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ジャン・ポーラン『かなり緩やかな愛の前進』(榊原直文訳、水声社、2022年)/ 久保田斉也

 本書は、ジャン・ポーランによる初期短編の翻訳集である。五つの短編物語が収録されているが、どれも、ジャン・ポーランの執筆活動において、初期段階に書かれた作品となる。ジャン・ポーランは、日本において、翻訳も数少なく、その内実があまり知られている人物とは言い難い。彼は、1884年にフランスのニームで生まれ、1968年にパリで死去した。彼の簡単な略歴紹介が、本書末尾になされているので、その紹介を参照することで、ポーランの人物像の輪郭を捕らえることができるだろう。

 本書に収録されている作品は、ジャン・ポーランが、1915年から1920年にかけて執筆しているもので、彼がほぼ30歳代前半に書いた短編物語となる。彼の長い執筆活動の中でよく知られているものは、『タルブの花-文学における恐怖政治[1]』を始めとする評論や批評となるが、執筆活動の始まりの段階で、短編物語をいくつかものしており、それら物語の中の五つを訳者が選び、短編物語集が編まれることとなった。

 本書に収められた短編物語のタイトルは、掲載順に、『ひたむきな戦士』、『かなり緩やかな愛の前進』、『苛酷な恢復』、『渡られし橋』、『習慣を失くすエトレ』である。これら物語で扱われている内容は順に、第一次世界大戦におけるある兵士の体験、ひとりの男性と三人の女性との恋愛、肺炎からいかに恢復するか、ある男が見た夢の記述とその解釈、そして、ある殺人事件とその結末、ということになるのだが、これら初期短編で扱われている主題のなかに、その後のジャン・ポーランにおける仕事の中心的主題が、ほぼ出そろっていると言えるだろう。


言葉と意味

 本書の四つ目に収録されている『渡られし橋』は、ある男が見た夢の記述とその解釈が記されている物語である。この短編は1916年に書き始められているが、ポーラン自身の注によると、この当時、フロイトによる精神分析は、まだフランスには紹介されてはいなかったという。フロイトと同時代を共有したポーランの関心の一つが「夢」であったということは、困難な時代、そしてその困難な時代を生きる人々を解読する鍵としての「夢」が注目されていたことの証であるとも言えるが、この短編で語り手は、ある男が見た夢を次のように書き記している。夢の中に出てきた一人の男が口にした言葉は、夢を見ている当人は実は知らない外国語であったのに、その外国語を既知のものとして自分流に解釈し、意味を把握したつもりになっていたというものだ。語り手は、この事態を物語の中で、「その言葉がぼくを捕らえたのだろう。ぼくは、まさに文として表現されようとするその瞬間に、その一部を自分の方へ拐かすようにして、その意味を先んじて捉えていたに違いなかった」と記す。十分に習熟していない言葉を理解しようとするとき、より多く、あるいはより少なく、表現が含み持っている「一部」の意味を、「自分の方へ拐かすようにして」「先んじて」捉えてしまうこと。言葉をまるまるそのものとして捉えるのではなく、短絡回路としての分析と解釈に身を委ねてしまうこと。しかし、こうしたことは、十分に習熟していない言葉の理解にのみ関わることではない。十分に理解したつもりになっている言葉に関しても起こりうる事柄なのだ。この言葉と意味に関する主題について、ポーランは長い時間をかけて取り組むことになるが、とりわけ、彼がマダガスカルに教師として赴任していた際に経験する「ことわざ」(ハイン・テーニ)についての論文、『ことわざの経験[2]』(1925年)で詳しく論じられている。『渡られし橋』は、「夢」という主題を用いながら、言葉と意味の関係、つまり言葉の解釈、あるいは解釈という行為そのものの内実に迫る短編となっていると言えるだろう。

 この解釈という行為、言葉と意味の関係は、別の観点から捉えた場合、ポーランにとって馴染み深いもう一つの主題へと関連付けられる。そのもう一つの主題とは、投影である。


投影/外部を欠いた投影

 本書の五つ目に収録されている『習慣を失くしたエトレ』は、ある殺人事件とその結末について書かれた物語である。この物語の中心人物は三人、軍曹エトレ、軍曹ゲットルー、そして一准尉である。この三人は、マダガスカルにおいて、三百人のセネガル人女性を、彼女たちの夫のいる植民地軍へと護送する任務に就いている。その護送の際に殺人事件が起こった。犯人は誰なのか? この謎に答えるべく、准尉は、軍曹であるエトレとゲットルーが記録として残していた日記を読み始める。准尉は始め、その日記に、二人の軍曹の筆跡を認めていたが、日記の途中から、一人の軍曹エトレの筆跡のみを認めるようになる。そして筆跡が軍曹エトレだけになると同時に、書かれる記述の内容がとりわけ詳細になることに、准尉は気づくのだ。その変化に、エトレ自身の内的変化を読み取った准尉は、日記のある記述が、「自分に向けられた合図だとわかる」。ところがその「合図」とは、准尉が日記に書かれた文字に読み取った准尉自身が起こした過ち、すなわち護送中のセネガル人女性から預かったお金を着服しようとしてしまっていたことをほのめかしているのではないか、というものだった。つまり、准尉が、彼自身の気がかりを、そのように明示的には書かれてはいない日記に読み込む、言い換えれば、准尉自身の気がかりを、日記に投影したということだ。

