ジャン=リュック・ナンシーは風変わりな「哲学者」だ。単に「詩」を書くからというだけではない。ルクレティウスからニーチェまで古来より名高い「詩人哲学者」は存在する。だが、詩人の作品――それも500行以上に及ぶ長篇詩――のパロディを手がけた哲学者は他にいるだろうか。ナンシーが異彩を放つのはこの点だ。その名も La Jeune Carpe、タイトルからしてヴァレリーの La Jeune Parque のパロディであることは一目瞭然だ(Carpe は Parque のアナフォニー)。初出は1979年、パリのクリスチャン・ブルゴワ社から刊行されたバタイユ特集『「詩への憎悪[1]」』であり、バタイユとの関連も気になるが、ここでは早速ナンシーによるヴァレリー詩のパロディを見てみよう。
タイトルの後には、本歌と同じく献辞が掲げられている。
À André Gide
Depuis bien des années
j’avais laissé l’art des vers ;
essayant de m’y astreindre encore,
j’ai fait cet exercice
que je te dédie.
1917
(Valéry, La Jeune Parque)
À Philippe Lacoue-Labarthe
De toujours incliné
au discours alexandrin
pour lequel ta prose est trop primitive,
j’ai fait cette arabesque
que je te dédie.
1979
(Nancy, La Jeune Carpe)
ヴァレリーが『若きパルク』を旧友アンドレ・ジッドに捧げたのに対して、ナンシーは『若きカルプ』を僚友フィリップ・ラクー=ラバルトに捧げている。しかも「私はこの練習作を作り、それを君に捧げる」というヴァレリーの言葉を下敷きにして、ナンシーはヴァレリー詩論のキーワード「練習作〔エグゼルシス〕」を「アラベスク」に変えてみせる。
タイトルと献辞につづき、本文の直前に置かれたエピグラフの対照もおもしろい。ヴァレリーがコルネイユの詩句(『プシシェ』)を引用する一方、ナンシーはユゴーの「砂丘での言葉」(『静観詩集』所収)から引いている。
Le Ciel a-t-il formé cet amas de merveilles
Pour la demeure d’un serpent ?
P. Corneille.
J’écoute, et je confronte en mon esprit pensif
Ce qui parle à ce qui murmure.
V. Hugo.
12音節詩句と8音節詩句の2行からなるという点で、両者のエピグラフは形式的な相似を呈している。またナンシーがエピグラフに選んだ詩句「私は耳を澄まし、物思いにふける精神のなか、話すものと呟くものを突き合わせる」は、自然と人間の交感をうたうユゴーの詩の文脈から切り離され、ヴァレリーの詩をパロディ化するナンシーの姿勢を暗示しているようにも読めるだろう。
タイトル、献辞、エピグラフの後、ようやく詩のテクストが現れるが、とりわけ冒頭3行のパロディは周到をきわめている。
Qui pleure là, sinon le vent simple, à cette heure
Seule, avec diamants extrêmes ?... Mais qui pleure,
Si proche de moi-même au moment de pleurer ?
(Valéry, La Jeune Parque, v. 1-3)
Qui récite ce chant, si simple, et qui l’imite,
Insoucieux de s’y dissiper ?... Mais qui récite,
Sans rire et souriant au moment de citer ?
