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【翻訳】ジャン・モレアス「花の敷かれた道」(『情熱の巡礼者』所収)──翻訳と註解の試み / 森本淳生・鳥山定嗣

更新日:2023年2月2日

端書き 以下に示すのは、ジャン・モレアス『情熱の巡礼者』所収の「花の敷かれた道(« Jonchée »)」の日本語試訳と註解である。同詩集に収められた「アニェス」についてはすでに本ブログに翻訳と註解を掲載しているのであわせてご覧いただきたい。翻訳にあたっては初版(Moréas, Le pèlerin passionné, Léon Vanier, 1891)を底本とし、それ以降の諸版を適宜参照した。なお、ブログの性質上、ルビを振ることができないので、かわりにポイントを落とし括弧を付して挿入した。(森本記)



花の敷かれた道


   口上


ペテン師のような黄金の悪知恵[1]で、

ある者は己の悪名[2]の身繕いをする。

そして侮辱的な冬がねらっている

詐欺師のような月桂樹の葉で

別の者は己の頭を飾る。

陰謀や見せかけの豪華など

私には興味がない、もし

わが親指よ、おまえが敏捷に

一対の[3]弦の上を動いて

嫉みや愚かな者たちを皆ものともせず、

(ピロメラ)たちのおしゃべりを

小川のささやき[4]に混ぜてくれるのなら[5]


おお、あのふたつの頂がある山[6]の上で、

アッティカの蜜[7]の杯を

掲げるあなたたち[8]、その声が

豊かな房飾りある巻貝喇叭(ブッキーナ)を呼び寄せる[9]

ニンフたち、優美な一群、

不作法で無知な者には

その住まいを堅く閉ざす者たちよ[10]

生まれながらに恵まれたわが熱狂は

あなたたちの法則に従って

確実な仕事へと向けられた[11]

ちょうど猛る若駒が

(くつばみ)によって操られるように。


竪琴が誇らかに歌いあげる

甘美な調べのアガニピデスよ[12]

私の心はあなたたちのおかげで

瑞々しいままで、詩の知恵をえた。

粗野な者には嫌われる

よく練り上げられた技芸を

いまや私が生み出せるようにと。

あなたたちの実り豊かな息吹が

私の役立たずの口を聖別するときにこそ、

不相応な私にもできるのだ、

気高い音と高貴な文体で

〈フランスの律動〉を高めることが。



   エレジー 第一


それは、プレイヤデスの雨降りしきる苦境が[13]

   落葉した[14]森を苦しませる[15]ときのことではなかった。


当時、ゼフュロス[16]がグラティアたち[17]の戯れに

風を送り、胸赤鶸[18]のささやかなお説教が響いていた。

当時は、スパイスも、庭園の喜び[19]である朝露も

満ち満ちていた。そのとき、君はこう語った。


「私たちの先を行く時間が逃れ過ぎ去っていくのが見えました、

どんな狩人も決して追いつけぬ鹿のように。

移り気にみちた春である昨日の私たちの花々と

冬、そして夏が、同じ時点にあるかのように見えました。


「おお、可哀想ないとしい人、このふたつの[20]前兆は

澄んだ鏡に映るよりもはっきりと私の内面に映ったのです。

これこそ休息。そして、私の心が乱れるとすれば

それは君の空しい絶望に憐れみを感じるとき。


「求婚[21]などは学識に劣る心にまかせておきましょう、

そんなことは虚しい願望[22]だとしておきましょう。

だって、知らないのかしら! この雲散霧消する影から

私たちは死んでしまう前に何を掴まえられるというのでしょう。」



   エレジー 第二[23]


トルコの矢[24]よりもいっそう手痛く

愛という甘く快い弓は傷を負わせる

田舎の少年にも偉大な王にも[25]


そのような恋煩いや弱さゆえに、

神を忘れ、名誉を失ったのだ[26]

軟弱を憎んでいた〔はずの〕ダビデは。


それと同じようにもう一人の男、かつて

いとも賢明な預言者であったソロモンは、

大いなる名声を惨めにも失った[27]


見せかけの口と見せかけの顔、

優美な湖をたたえる優しい瞳が

恥を隠す、耐えがたい惨死をも[28]


アガメムノンはそういうことを喜ばなかった[29]

それゆえ、怒りに駆られたヘレナは

メネラオス公[30]をして彼に会いにいかせた。


アキレウスはポリュクセネ[31]に尽くした。

リュディアの女のもとでヘラクレスは[32]