 そして、この准尉に起こった投影という機制が、エトレ自身にも起こる。准尉に生じた投影は、自らの気がかりを日記という対象に投げかけたものであった。しかし、エトレの場合は、自らの気がかりを投げかける対象を欠いた投影、外部を欠いた投影とでもいうべきものであり、自らの気がかりを自分自身へと投げかけるものとなる。その時におけるエトレについての物語記述は、このようなものだ、「時の経過とともに自明な事柄が減りゆき、ついには自分の歩く姿を、外側から別の男が見ているように見るに至るのだ。疲弊し、後悔に心奪われるときなど、綴りを間違えたり言葉に詰まったり、あるいは極度に正義にこだわったり原因を追及したりするあまり、ひとつ事に拘泥し、普段なら習慣を身につけるところを逆に身につけた習慣を失くしていく」。外部を欠いた投影、自分自身に向けられた投影という状態、その状態を語り手は端的に、「彼(=エトレ)は内側に入ったのだ」と表現している。内側のみの世界、自らの内側で堂々巡りをしている世界では、やがて自明性の喪失、習慣が失われるという結末が生じることになる。

 この投影という機制がもたらす作用については、ポーランが折に触れて書き記している。例えば、手に取ることができる邦訳作品、『タルブの花-文学における恐怖政治』や『百フランのための殺人犯/三面記事をめぐる対談[3]』においても、投影、つまり、部分を全体に「投影」すること、結果を原因に「投影」すること、あらかじめ抱いている固定観念を対象に「投影」することなどに触れながら、それら「投影」がもたらす精神的「幻想」について論じている。


徴を読むこと

 『習慣を失くしたエトレ』における准尉は、日記に書かれた単なる記述に「自分に向けられた合図」を読み込んだ。この投影から逃れるためには、あるいは投影がもたらす「幻想」から醒めるためには、どのようにしたらよいか? 閉じられた「内側」から抜け出るためには、どのようにしたらよいのか?

 その疑問に対するポーランの答えは、大げさなものではなく、ごく慎ましやかなものである。書かれた文字を、あるいは発話された言葉を解釈すること、それは匿名の誰かがするのではなくその人自身がする以上、広い意味で何らかの投影的な作用が働いている。ただ、その際、ある部分を「自分の方に拐かすように」「先んじて」捉え、その部分を全体と思わないこと、つまり解釈の短絡回路を避けることが肝要だ、とポーランは言う。本書の三つ目に収録されている物語、『苛酷な恢復』のなかで、「単なる気晴らしに過ぎず、忘れられて当然と思えることは、一つとしてないのだ」、とポーランは書いていた。物語の一部として組み込まれている気取らない文だが、この一文に込められているはずの認識は、ポーランが物事に接する際の基本姿勢であり、人にも注がれる優しさでもあった。

 本書の二つ目に収録されている短編、『かなり緩やかな愛の前進』において、「生きてゆく中、欠点をどのようにすれば良いだろうか。それが長所となるのを待たなければならないのだ。できれば我慢強く。」と書かれていたように、肝要なのは、性急さでもなく、短絡回路でもない。まして、即時全面解決でもない。困難と根気よく付き合いながら、あるいは繰り延べながら、その困難を反転させる契機を待つ。何一つ特権化しない漂う注意力と淡々たるソフィストケーションが大切であり、まず意味を欠いた徴をそのものとして受け止めること、そしてそのつどの意味の立ち上がりに出会うことが重要である。

 このような姿勢は、時代の趨勢とは何ら関わりはない。ポーランの好きな言葉である「どこにでもいる人」(le premier venu)、つまり、先入観や偏見なしにその場その場で認識し判断しようと試みる人にとっての、本当のことを求めようとする、奇を衒わない術である。ポーランは、晩年の「アカデミー・フランセーズ入会演説」のなかで、「楽園はすぐそこにあるように思われます。われわれがそれを見る術を知らないのです」と語っていた。「楽園」はすぐそこにある。そのことを思い起こさせてくれるものの一つとして、本書は存在するだろう。


研究動向

 最後に、最近のジャン・ポーラン研究の動向をお伝えして締めくくりたいと思う。個別的な研究は近年進んでいるが、そのなかでも、ジャン・ポーラン研究を牽引している「Société des Lectures de Jean Paulhan」(Société des Lecteurs de Jean Paulhan — SLJP (jeanpaulhan-sljp.fr))という協会があり、ポーラン作品に関する網羅的書誌の掲載から始まり、研究会の情報や協会の会報も出しており、現在の研究動向を知ることができる。

 また、「Site de Jean Paulhan」(Jean Paulhan et sa constellation (jean-paulhan.fr)) というWeb サイトでは、ポーランの論文が初出した雑誌(例えば 「Commerce」 や 「Mesures」)を始め、いくつものポーランに関連する資料にアクセスできる環境が整っている。

 以上二つの場を中心にフォローしていくと、ジャン・ポーラン研究の大枠が、また研究に必要な資料一覧が見渡せるようになっている。

[1] 『タルブの花-文学における恐怖政治』、ジャン・ポーラン、野村英夫訳、『言語と文学』所収、書肆心水、2004年12月30日。

[2] Jean Paulhan, « L’expérience du proverb » dans Œuvres complètes de Jean Paulhan, t. II, Cercle du Livre Précieux, 1966, pp. 97-124.

[3] 『百フランのための殺人犯/三面記事をめぐる対談』、ジャン・ポーラン、安原伸一郎訳、書肆心水、2012年10月13日。

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