端書き 以下に掲げるのはフランス象徴主義の代表的詩人のひとりであるギュスターヴ・カーンの詩集『放浪する宮殿』(Gustave Kahn, Les Palais nomades, Tresse et Stock, Éditeurs, 1887)の劈頭を飾る詩篇「主題と変奏」(« Thème et Variations »)の日本語訳である。前年1886年9月にジャン・モレアスが発表した「宣言」によって、「象徴主義」はすでに文壇の議論の的となっていたが、『放浪する宮殿』はそのなかでも、伝統的な韻律から解放された自由詩を初めて全面的に試みた詩集として知られている。ただし今回訳出した「主題と変奏」は定型的な韻律でそのほとんどが占められており、カーンが自由な韻律の実験へと船出していくその出発点に位置づけられているとも言えるだろう。マラルメはヴァルヴァンの別荘で認めた1887年6月8日付けの手紙の中で、カーンに詩集の感想を次のように述べている。
さぞかしあなたは誇らしく思っていられることでしょう! わが国の文学において、そしていかなる国の文学においてもそうだと思いますが、国語の公式なリズム、われわれの昔ながらの〈詩句〉を前にして、ひとりの男が独力で自分のために、完璧な、つまり厳格でいてかつ魅力をそなえたもうひとつの詩句を創造するというのは、まさに初めてのことです。これこそ前代未聞の冒険と申せましょう! ここから引き出される新しい観点とは、音楽的に組織された者は誰であれ、自分を支配する特有のアラベスクを聴きながら、それを書き取ることに成功しさえすれば、一般的な典型(われわれの街における公共の記念建造物のごときものになってしまった)とは別に、おのれのうちにひとつの韻律法を作り出せるということなのです。それはなんと甘美な解放であることでしょう! というのも、よく心に留めておいていただきたいのですが、私はあなたが新しい形式を見つけ出してきた結果、古い形式が消え失せてしまうだろうとは考えていないからです。(『マラルメ全集』、第V巻、筑摩書房、p. 51)
自由詩の大胆な試みを賞賛しつつも、「公的な」伝統的韻律の存続を示唆するこの両義的な文面は、音節数を自由に設定することよりも伝統的詩句の内部を融通無碍に句切ることをみずからの詩法の要諦に据えたマラルメの立場を示している。自由詩と定型詩をめぐる議論は文字通り当時の「韻文=詩句の危機」を如実に示すものだった。
『独立評論』1887年5月号(p. 196-198)でテオドール・ド・ウィゼワが指摘したのも、マラルメとカーンのこうした立場の相違と、それを踏まえた上での自由詩の新しさであった。ウィゼワは詩語の不明瞭さや意識的制作の希薄さなどを批判しつつも、ハイネやヴェルレーヌの名をあげながら、「内面のいくらかは落ち着いた苦しみ」を歌う「現代における最も心地よい詩のひとつ」である『放浪する宮殿』を言祝いでみせる。その詩法の要諦は特別な「魂の状態」、「感情」の変化をイメージ豊かに、かつ、音楽的に表現することにあった。
詩をなす一連の詩節は自由にリズムづけられ、諸感情の動きだけに沿うものでなければならない。規則的であらかじめ課された脚韻の代わりに、正確で充実した脚韻を真に芸術的に用いるか、より多くの場合にはぼんやりとした半諧音によってそれと類似した感情を呼び覚ますようにしなければならない。そして、ちょうど魂の情熱的な旋風の中でイメージが現れてはすぐに消えるように、これらの詩節においてもイメージが意図的に雑然としたかたちで現れなければならない。(p. 196)
このようにウィゼワは、自由詩を自由な感情の表現を可能にするために生み出された手法として称揚し、それをバッハからベートーヴェン──そしてここでは言及されていないが当然ワーグナー──にいたる音楽の発展に擬えるのである。この1887年という年は、世界を「私」の表象とみなすウィゼワのショーペンハウアー的イデアリスムに影響されたデュジャルダンが、「内的独白」による小説『月桂樹は切られた』を、この同じ『独立評論』(5-8月号)に発表した年であったこともあわせて再確認しておこう。
なお、あくまで調べえた範囲ではあるが、『放浪する宮殿』の雑誌初出は次のとおりである。確認作業をするなかで、イルソンの古典的なカーン研究(J. C. Ireson, L’Œuvre poétique de Gustave Kahn (1859-1936), Nizet, 1962)の巻末に掲げられた書誌一覧(p. 632)にはかなり大きな漏れがあることが分かったので記しておく。また、各詩篇の冒頭には散文詩が掲げられているが、初版単行本では詩篇タイトルの前に置かれ、『初期詩篇』(Premiers poèmes, Société du Mercure de France, 1897)所収のヴァージョンではタイトルの後に置かれている。
[1] Thème et Variations(冒頭散文詩をのぞく全篇) : La Vogue, t. I, n° 3, 25 avril 1886, p. 77-83.