羊毛好きの小さな糸巻き棒で紡いだ[33]


セレウコスはストラトニケの

支配のもと封臣の身に甘んじた、

トロイラスはクレシダの[34]


赤みの差した顔[35]になびいて、

巻貝喇叭(ブッキーナ)[36]に耳を傾けなかったのだ

賢者というにはあまりに勇ましいアントニウスも。


また博学にして、妻ファウスティナのこと

以外には[37]無頓着なマルクス・アウレリウスは、

みずからの月桂樹が灰にまみれる[38]のを目にした。


かくして、純金にまさる髪をもつ

女の後見人の職にあって、

(ああ! 不実にして冷酷な女)、


私はペルメソスの霊川[39]をも虚しくおもう、

そして私の息吹は激しさに欠け

あの神々しい葦〔笛〕に命を吹き込む力もない


フランス中にわが名を響かせていた葦〔笛〕に。



   エレジー 第三[40]


                    プシュケ、わが魂。

                     エドガー・ポー[41]


それはあたかもファルサルスの戦場だった。ぞっとする

        負傷兵たちが

  塹壕のほとりで死んでいた。――

  そこへ、私たちは二人して舞い戻った、

           わが魂、プシュケとともに。


  そして私は彼女に言った「そうではないか」私は彼女に言った

「あの凱旋門の数々のなんたる崩壊、あの戦利品の数々のなんたる悪趣味!」

  ああ、われらの武器は呪われていた、呪われていたのだ

        われらの旗は!

            わが魂、プシュケよ!」


それはあたかも〈煉獄〉だった、追い詰められた亡霊たちは

  そこで恥ずべき額をあげていた、

  身もだえし指までよじっていた[42]。──

 そこへ、私たちは二人して舞い戻った、

           わが魂、プシュケとともに。


そして私は彼女に言った「そうではないか」私は彼女に言った

  「ああ、地獄に落ちて悔恨に責め立てられる者たちを、

  〈天国〉の優しい花園に

   連れゆく者など決していない、

            わが魂、プシュケよ!」



   果たし状[43]


 私はわが敵、愛の神(アムール)に言う。——とるにたりぬ小姓、

 私になにか勝るところがあるとうぬぼれるおまえよ、

 見てごらん、私の兜の羽根飾りをなすのは

瑞々しい容色(すがた)の〈歓待〉、〈すばらしい会話〉、そして、私を甘やかす

 〈美しいご婦人たち〉の思わせぶりな秋波[44]


 私はわが敵、愛の神(アムール)に言う。——見えないかい

 言葉巧みな〈誇り〉をほどよく備えた私の腕甲[45]

 腿当てと草摺り、はては陽気な勇気から

 生れる私の鉄靴、そして〈大胆〉が私の右手に

      接ぎ木したこの矛が!


 槍を、時宜を得ぬ甲冑を砕くには

    (愛の神(アムール)は私に言う)

 ぼくには〈見せかけ〉しかないけれど、その持ち主は

     君をよく臆病にした〈あの婦人(ひと)〉ですよ。



   気晴らし(パス=タン)


新しい絹の白、いま産み落とされた卵、

    解けることのない雪、

あなたのふたつの乳房のこと、これほど透き通っていなければ、

    たがいにとりつく島もなかっただろう。


極上のエメラルド、いくつかの輝緑岩(オファイト)

    小粒の琥珀からなる数珠であっても[46]

かつて私を喜ばせた[47]あなたの瞳に

    決してかなうことはなかった。


縮緬(クレープ)が包むあなたの顔の前では太陽も姿を隠し、

    あなたの容色を見ては

サクランボも悔しがり、いまは盛りの

    薔薇の花も色あせる。


乾酪(ジョンカード)[48]、揚げクリーム[49]入りのマルメロの実、

    パテ、タルト、(おお、あなたよ!)