(Nancy, La Jeune Carpe, v. 1-3)
冒頭の Qui、第2行の Mais qui、第3行の au moment de など、同一表現とその配置によって類似性が強調されるなか、パルクの「涙」に対するカルプの「微笑み」(「笑い」ではなく)という対照が際立つ。ナンシーはまた『若きパルク』で三度繰り返される動詞 pleurer(泣く)を réciter(朗唱・暗唱する)や citer(引用する)に置き換えているが、この二つの動詞は『若きカルプ』第1行末の imite[r](模倣する)とともに、パロディの開始を宣言する自己言及的な語と言えよう。また、このようにパロディ行為を顕示する一方で、qui(誰)の反復によって行為の主体を疑問に付すあたりも巧妙だ。冒頭の si simple も本歌の sinon le vent simple のパロディだが、決して「単純」とは言えない「この歌」ないし「歌い手」を形容する反語法にも感じられ、一筋縄ではいかないこの詩の手強さを予告するかのようだ。
この冒頭詩句につづいて総行数512行に及ぶアレクサンドランが、本歌へのさまざまな仄かしを示しながら展開してゆく。ここでその詳細を指摘する余裕はないが、『若きカルプ』と『若きパルク』には脚韻や韻律の面で興味ぶかい照応と差異が認められる。
内容面については本歌と同じく要約できるような代物ではないが、ナンシーのパロディ詩を貫く最大のテーマは何だろう。劈頭の問い「誰がこの歌を唱えるのか」は終盤「誰が話すのか〔Qui parle ?〕」と変奏されるが、ほかにも発話行為に関わる語彙(「舌=言語〔ラング〕」「喉」「声」「叫び」「沈黙」など)や「詩」の用語(「韻律」「リズム」「句切り」)が頻出するこの詩の最大のテーマは「言葉」ではないだろうか。言葉についての言葉、詩についての詩。『若きカルプ』はきわめて自己言及的な作品なのだ。そしてこの〈言葉の劇〉は〈生命の劇〉として、精神と肉体をもつ存在の生と死、さらにはエロスの劇という相のもとに展開する。「音〔bruit〕」は「口の果実〔fruit〕」となり、「言葉〔verbe〕は肉〔chair〕となる」。「分娩〔gésine〕」「精液〔sperme〕」「月経」を連想させる「溶解液〔le menstrue[2]〕」「流産したイディオム」といった語彙をちりばめつつ、ナンシーは言語の誕生と死を表現しているかのようだ。言葉をもたない者(infans)として生まれる赤子が分節言語を発するまでの〈言語生成〉の過程、あるいは「カルプ=鯉」が魚であることを踏まえるなら、原初的な生命としての魚からホモ・サピエンスに至るまでの進化の過程、いやむしろ逆に、言語および生命の源に遡ろうとする〈源流遡行〉の過程を暗示しているのかもしれない。そして、そのような言語の劇の背景をなすかのように、ギリシア・ローマ神話とキリスト教にまつわるイメージが現れる。ナンシーの哲学的課題のひとつは「キリスト教の脱構築」と言われるが、『若きカルプ』にも不定冠詞を付した「聖書」「典礼」「イコン」などの語彙が散見するほか、ナンシー思想のキーワード(「分有」「分割=共有」と訳される partage など)も認められる。また、この哲学者の実人生とのかかわりで異様に気にかかる詩句がある―― Le cœur, mon cœur me manque... une douleur m’englobe...(心=心臓が、私の心臓が私には欠けている…… 苦しみが私を包みこむ……)。1992年、50歳を過ぎたナンシーは心臓移植の手術を受け、その体験をもとに『侵入者〔L’Intrus〕』を執筆したが、『若きカルプ』の制作はそれより10年以上前に遡る。はたしてこれは単なる偶然の符合なのか。事後的に振り返るとき、この詩句は信じがたい予知的な響きを秘めているように見える。
『若きカルプ』がパロディである点も忘れてはならないだろう。「パルク」や「蛇」を筆頭に、本歌との関連をうかがわせる語彙やイメージは無数にあり、冒頭に言及される「戦争」(複数形)も、第一次世界大戦の記憶をひそかに刻印する『若きパルク』を継承していると言えよう。また、ヴァレリーの他の作品「海辺の墓地」「精神の危機」や彼の詩に馴染ぶかい神話的形象(ナルシス、ヘレネ、ウェヌス)も登場するほか、マラルメ、ボードレール、ユゴーへの目配せも認められる。『若きカルプ』はヴァレリー詩のパロディにとどまらず、フランス詩の多彩な糸で織り上げられた間テクスト的織物なのだ。
最後に、本歌との興味深い差異として、発話主体である「私」の性別に注目してみよう。『若きパルク』の「私」は女性である。それに対して『若きカルプ』の「私」は当初は男性である。当初はというのは、この「私」は発話の途中で男性から女性に変わるのだ(「カルプ」が魚であることと関係しているか[3])。性転換の瞬間は、第十断章の終結部(本歌『若きパルク』の二部構成に照らして言えば、第一部終盤に相当する部分)に現れる。
Étourdie de ma propre lenteur je m’entrevois
Me redire l’écho que nul rocher ne cèle.