[2] Mélopées(冒頭散文詩をのぞく全篇): La Vogue, t. I, n° 1, 11 avril 1886, p. 26 (V : « Nocturne ») ; n° 5, 13 mai 1886, p. 162-166 (I-IV).
[3] Intermède(冒頭散文詩をのぞく全篇): La Vogue, t. I, n° 4, 2 mai 1886, p. 109 (XV : « Printemps ») ; n° 10, du 28 juin au 5 juillet 1886, p. 335-340 (I-VI) ; n° 11, du 5 au 12 juillet 1886, p. 376-379 (VII-X) ; t. II, n° 1, du 19 au 26 juillet 1886, p. 13-17 (XI-XIV).
[4] Voix au Parc(冒頭散文詩をのぞく全篇): La Vogue, t. II, n° 3, du 2 au 9 août 1886, p. 77-80 (I-IV) ; n° 4, du 9 au 16 août 1886, p. 109-113 (V-VIII : VIとVIIは初版単行本ではVに統合され、初出のVIIIが単行本のVI).
[5] Chanson de la Brève Démence(冒頭散文詩をのぞく全篇): La Vogue, t. II, n° 6, du 23 au 30 août 1886, p. 186-191.
[6] Lieds(冒頭散文詩をのぞく全篇): La Vogue, t. II, n° 8, du 6 au 13 septembre 1886, p. 258-259 (I : « Lied du Rouet ») ; t. III, n° 6, du 22 au 29 novembre 1886, p. 181-185 (I-III : 初版単行本のII-IV) ; n° 8, du 6 au 13 décembre 1886, p. 266 (初版単行本のV) .
[7] Mémorial(冒頭散文詩とIVをのぞく全篇〔IVは未確認〕): La Vogue, t. III, n° 1, du 11 au 18 octobre 1886, p. 5-6 (I : « Châteaux en Espagne ») ; n° 3, du 25 octobre au 8 novembre 1886, p. 73-75 (II : « Orient ») ; n° 9, du 13 au 20 décembre 1886, p 289-292 (初版単行本のIII).
[8] Finale : 雑誌初出確認できず。
すでにモレアス「アニェス」の端書きで記したことだが、フランス象徴詩の日本における受容は、ボードレール、ランボー、マラルメといった「大家」の翻訳や研究がきわめて充実しているのに比して、1880-90年代の活動の中核を担った詩人たちの代表的作品はほとんど等閑に付されているのが現状である。そうした反省に立って、京都大学人文科学研究所の象徴主義研究班ではすでにルネ・ギル『最良の生成』(René Ghil, Le Meilleur devenir, 1889)の翻訳と註解を『人文学報』に発表したところであるが、本翻訳はその「スピンオフ」として、森本、鳥山、松浦の3人によって企画されたものである。翻訳の底本を初版と、必要に応じて『初期詩篇』を参照した。ルビは当ブログでは表記できないので( )に入れて併記した。(森本記)
***
銅製の重い大燭台から立ち昇る煙が煤けさせた、高い天井の部屋、重いカーテンの金属のようなまっすぐな襞が閉ざしている、高い天井の部屋。
煙は降り来たり、渦を巻き、楕円に捻れ、縞模様となって消えて行く。金属の音[1]が響く真夜中に、夢は煙の塊となって重く漂う。
触手のように広がりゆく死者たちと、変わることなく甦る古い苦しみの腐植土とで覆われた記憶の中のある一夜、追憶で慌てて作った取るに足りぬ仏塔(パゴダ)は崩れている。二十年という航行できぬ河に沿って並ぶ、マストの壊れたいくつもの船。
廃墟は、深淵へと情け容赦なく落ちこむ傾斜に従って消えていく。諸伝説の記憶が湧き出(い)でて、かつて管弦楽の靄であったものが明確な形をとり、生の瞬間に到来するモチーフとなって声をあげる[2]。
主題と変奏
善良な騎士よ、道は暗い、
怖くはないのか、人殺しが?