禁欲の四旬節にはなお一層、より甘美なのは

    あなたとの濃厚な口づけ。



   エピグラム[50]


おまえたちを悪しき力から守るため、

〈愛〉の旗[51]と幟よ、

私はおまえたちにわが髪を与えた

北風に吹かれる波の色をした髪を[52]


愛情のこもった銘を刻んだ盾よ、

まったき忠誠を示す盾よ、

私はおまえたちにわが誇り高い目を与えた

おまえたち自身の卑俗さと引換えに。


旋律と芳香の杯よ、

おまえを陶然とさせるべく

私はおまえにわが溌剌とした口を与えた、

薔薇の木に薔薇の花々を添えるごとく。


みずからの華やかさ[53]に注意を凝らす

着付け係と侍女たちよ、

私はおまえたちにわが手を与えた

王の額の冠よりも高貴な手を。


また私はおまえたちに与えた──おお、なんたる浪費!──

また私はおまえたちにたっぷりと与えた、

わが思考の宝のすべてを

豚に真珠を与えるように。



   わが悪、私は魅了する[54]


 おまえ、禍々しい目よ、あるいは星の

悪意よ、いつも正確には鳴らぬ時刻よ、おまえが何者であれ、

 醜い存在よ、なんと[55]、おまえはまだ私に災いをもたらそうとする。


 おまえは、また以前の口で、騒々しく

 いつもの調子で口笛を吹きに来ないのか[56]

 快活に動く私の指におまえの仕草を絡ませて

 私にかつてのことを思い出させようとしないのか![57]


 あの日々以来、まさにあの日々以来、私はいっそう確実に

 アガニッペーの泉の洗礼を受けたのだ[58]、おお醜い小人の地の精よ[59]

 おまえはつぶさに知りえるだろう

 私が快活な魂の持ち主かどうか、また私がいかなる名で呼ばれるかを。

 というのも、たとえおまえの夜に、たとえおまえの疾風に打ちのめされるとしても、

     優美な錯乱で、

 私は、〈竪琴〉の最も高い調べに乗せて

  天高く昇った太陽と、春を語るであろうから。



   戦勝杯(トロフィー)


  若々しい庭園の色あざやかな幻、

  その芳香、四つ辻のすえた匂い、

  泉がささやくようにそっと触れたり、

  粗い布地でするように不安げに擦ったり、

      そいつは〈怪物〉だ。


  おお、おまえ、おお、おまえ、おまえの年齢でこいつを知ったのだ

    花咲く年ごろに、

  また足早に急ぐ秋の敷居にさしかかるまで。


  ああ、おまえ、あの守護の声が祝福されてあらんことを

  おまえの運命[60]に向かってざわめきながら

    怪物を舷墻に打ち倒したあの声が。

  というのもおまえは、いまや、船尾にサトゥルヌスの風を受けても

    動じない者ではないのか[61]

そして、望めば、杯のなかで笑い興じるワインのように

   浮かれた[62]瞬間を味わえる者ではないのか!


[1] 原語はBaratで、Dictionnaire du Moyen Français 1330-1500 (DMF)によれば、ruse, tromperie, tricherie, fourberieの意。

[2] 原語はdiffameで、DMFによれば「名誉を傷つけられること(Fait de diffamer ou d’être diffamé, allégation, imputation diffamatoire, déshonorante, outrage, opprobre)」、「不名誉、恥辱(Mauvaise réputation ; déshonneur, honte, infamie)」を意味する名詞。

[3] 原語はjumelles(一対の、双子の)だが、古代ギリシアの弦楽器(リラ、キタラ)に二弦のものはなかったようである。不詳。

[4] 原語はsusurreで、現代語ではsusurrementのかたちが普通。Trésor de la langue française(宝典)にsusurreは採項されていない。DMFではléger bruit, murmureと説明されている。

[5] 1891年版もそれ以降の版においてもここでページが変わっており、詩節の切れ目が不確かであるが、12行詩節3連の構成と思われる。

[6] 原語はle double montで、パルナッソス山を指すと思われる。「パルナッソスの山中の、二つの聳ゆる岩」(ソポクレス『アンティゴネー』、1126行、『ギリシア悲劇全集』、岩波書店、全13巻、1990-1992年、第3巻、p. 307)「ディニューソス神を称えてバッコス女たちが集う/尾根尾根の、その上にそびえ立ち、/二筋の炎となって燃えあがる巌よ」(エウリピデス『ポイニッサイ』、226-228行、同前、第8巻、p. 124)同所訳註には、これは「パルナッソス山の頂を指す。「二つの頂きをもつパルナッソス」は古代文学における常套語句だった。」とある。

[7] ヒュメトス山は蜂蜜で名高かった。宝典(Attiqueの項)にはMiel attique. [P. allus. aux abeilles de l’Hymette, réputées pour leur excellent miel, et à la légende selon laquelle ces abeilles se seraient posées sur les lèvres de Platon qui leur devrait la douceur de son style]とあり、優れた文体の源泉とされた。