(La Jeune Carpe, v. 320-321)
「私自身の緩慢さに茫然となって、どの岩も隠さない谺〔エコー〕を私に繰り返す私を私は垣間見る。」過去分詞形容詞 Étourdie の女性単数形により、それまで男性だった「私」の性がここで不意に転換する。代名動詞の連鎖(je m’entrevois / Me redire)は『若きパルク』第35-36行(Je me voyais me voir, sinueuse, et dorais / De regards en regards, mes profondes forêts.)を想起させるが、この代名動詞が示す自意識の過剰によって「若きパルク」が「蛇」と化すのに対し、『若きカルプ』は性転換を遂げる。それだけではない。この性転換が生じる第320行は、12音節詩句を512行連ねるこの詩のなかで唯一の破格詩句(vers faux)――13音節詩句――となっているのだ。これはケアレスミスなどではあるまい。『若きカルプ』の性転換の瞬間を際立たせようとした「詩人の計算[4]」に基づくものにちがいない。
以上、ナンシーの『若きカルプ』をつまみ食いするように紹介してきたが、このパロディ詩にはほかにも種々の工夫が凝らされており、詩句の難解さも含めて、読者はその読解力を試される。だが、解読と分析をどれほど積み重ねようとも、根本的な問いは依然として残るだろう。そもそも、なぜナンシーはこのようなパロディ詩を作ったのか? また、なぜヴァレリーなのか? 512行に及ぶアレクサンドランのパロディは単なる遊び心に由来するとは信じがたいが、哲学者はこの労作にいかなる意義を認めていたのか? 『若きカルプ』はその特異な存在と存在理由の謎によって私たちを惹きつける。この小文で以上の問いに答えることは到底できないが、その端緒を開くと思われるナンシーの言葉をいくつか拾っておこう。
『若きカルプ』に関する重要な一次資料は、ナンシー自身がこの詩に添えた「前書き〔Note liminaire〕」である。タイトルと献辞の後、エピグラフとテクストの前に置かれ、1979年2月と付記された「前書き」は次のように始まる――「ある意味で私はこの前書きが読まれないことを望みもするだろう。テクストの取扱説明書なり理論なり正当化〔の言葉〕がここに見つかると思われてしまうのではないかと心配なのだ。」とはいえ、「愛憎半ばする」そのテクストを「あたかも自明のものとして提示することもできない」としてナンシーは自作解説に踏みこむ。まず、アランによる『若きパルク』注釈とそれに対するヴァレリーの返答「哲学者と若きパルク」に言及しつつ、「このテクストはヴァレリーの『若きパルク』論を書くという計画から派生した」と由来を明かす。そのうえで、ナンシーは自作テクストを「パロディ」と名づけるが、それを「パスティッシュ」と峻別し、「〔詩という〕高貴なジャンルの揶揄的な模倣あるいは滑稽な仮装」ではない、少なくともそれだけではないと言う。「パロディ」という語にナンシーが込める含意は「パラ=オーデー〔para-ôdè〕[5]」――すなわち「歌からはみ出した契機〔le moment décalé du chant〕」あるいは「詩への接近〔アクセ〕(詩の発作〔アクセ〕、韻文の危機)の契機〔le moment d’un accès au poème (accès de poésie, crise de vers)〕」、さらに敷衍して言えば、「(拒否により、あるいは無力ゆえに)詩そのものに到達することはないが、その境界上で足踏みをする〔qui marque le pas sur ce seuil〕ような詩への接近の契機」である。そう述べたうえで、ナンシーは「詩に対する言説〔ディスクール〕の、詩人に対する哲学者のライバル関係〔rivalité〕」、「攻撃であると同時に出会いでもあるような競争〔concurrence〕」について語る。そして、「パロディ的競争とは何か」、そもそも「詩人ヴァレリーの企て(あるいはまたテスト氏の企て)もこの〔パロディという〕観点から考えられないだろうか」と問いかけつつ、もしそうだとするならば、『若きカルプ』は「パロディのパロディ」というよりはむしろ、「足踏みの反復〔la répétition d’un pas marqué〕」、「詩の足踏み状態〔un piétinement de poésie〕」というべきものだと主張する。「詩とは言語〔ランガージュ〕の無限の力ではなく、言説〔ディスクール〕の有限性の法則に従う」という確信を述べるこの「前書き」は、ナンシーの「パロディ」制作への意気込みを伝えるのに十分だろう。それは戯れの「パスティッシュ」などではなく、「詩への不可能な接近=足踏み状態」という意味での「パラ=オーデー」であり、本歌の「模倣」に甘んじるどころか、それと「競合」しようとする自負に満ちた作品なのだ。ナンシーはまた別の箇所でみずからの詩作について語っており、十代前半から二十代前半にかけて相当量の詩を書いたこと、また特に定型詩ソネットに熱中し、そのあと自由詩に移ったことなどを述懐している[6]。
ナンシーの言葉をたどってゆくと『若きカルプ』について幾分理解が進んだような気にもなるが、しかし、あらためて512行の壮大なパロディ詩を読み返すとき、この人はなぜこのようなことをしたのだろうという素朴な問いが相変わらず湧いてくる。『若きカルプ』という奇異な存在について理解を深めるためには、ナンシーの数々の詩論を併せ読み、その哲学思想全体のなかにヴァレリー詩のパロディを位置づける必要があるだろう。さしあたり『若きカルプ』(1979)と年代的に近い著作として、ドイツ・ロマン派に関するフィリップ・ラクー=ラバルトとの共著『文学的絶対』(1978)や『若きカルプ』に先立って同じ出版社から発表された「書く理由」(1979)などが重要な参考文献になると思われる[7]。
最後に、『若きカルプ』の冒頭部分の原詩と訳を示し、ジャン=リュック・ナンシーによるこの比類ないパロディ詩の紹介を終えることにしたい。
Qui récite ce chant, si simple, et qui l’imite,
Insoucieux de s’y dissiper ?... Mais qui récite,
Sans rire et souriant au moment de citer ?