暗闇に心を騒がせ涙を流す
死せる魂たちの群れが?
いや、私はしっかりと意図を固め
人の数え上げるあらゆる危険に立ち向かう。
暗い空の下、詮索好きの目は
憤怒の霊に執着している、
お守りくださる聖母様は
ご先祖の時代へとっくに逃げてしまった。
私は神の正しき道に従って[3]進む
そして神に向かって歩みを速める。
十字架像が覆い隠している墓穴には
骸骨たちがかくも孤独に眠っている。
悪魔に効くお守りなどはない、
永遠のねじ[4]も悪魔にかかれば開いてしまう。
私が追い求めているイエスの
赤褐色の髪は明るく輝きわたる。
優しい月影のもと、私は行こう、
あの女性(ひと)たちの誰か[7]がいるはずの丘を目指して、
彼女は手で私に示してくれるだろう
運命のせいで悲しみに沈む人々の明日は
いったいどこで救えるのかを。
I
ゆたかな金髪の琥珀、その碧眼の青、
安らぎの場[8]となるその肯定の身ぶり、彼女の
ゆっくりとした言葉が、音楽の余韻を長引かせつつ、
恍惚とした魂たちの見事な宝石箱で
運命を乗り越えんとする意志のまわりに築く壁、
そして彼女が宴に注ぐ希望の酒……
いつか私は、彼女の足、薄暮のようにほの白い足もとに、
重苦しい酷暑の悪夢が消えてゆくのを目にするだろうか?
Ⅱ
波打つ未来に向かって
すらりと立ち並ぶマストを通り抜け、
冒険の風が吹く
束の間の抹消(トル)[9]に向かって。
おお、拷問に身をよじり苦しむ旧知の心!
愛撫もなく月もない、夜の深い闇のなか、
檣楼の高みに登った水夫の歌が
ある女(ひと)に向かって涙をこぼしそうな長い後悔を揺すってあやす[10]。
アトランティスの島々、トゥーレの島々[11]、
はるか彼方に、紺青の波よ
おまえたちは、カモメが飛び交う
あの島々を守っている。喜ばしき聖年[12]が
霊廟の近くで純粋な者たちを待つあいだ!
長い後悔を揺すってあやせ、みずからの歩みにつれ
ゆっくりと髪の乱れる彗星を曳きながら叫ぶ後悔を、
波間に緑がかった波紋の刳形(くりかた)を広げる足もとで。
のんきな蜥蜴のように身を暖める
芸術の洗練されたリズムに乗って。
偶然の柔らかな長椅子のうえ、
皇帝(カエサル)となってみずからの夢を支配する。
最後には港から遠く奇妙な帆船(ジャンク)[13]で果てる。
Ⅲ
宿命、短命にすぎる魂、
無益な努力、
果物が腐るのは
夢の古びた重り[14]のせい。
不安は陰鬱な孤独で目を覚ます。
丘の松林のでこぼことした立ち姿。
もたつく風の中、おお! 何という退屈!……
熱狂がかろうじて残っていたときのこと。
思い出だけで
明日はなく
記憶のあばら屋のうちには星も輝かぬ。
騒音が場末からばらばらと聞こえてきて、
凡庸な囲いの中で間抜け面に踊る……、
遠ざかる列車が遠い太鼓のように鳴り響く。
過ぎ去った年月のおまえたちの魂はどこにある?
飼い慣らされた馬のような
諸々の意志
時代遅れの水飲み場のブロンズ像のような意志は?
なお一日、なお一時間[15]が過ぎ、おお! もう時間も、おお! もう空間もない。
だが古老たちは言った、若さは過ぎ去ると。
明日、最初の陽が射すときには、過ぎ去らぬ新たな行き止まり[16]。
Ⅳ
原因もなく心が騒ぐ理由をおまえは探してみたか?
もうずっと以前から、
私たちに春を思い出させるものは
ことごとく終わってしまっている。
それは何ゆえ別の思い出だったのか?
死んでしまった心たちは
古い悔恨にかき乱されて
時々、確かならざる過去の憂愁を感じる!