[8] v. 13以下の構文は、quiはv. 17の呼格Nymphes, gracieuse troupeにかかる関係代名詞ととり、関係節内部は、qui... levez... la coupe d’un miel Attique... と読んだ。

[9] 原語はsemondで不定形はsemondreと思われる。DMFによれば、convoquer, inviter, exhorter, stimulerなど意。ここではニンフたちの声が霊感の源泉となって、ラッパが象徴する人間の詩や音楽が生じることを言うと解釈した。

[10] 原文はQui clos tenez vos pourprisで、pourprisはDMFによれば、enclos, enceinte, bâtiment que comporte l’enclos, logisなどの意。この詩行の構文はclosを補語ととり、「pourprisをclosの状態で保つ」と読んだ。

[11] 人間の固有の情熱はムーサの法則をえて、いまや成功が確実な詩作の仕事に向かっている。

[12] アガニピデスは、ボエオティア地方アオニアのヘリコン山にあるアガニッペーの泉のニンフたち。ヘリコン山はムーサの聖山であり、アガニッペーの泉(および同じく同地にあったヒッポクレネーの泉)で飲む者は詩的霊感をえられたという(ウェルギリウス『牧歌』、第10歌12行、および、オウィディウス『変身物語』、第5巻313行)。

[13] プレイアデスは、アトラスとプレイオネの七人の娘たち。狩人のオリオンによって追いかけ回されたため、ゼウスによって鳩に、ついで星(プレヤデス星団、いわゆる昴、六連星〔むつらぼし〕)に変じられた。この冒頭二行(Ce ne fut, quand, des Pléiades, le déclin pluvieux / Moleste le bois dénu.)は難解だが、déclinはこの彼女たちの苦境を原イメージとする「冬の雨」を比喩的に表現するものと解釈した(ちなみにプレヤデス星団は冬の星座とされている)。déclinは雨天によって昴の星々が見えなくなっていることを含意しているかもしれない。要するに「冬ではなく、(以下に歌われるように)春のことである」ということであろう。

[14] 原語はdénuで、DMFや宝典に記載なし。接頭辞のdé-および形容詞nu(裸の、剥き出しの)の合成語と理解しておく。

[15] 原語はmolesteで、主節の否定形ce ne futを受けた接続法現在。

[16] 西風の神。

[17] 美と優雅を司る女神たち。

[18] 原語はlinotsでDMFによればlinotte(ムネアカヒワ)のこと。

[19] Soulasは男性名詞で「喜び、慰み」の意(DMF : I. - "Plaisir ; réconfort" : A. - "Plaisir, agrément, divertissement" ; B. - "Réconfort" : 1. "Réconfort" ; 2. "Aide, soutien")。

[20] 前段落で言われる、時間の無情な流れと幸福な永遠の「ふたつ」を指すのだろう。

[21] 原語はprétendreで、古語表現の「求婚する」の意味に解釈した。

[22] 原語はvueilでDMF(veuilの項)によればveuil (= volonté)の異形。

[23] 1893年改訂版のみ、この詩に「テルツァリーマ(Tierce-rime)」というタイトルを付している。

[24] 原語はtrait turquoisで、DMFによれば、turquoisはturcと同義の形容詞。

[25] 原語はRustiques garçons et grands roisで、冠詞が付されていない。以下、無冠詞の例が散見する。ラテン語風ないし中世語風の語法を含意するか。

[26] Dieu oublia et diffame eut / David... 構文としては、Davidを主語、Dieu をoubliaの目的語、diffameをeutの目的語ととる。

[27] Salomon... / De grand renom piteux déchut. 構文上はpiteuxを直前のrenomにかける解釈(「惨めな名声」)も可能だが、意味の上から主語を修飾する形容詞(文全体にかかる副詞的用法)と解釈した。

[28] 構文としては、Bouche feinte et feinte figure, / Yeux bénins aux gracieux lacsを主語、célentを動詞、Honteおよびmal’mort dureを目的語ととる。なお動詞célentの綴りは後年の異文(Poésies, 1898 ; Poèmes et Sylves, 1907)ではcèlentに修正されている。Mal’mortは女性名詞malemortで、宝典には「悲劇的な死」を意味する古語表現とある。eの脱落は8音節にするため。