Nulle offrande pourtant n’a su ressusciter,
Tardive, auprès de nous la ferveur du poème.
Des guerres l’ont largué dans le désastre blême
Dont nos peuples clamaient pour cet âge vainqueur
À bouches déchirées des litanies d’horreur,
Râles, rages, blasphèmes, souffles sans cadence,
Tristes fièvres vociférées dans la stridence...
Et nous, depuis, bavards par l’ennui harassés,
Psalmodiant l’ironie de tes charmes glacés,
Nous te partageons plus que ton départ, poète,
Dont l’adieu silencieux résonne et se répète
En millions de rumeurs humides et d’images
Vides d’exil aux îles nues de tes parages...
Un siècle se suspend à notre inanité.
[...]
誰がこの歌を唱えるのか、かくも単純に、誰が真似るのか、
この歌のなかで消え去ることも気にかけず?…… 誰が唱えるのか
笑うことなく微笑んで、引用するこの時に?
とはいえ、いかなる捧げ物も、遅きに失して、
私たちのもとに詩の熱情を蘇らせることはできなかった。
度重なる戦争が血の気の失せた災厄に詩を投げ捨てた
私たちの民族はそれゆえこの勝利の時代のために、口を裂いて
叫んでいた、数々のおぞましさの連禱を、
瀕死の喘ぎ、激昂、冒瀆、調子外れの息づかい、
甲高い響きのなかで怒鳴りちらした悲しき熱……
私たちは、それ以来、倦怠に疲れはてた饒舌家、
君の凍った魅力の皮肉を一本調子に唱えつつ
詩人よ、私たちは君の出発以上に君を分けあうのだ、
君の沈黙の別れが反響して繰り返される、
無数の湿ったざわめきとなり、君の水域に浮かぶ
岩肌あらわな島々への流謫という空虚なイメージとなって……
ひとつの世紀が私たちの無益さにぶら下がっている。
[……]
[1] « Haine de la poésie », Paris, Christian Bourgois, 1979.「詩への憎悪」というタイトルはバタイユの著作(「不可能なもの」と後に改題されるテクスト)からの借用である。なお『若きカルプ』は2015年に刊行されたナンシーの文学・芸術論集(Jean-Luc Nancy, Demande, Paris, Éditions Galilée, 2015)に再録されている。テクストの異同はほとんどないが、初出版に拠る。 [2] 「月経〔menstrues〕」の意味では通常、女性複数形で用いられる。 [3] 性転換する魚は数多く、実際コイ目のなかにもごく少数ながら性転換する種があるらしい。中園明信・桑村哲生編『魚類の性転換』、東海大学出版会、1986年、10頁。 [4] ナンシーのヘルダーリン論の題名。« Calcul du poète », in Demande, p. 111-141. [5] ôdèは「歌」、para-は「の傍ら」の原義から「外れた・ずれた」あるいは「近い・類似した」(さらには「対立する」)の意味を担う接頭辞。 [6] Jean-Luc Nancy, « La raison demande la poésie : Entretien avec Emmanuel Laugier » [2003], repris dans Demande, p. 165-183 (notamment p. 167-168) ; La possibilité d’un monde : Dialogue avec Pierre-Philippe Jandin, Paris, Les petits Platons, 2013, p. 15-16. [7] Philippe Lacoue-Labarthe et Jean-Luc Nancy, L’absolu littéraire. Théorie de la littérature du romantisme allemand (1978) ; Jean-Luc Nancy, « Les raisons d’écrire », in Misère de la littérature, Paris, Christian Bourgois, 1979, repris dans Demande, p. 45-58.