V
おお、ステンドグラスにかくも悲しげに映る聖母よ[17]、
羊小屋[18]をしのぶ騎手として、
私は行く、珊瑚色の優しい唇の美しきあなたを、
心のうちで見つめながら。
騎手よ[19]、とある貴婦人に抱いた優しい嘆きや、
消えかかった館がもたらす悲しみに
心のうちで苦しんでいる者よ、
私の非難など気にせず、何もしなくてもよいのですよ。
私の消えかかった夢想が今なお留める優しい面影[20]、
聖母よ、長い旅路で何度も惨めな目にあった私に、
もう十分だとおまえは言ってくれるだろうか、
幾年かの後に、私は力尽きてしまうだろう。
草を食むわが馬ののろい歩みに任せて進む旅路で、
自分を成長させるはずの闘いに、
めぐり合うことがなかったがゆえに、
敗北の悪夢が重くのしかかるなか、
私は行こう、未来の時が期待を裏切るものであり、
死すべき者たちがみな私を辱めるかもしれないとしても。
VI
涙を流す肉体を許したまえ
自らを欺く魂も同様に。
すべてはまやかし。
惨めなのは
私たちが時の流れを知る瞬間。
そして気のふれた惨めな者を憐れみたまえ。
どんなバラも香りを放つ。
すべては愛に満ちている[21]、
それが主たる原因[22]、
そしてすべては苦悶へとたどり着く定め。
VII
古い本から、戦(いくさ)の武器の
高鳴る音が解き放たれ、
光射す開けた場所がここかしこにある森へ
優しい顔が隠れていくのだった。
並木道にそって立ち並ぶいくつもの城は
色褪せて、悲しげな姿なので、その奥に
数々の底知れぬ不幸が、
否応なく訪れた悲惨があると知れた。
鉄の門には血と涙が
にじむようだった[23]、小塔には
哀願するような眼差しがあり
小塔[24]を愛する勇士たちに注がれているようだった。
そして人生の至る所にあるこれらの醜悪さ
絶対的な力をかざす処刑人どもの面(つら)[25]
窓格子に浮かぶ痛ましい
仮面の数々! おお なんたる喜劇!
VIII
痩せこけた、ばか正直な老いぼれ馬よ、
おまえは道中私に付き添ってくれた、
誇らしげな馬車と並びつつ、
明日の秣(まぐさ)を夢見つつ、
おまえのかくものろい足取りがわが夢の歩み、
これほど待ち続けたために欲望はやわらぎ、
誇らしげな身振りも、勝利をおさめた空しい瞬間の
あまりに短い喜び[26]も、どうでもよくなる。
ある日、ああ 近いうちに、私たちは静寂を見出すだろう。
静寂と沈黙! おお 墓の深い闇夜
そして私たちは永遠に流浪の身であったが[27]、それにふさわしい
休息の棕櫚の木が私たちの地下墓所に生い茂るかもしれない。
IX
はるか遠く、つねにより遠く、人間の顔から離れ
川の近く、そしてそこから、
月の近くへと、ほらあそこの
小さい者たち[28]を連れて行くのは
白い悲しみ、それは月の表[29]から地上に注がれるもの
かつて夜の封印により
古い窪み(クレーター)[30]の底に眠る水辺近くに閉ざされていたもの。
追放、遠方への追放! いつの日かおまえは見つけるだろうか
光で覆われた宮殿を、おまえの夢がそこで
すがすがしさ、純粋さ、短い音楽につつまれて、
「私はおまえを愛していた」で深い忘却を覆いたい[31]と願う宮殿を。
未知なるもの、麗しい未知なるものよ、おまえの川の
黒大理石のおまえの岸辺の間を船で行き
おまえの思い出の館の
古い木蔦を指で触り、
純粋な脳髄のいわく言いがたい安寧と純潔な平和の中で
甦るおまえの心の
光で刷新され、蒼白に苦しげに、ふたたび生きなおすこと。
前進だ! 時の進みは遅れ、髪にはもう白髪がまじる。
飲み屋の朦朧とした空気の中で讃えられた人々の[32]貧弱な体も
人々の洞窟に愛情をもって大切に守られた財宝も
私たちはもう見ることはないのだから、私の熱狂した心に従おうではないか。
X
暗く静かな時の中、私は待っている
熱をおびたわが夢の灯(あかし)である優れた女性(ひと)[33]を、
闇の土地の時も緩慢な〈楽園〉の底から
賞賛に身を震わせる棕櫚の木々の下を歩み来る女性(ひと)を。
光の方へとたどりつき、丘の高みの上から、
恍惚となった薔薇の花々が立ち昇る中、
巫女のランプの白い光に包まれて
陰鬱な雲[34]を、立てた指で追い払い、
彼女はその髪を四方の風になびかせて、
遠くの黒ずんだ尖峰の山並みを隠す。
すると夜の鳥たちは逃げ去っている。陽が昇ると、
見えるのはいつも趣を欠いたより蒼白な書割だ。
私の魂の頂にずっと長くとどまるのだ
おお、彼女の白いヴェールが広がりつつ尾を引く[35]
跪いて[36]、おまえの星のように輝く額を見上げつつ
私が長いこと崇める、想像の中の貴婦人よ!