[29] 原文はAgamemnon n’en eut soulasで、soulasは既出、Enは前節の内容を受けていると思われる。

[30] メネラオスはヘレナの夫であり、アガメムノンの弟にあたる。この詩節の含意は不詳。

[31] ポリュクセネはトロイア王プリアモスの娘。

[32] リュディア女とは女王オンパレのこと。ヘラクレスの原語はHerculusであり、ピエール・ルイスがラテン語に強いと知ったモレアスは、この後期ラテン語の形について尋ねている(『三声書簡1888-1890』、水声社、2016年、633頁)。

[33] 原文はfila quenouillette aime-laineで、動詞と名詞による合成語aime-laineはqui aime la laineの意味にとる。quenouilletteは動詞filerの直接目的語の位置にあるが、意味の上からこのように訳した。

[34] シリア王セレウコス1世はマケドニア王女ストラトニケと結婚するが、後に息子に彼女を譲る。トロイラスはトロイア王の息子、神官カルカスの娘クレシダと恋仲になる。

[35] クレオパトラを指す。

[36] 原語はbuccinで古代ローマの軍隊で使われるラッパ。

[37] 1891年の初版には forsのあとにカンマがあるが、後年の版ではカンマが消去されている。

[38] 原語ordsは宝典によればD’une saleté repoussanteの意味であり、ords de cendreと解釈した。

[39] Le Permesse は、ギリシアのボイオティア地方にあるヘリコン山を源流とする川。ギリシア神話では、この河神ペルメソスの娘アガニッペーは「ムーサたちの泉」と称され、「この泉の水を飲んだ者には詩の霊感が与えられたという」(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)。ヘシオドス『神統記』の冒頭にもヘリコンのムーサたちとともにペルメソス川への言及が見られる。「ヘリコンの詩神(ムーサ)たちから歌い始めよう。/神さびたヘリコンの巨大な山塊に住み、/菫色なす泉の周りを、また神威至大のクロノスの子(ゼウス)の/祭壇の周りを、嫋やかな足もて舞い踊り、/ペルメッソスの流れに、あるはまた、ヒッポクレネや、/神さびたオルメイオスの流れに柔肌を浄めると、/ヘリコンの頂にて足どりも軽く、/美しく艶やかな舞いをする女神たち。」(中務哲郎訳『神統記』「序歌」、ヘシオドス『全作品』西洋古典叢書、2013年、92頁)

[40] 1893年改訂版ではこの詩は削除されている。

[41] ポーの詩「ユーラルーム」からの引用。« Here once, through an alley Titanic, / Of cypress, I roamed with my Soul — / Of cypress, with Psyche, my Soul. » (« Ulalume — A Ballad. », strophe 2) モレアスはマラルメ訳のフランス語(Psyché, mon âme.)を掲げており、詩のなかのリフレイン「わが魂、プシュケとともに」(avec Psyché, mon âme.)も同じくポーの詩のマラルメ訳からの引用である。

[42] 原語はse tordre les doigtsであり、慣用表現se tordre les mains (les bras) 「(絶望や苦痛のあまり)身をよじらせる」のヴァリエーションと解釈した。

[43] 原語のCartelは詩の内容を踏まえて、「宣戦布告(書)」、「決闘状」(ロベール仏和大辞典)の意味にとった。

[44] 原文はl’œilladé présageで、œilladéは珍しいがœillade(秋波)の動詞形œilladerの過去分詞。「秋波によって示される(好意の)前兆」、すなわち「思わせぶりな秋波」。

[45] 原文はNe vois-tu point / Orgueil gorgias mes brassards garnir à pointで難解であるが、garnir(備えを与える)の目的語としてmes brassards以下の鎧の部位と武器(cuissards, tassette, soleret, épieu)があると読み、Orgueil gorgiasは名詞の並列でvoisの目的語およびgarnirの意味上の主語、gorgiasは同名のギリシアのソフィストの一般名詞化(「巧みな弁舌」)と理解した。いずれにせよ、この節は女性を上手に口説く「私」の魅力を優れた甲冑に喩えている。

