言えないでしょうか。


3. ふたつの補遺――ミクロな出来事の政治と自由間接話法

 『文学の政治』では文学における民主主義の三つの形態として、「彷徨するエクリチュール、事物に刻まれた象形文字、ミクロな出来事」が挙げられています(訳者解説382-386)。フローベール論「エンマ・ボヴァリーの処刑」では、エンマ・ボヴァリーに第一の形態の体現者の地位が与えられつつ、フローベールの「絶対的文体」が、主題の無差別な平等性を突き抜けて、更にラディカルな第三の形態を、スピノザ的・ドゥルーズ=ガタリ的な「非人称的なものの世界」(96)の無差別を指し示していると論じています。これはランシエール的な意味での政治、感性的なものの分割=分配(パルタージュ)の撹乱による「主体化」とは対立する「主体解体のプロセス」とまとめられています(73-75, 訳者解説382)。

 こうした主体解体の政治は、『解放された観客』において別の政治として、つまり芸術ジャンルの混交として語り直されます。すなわちフローベールによるミクロな出来事の記述――土埃、虫、水滴――はここで、文学と絵画の論理の絡み合い、役割交換として解釈されるのです。「こうした光景(タブロー)は(…)もはや叙述(ナラシオン)に表現力を付け足すものではない。むしろ、描写と叙述、絵画と文学の役割交換なのだ。非人称化のプロセスは、ここで絵画的受動性による文学的能動性への侵略として言い表せる」(SE 131; 158)。美学的著作において前景化されるのは、美的経験のもたらす感性的なものの分割=分配(パルタージュ)の再編成、つまり主体化としての政治のほうです。

 最後に、訳者解説では、「文学」という装置を用いて様々な身分やジャンルを横断するランシエール自身が、「いかなる位置に立って思考しているのか」という問いが立てられます(訳者解説397)。これについて補足するならば、ランシエールは思考する主体の身分をずらすエクリチュールの方法として、自由間接話法の実践を提起しています。というのもそれは、引用を行う主体と引用される対象との――直接話法や間接話法では明確な――区別を曖昧化させることで、例えば引用者=大学人=客観的言説/被引用者=労働者=経験的言説といった二者の身分規定を揺るがす、「平等なエクリチュール」(ME 62; 71)たりうるからです。自由間接話法によって主体が別の主体、別の言説ジャンル、別の文体へと渡り歩くとき、その主体の実践はまさに「闖入者」のそれであり、そこに垣間見えるのは、エクリチュールが身分規定される以前の境位、いわば文学的無差別の場だと言えるでしょう。


略号一覧

A: Jacques Rancière, Aisthesis: Scènes du régime esthétique de l’art, Galilée, 2011.

ME: ―, La méthode de l’égalité : Entretien avec Laurent Jeanpierre et Dork Zabunyan, Bayard,2012.〔市田良彦・上尾真道・信友建志・箱田徹訳『平等の方法』航思社、2014年〕

PS: ―, Le partage du sensible : Esthétique et politique, La fabrique, 2000.〔梶田裕訳『感性的なもののパルタージュ——美学と政治』法政大学出版局、2009年〕

SE: ―, Le spectateur émancipé, La fabrique, 2008.〔梶田裕訳『解放された観客』法政大学出版局、2013年〕


[1] Gustave Flaubert, Lettre à Louise Colet, 25 juin 1853, Correspondance, II, présentée, établie et annotée par Jean Bruneau, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1973, p. 362.〔ギュスターヴ・フローベール、ルイーズ・コレ宛て書簡(1853年6月25日)、『フローベール全集』第9巻、筑摩書房、1968年、161頁〕

[2] 以下、『文学の政治』からの引用は邦訳頁数のみ記す。

[3] Jacques Rancière, Le destin des images, La fabrique, 2003, p. 119.〔ジャック・ランシエール『イメージの運命』堀潤之訳、平凡社、2010年、139頁〕

[4] ちなみに『文学の政治』においても、ブレヒト以外に、明示的に政治的と言われるタイプの現代作品への論及がみられることは指摘しておくべきでしょう。ドス・パソス『USA』がそれです(50-51)。


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