註
[1] 原文timbres de cuivreは後段のl’orchestrale buée(管弦楽の靄)と呼応して「金管」をイメージさせつつ、直示的には金色の振り子をもつ柱時計が真夜中を告げる音を言うのではないか。「真夜中」は『イジチュール』などマラルメ偏愛のテーマ。
[2] 真夜中の部屋に廃墟のイメージを重ねながら、そこに明確な形となって「詩」が湧き出でてくる、という前口上によって、以下の詩篇を提示している。
[3] 原文はsous la droite de Dieuで、昇天後のイエスが座す位置を示す成句であるà la droite de Dieu(「神の右の座に」、転じて「正しき人びとの間に」の意)をおそらくは踏まえている。「イエス、あるいは、正しき人びとの導きに従って」の意であろう。
[4] l’éternel écrou(永遠のねじ)は柩の蓋を固定するものを言うか。いずれにせよ、前半で言われる「十字架像」は死者たちのお守りにはならない。
[5] 原語はécuyerで、ロベール仏和大辞典では「近習:騎士の側近に仕えた」、「騎士に序せられる以前の貴族の子弟」などの意だが、ここではVの第四節で歌われるように、目覚ましい活躍をできなかった「騎手」と理解しておく。
[6] ここまでは四行詩と二行詩で対話をなしていたが、この部分は冒頭の一行に対して、二行目から最後までが応答となっているように思われる。
[7] j’en crois uneの訳だが、唐突に現れるこの女性たちが誰なのかははっきりしない。ただし、イメージの連関としては、une(ひとりの女性)は前行のlune(月)と密接に関係している。
[8] 原語asyleの綴りは19世紀まで用いられ、Littréにはasileと並んで記されている。
[9] 原語déléatursは活字の削除を指示する校正記号(δ)。「消す」を意味するラテン語delereに由来。
[10] Chanson du matelot... / Berceは平叙文か命令文か微妙なところ。後段にBerce le long regretと命令形が現れるが、ここではChanson du matelot haut perché dans la huneの後にvirgule等もないため、これを呼びかけと取るのもためらわれる。他方、無冠詞名詞を主語に立てる用例は後続の詩節(III, IV等)にも見られる。
[11] アトランティス(Atlantide)はプラトンの対話篇『クリティアス』や『ティマイオス』に登場する伝説の島。ジブラルタル海峡の西に位置する地上の楽園であったが、大地震と洪水のため一昼夜のうちに海底に没したという。トゥーレ(Thulé)は古代ギリシア・ローマの人々が世界の北端と信じた土地で、現在のアイスランドやシェトランド諸島周辺にあたる。
[12] 原語jubilésはカトリックの全贖宥および全贖宥が行われる聖年を意味し、ユダヤ教では「安息(ヨベル)の年」、すなわちユダヤ民族がエジプト脱出後、カナンの地に入った年から数えて50年ごとの聖なる年を指す。
[13] 原語jonqueは中国などの伝統的な木造の小型帆船。
[14] 原語taresには天秤で使う「重り」のほか、「欠陥」、「宿痾」の意味もある。ここでは、当初は軽やかであった夢想が年月とともに重く停滞するイメージとして理解した。
[15] 原文un heureはune heureの誤植。『初期詩篇』(Premiers poèmes, Société du Mercure de France, 1897)に従い訂正する。
[16] 原文ではse passer(過ぎ去る)とimpasse(行き止まり)の言葉遊びが見られる。impasseとはpasser(通る/過ぎ去る)ことのできないものであるという含意を示すために、「過ぎ去らぬ新たな行き止まり」と言葉を補って訳しておく。
[17] O Madone si triste au vitrailの訳。話者がステンドグラスに描かれた聖母(思い出の中の?)に呼びかけていると解釈。
[18] 原語はbercailで「故郷」、「教会」、「羊小屋」などを指す語だが、Littréには「羊小屋」の語義のみが載る。「羊=キリスト教徒の集う場所、帰るべき場所」を意味する。