[46] Capelets de fine émeraude, ophites, / Ambre coscotéはラブレーからの自由な引用。coscotéは宝典によればQui est en forme de petite boule, en grainsの意。« J’en sais un beau chapelet de fines émeraudes marchées d’ambre gris, coscoté, et à la boucle un union persique, gros comme une pomme d’orange. »(「私は、極上質の碧玉に丸い竜涎香の飾り珠を交え、止め珠には、オレンジほどの大きさのペルシヤ大真珠をつけた実に見事な数珠を一つ存じて居りますよ!」、『ラブレー第二之書 パンタグリュエル物語』、第21章「パニュルジュがパリの或る貴婦人に恋慕したこと」、渡辺一夫訳、岩波文庫ワイド版、1991年、p. 165-166)

[47] 原文は[les] yeux, dont soulas me fites [= fîtes]で、関係節はdont vous me fîtes soulas [=plaisir]と読んでles yeuxにかける。

[48] joncadeはイグサ(jonc)の籠で水分を切って作ったクリーム・チーズ。jonchéeとも言う。ポール・ラクロワがニコル・ド・ラ・シェネの『饗宴糾弾——教訓劇』(Nicole de La Chesnaye, La condamnacion de banquet, moralité (1507))という戯曲につけた註を参照(Recueil de farces soties et moralités du quinzième siècle, réunies pour la première fois et publiées avec des notices et desnotes par P. L. Jacob, bibliophile [Paul Lacroix], Adolphe Delahays, 1859, p. 334)。なお、この戯曲には「パスタン(Passetemps)」なる人物も登場している。詩篇のタイトル「気晴らし(パス=タン)」も含め、モレアスは本作を書くにあたってこの戯曲に想を求めたのかもしれない。

[49] 原語はfrite crèmeで、ラクロワ校訂の戯曲集註(ibid., p. 334)が引くタイユヴァンの説明によれば、煮立たせたクリームに粉状にしたパンや卵の黄身を加え、砂糖で甘みをつけたものを言うらしい。

[50] 1891年の初版におけるタイトル(Épigramme)。その後、1898年刊行の『詩集』および1907年刊行の『詩篇と森林』では「ジュリエットに対して(Contre Juliette)」と変更される。Jean Moréas, Poésies (1886-1896), Paris, Bibliothèque artistique et littéraire, 1898 ; Poèmes et Sylves, Paris, Société du Mercure de France, 1907. なお1893年の改訂版ではこの詩は削除されている。

[51] 原語pennonは中世に関連する語。中世の騎士が槍の先につけた長三角旗。

[52] 「波」の原語はflotsであり、北風の吹きつける海のイメージと、旗や髪が風に波打つイメージが重ねられていると思われる。

[53] 原語はarroiで、「アニェス」第5詩節にも用いられている。日本ヴァレリー研究会ブログLe vent se lèveに掲載された「【翻訳】ジャン・モレアス「アニェス」(『情熱の巡礼者』所収)──翻訳と註解の試み / 森本淳生・鳥山定嗣」の註11を参照。

[54] 原語タイトルはMon mal j’enchanteであり、Mon malは呼びかけの対象ともenchanterの直接目的語とも解釈できよう。

[55] 原語は1891年初版および1893年改訂版ではçaだが、その後1898年版、1907年版ではçàに修正されている。

[56] 「いつもの調子で」と訳した原語はton antienneで、ミサで唱えられる「交唱」あるいは「繰り言」の意。ここでは詩作のあるべき姿を乱す調子を言うのであろう。

[57] すらすらと作品を書ける私の邪魔をして、かつての詩作の失敗を思い出させることを言うのであろう。

[58] 原文はon m’a tenu / Plus sûrement sur les fonts Aganippiquesであり、定型表現tenir qn sur les fonts(〜の代父/代母になる)に基づく表現。fontsは定型表現では洗礼盤(fonts baptismaux)を含意するが、もともと「泉」(ラテン語fons)であり、ここでは「アガニッペーの泉」が洗礼盤に見立てられていると思われる。アガニッペーの泉のニンフたち「アガニピデス」は「花の敷かれた道」冒頭の「口上」にも現れる。註12を参照。

[59] 原語はgnomeで、ユダヤ教などで地中の宝を守るとされる地の精。醜い小人の姿をしている。

[60] 初版では印刷のかすれでほとんど見えなくなっているが、ta [f]ortuneと読む。

[61] サトゥルヌスはおそらくヴェルレーヌの『サチュルニアン詩集』(1866)を踏まえており、不幸とメランコリーの象徴としての土星を含意しているだろう。

[62] 初版では印刷のかすれでほとんど見えなくなっているが、[f]rivoleと読む。

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