[19] 第二連は、騎手が自分に語りかけているとも読めるが、ここでは聖母が騎手に呼びかけるものと読む。
[20] Douceur de mes songes effacésをMadoneの同格ととった。これをc'estの指示対象ととることも考えたが、assezなのはむしろ直後のmisèresであると解釈。なお、1897年刊行の『初期詩篇』所収のテクストでは、この詩句の最後はカンマではなくピリオドとなっている。
[21] 原文はTout est aimantで、「すべては(磁石のように)引きつける力がある」とも読める。
[22] 原語はCause majeureで、直訳すると「主因」だが、ここでは万物を統べる法のようなものを指すと解釈した。
[23] 原詩はIl semble+補語という例外的な構文だが、Il semble [qu’il y a] (aux portes de fer) du sang et des pleursと解釈した。後続のaux tourelles / Des regards... についても同様。
[24] 原文のellesは二行前のtourelles(小塔)を受けると思われるが、具体的にはかつて小塔で戦士たちを見守っていた貴婦人を指し、情景としては、すでに貴婦人の姿はなく、ただその「眼差し」だけが思い出として残っている、という感じであろう。
[25] 初版ではmufflesの綴り、1897年『初期詩集』版ではmuflesに改められる。
[26] 原文はla si brève / Joie...であるが、『初期詩集』ではsi la brève / Joie...となっている。どちらかが誤植とも考えられるが、後者の場合はs’[il y a] la brève joie d’avoir triomphé [, elle ne dure que] dans un moment perduといった意味に解釈できるだろう。
[27] 原文はEt l’éternel errant que nous fûmesで、関係代名詞を用いた挿入句と読む。
[28] 原語はdes mineursで「鉱夫たち」の意にもとられる。また「短調の」のイメージもこめられているかもしれない。
[29] 原語はson masqueで、sonは直前のchagrin(苦しみ)も指しうるが意味がよく分からないので、2行前のlune(月)ととり、masqueは月の表(表面)を指すととった。「白い悲しみ」は、地上で白い月を見上げて感じるものであり、月のある天上ではなく地上の悲しみが主題化されている。
[30] 月の縁語。
[31] 原文はRevêtir un oubli profond du : Je t’aimaisで、ここではrevêtir A de B(AをBで覆う)と読んだが、「「私はおまえを愛していた」ことの深い忘却を纏う(愛していたことを忘れる)」とも読めるかもしれない。なお、Je t’aimaisのJeが本詩節で言われるTuにあたり、Je t’aimaisのteはこのJe (=Tu)が愛する女性を指すことに注意。
[32] 原文はleursで何を受けるのかは判然としないが、飲み屋で話題になる女性たちを指すとも考えられる。
[33] l’héroïneの訳。最終行のimaginaire dame(想像の中の貴婦人)と呼応すると思われる。
[34] ランプから出る煙を言うか。
[35] cortège épandu des blancheurs de ses voilesを意訳した。女性の着ているヴェールの服が長く尾を引いているイメージ。
[36] À genoux(跪いている)の文法的機能は悩ましい。命令法的に読みたくなるが、ここでは直前のcortège(尾を引く〔行列〕)にかけて読んだ。ただし、この4行詩節は2行目で「彼女の(ヴェール)」と三人称で指し示される対象が、4行目でimaginaire dameと二人称で呼びかけられており、構成がやや破格である。Que j’admire longtempsをQue je t’admire longtempsの意の感嘆文と読みうるのであれば、3-4行は独立させ、à genouxをjeにかけて、「跪いて星のように輝く額を見上げて、私はなんと〔おまえを〕崇めていることか、想像の中の貴婦人よ!」と読めるかもしれない。