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レジス・ドゥブレ『ヴァレリーとのひと夏』(恒川邦夫訳、人文書院、2024年)/ 井上直子

  • 日本ヴァレリー研究会
  • 6月8日
  • 読了時間: 8分

  本書は、「メディオロジー」という新しい学問の提唱者、レジス・ドゥブレがラジオネットワークのフランス・アンテールにおいて、ひと夏に亘って語ったヴァレリー論である(それゆえ、32章構成になっている)。「訳者あとがき」によれば、ドゥブレは主著『メディオロジー宣言』において、ヴァレリーのことを(メディオロジーにおける)「最も重要な先駆者」と述べている。すなわち、思想や芸術活動は、その人が属する集団(時代)と、それを流通させる様態に大きく関わっており、ドゥブレの見るヴァレリーは、それをいち早く感じていた、ということだ。では、本書において、ヴァレリーの「メディオロジスト」としての側面は、どのように分析されるのか。

 まず、ドゥブレがヴァレリーをどういった角度から見ていたのかを明らかにしておこう。第1章で、ドゥブレはボリビアでの捕虜時代に、記憶の中にひそんでいた「海辺の墓地」の一節に圧倒されたという体験を述べる。つまり、ドゥブレにとってヴァレリーは決して古びた詩人ではなかった。そこからヴァレリーを再読したドゥブレは、その思想を読むことで現代の価値体系を見渡すことができる、と感じる。第2章では、一般的なイメージである「古典作家名鑑に入るヴァレリー」に加え、悪魔的な精神の持ち主としての側面に注目し、この「二人のヴァレリー」を、19世紀詩人、20世紀思想家、21世紀時評子、という三つの側面から同時にとらえ直す、という姿勢が明確にされる。ヴァレリーが一旦筆を折り、文壇から姿を消しつつ思索に耽っていたこと、『若きパルク』を発表して文壇に再登場し、その後、個人秘書の「雇い主」ルベーの死によって文筆家として生きていくためにあらゆる仕事を引き受けたこと、その傍ら、多くの恋愛に人生を彩られたこと、死後、「時代遅れの詩人」として煉獄の期間を過ごすが、『カイエ』の発見により新たな読み直しがなされるようになったことはすでによく知られているが、ドゥブレはひと月、32章という限られた場の中でこれらをすべて要領よく紹介し、かつ独自の視点として、現代社会を見つめるヴァレリーのまなざしに新しさを見出すことになる。

 まず第3章以降、ドゥブレは伝記的事実を忠実にとらえ、「地中海の詩人」としてのヴァレリーに焦点を当て、モンペリエでのピエール・ルイスとの出会いから、ジッドとの交友、ルイスとの訣別、マラルメとの出会いへと筆を進めていく。第7章「マラルメ商会」までが「19世紀詩人」ヴァレリーを扱ったものと言えるだろう。

 ヴァレリーが「20世紀思想家」になるきっかけは二つある。一つは第8章で紹介される、エドゥアール・ルベーの個人秘書としての仕事、もう一つは第9章で述べられる「ジェノヴァの夜」である。これによりヴァレリーは、黒板に数式を並べ、現代世界を見つめながら独自の視座を作り上げていく。

 続く第10章では、ドガや舞踊家セルジュ・リファールとの交流、第11章ではヴァレリーの博物館ぎらい、第12章では知識人としてのヴァレリーの立ち位置が語られるが、注目すべきは、このあたりから「メディオロジスト」としてのヴァレリーの特性が述べられ始めるということである。ドガとの交流により、ヴァレリーは踊り子の身体の動きを描くことに魅せられ、それが伝達を目的としない言語の使用としての詩を舞踊とみなすことにつながる。さらに、音楽と建築を時間の芸術と空間の芸術とし、両者を交感させる。ここには既存の分野に限定されない新たな視点を持つヴァレリーが描かれる。また、第11章「博物館の問題」では、文化財に押しつぶされる、というヴァレリーの言葉をきっかけに、ドゥブレ自身の思想が表明される。生産の時代から蒐集の時代に入った現代は、文化財の飽和ゆえに文化の衰退を招いている、というのがメディオロジストとしてのドゥブレの意見である。

 第12章、第13章では、見識に対するヴァレリーの距離の取り方が述べられる。実は、見識を声高に語らないことにより、ヴァレリーは知らず知らずのうちに一つの思想に自身を縛りつけることから免れ、これがヴァレリーの新たな居場所を作り出すことになる。

 第14章から第16章までは、文壇復帰とカトリーヌ・ポッジの存在について紹介される。ただ、ここでドゥブレはシュルレアリストとヴァレリーは相容れない、と言い切っているのだが、実はヴァレリーの眼差しへの考察や詩学には、言語にしばられない感覚に関するものが含まれており、ブルトンが糾弾したほどには両者の距離は隔たってはいなかった。ドゥブレがここに触れていないのは少々惜しまれるところである。

 ドゥブレが最も描きたかったであろう「21世紀の時評子」としてのヴァレリーについて、本格的に述べられるのは第17章からである。そこには二つの側面がある。一つは、観察による予言を可能にした思想家、もう一つは、メディオロジストとしてのヴァレリーである。

 まず、第17章では前者のヴァレリーが具体的に紹介される。ヴァレリーは社会の動きを(さながらテスト氏のように)分析と予測によって観察した。それにより、1895年の『鴨緑江』ではアジアの覚醒が予告され、それは日露戦争におけるロシアの敗北で確認されることになる。同様に1897年の『ドイツ的制覇』では三国同盟が、「ヨーロッパの映画と衰退についての覚書」では、ヨーロッパのアメリカによる支配が示される。さらにドゥブレは、今後行政に携わる人間がヴァレリーを読むことで、外国への干渉、内政における現状主義、偏在するナルシシズムという三つの病から逃れられる、とまで述べている。

 そして第18章では、キーワードである「メディオロジー」が初めて姿を見せる。ヴァレリーは、人間を「書物にあたる人」と「事物にあたる人」の二つに分ける。両者を交流させることがドゥブレにとってメディオローグの始まりだった。これは、習慣や思想を変える力を認めて実践することを指す。ヴァレリーの生きた時代には、「賢者」たる文学者は顕微鏡やカメラ、ラジオなどの媒介物を非難する傾向があった。これは、事物に向き合わず、書物だけに頼る人である。しかしヴァレリーは、こうした事物が初めから思考に組み込まれていることを知っていた。ドゥブレがヴァレリーをメディオロジストの先駆者とみなす所以はここにある。

 では、予言者であり、メディオロジストでもあるヴァレリーは、どのような態度で世界を観察したのだろうか。第19章以後に述べられるのは、「中庸を生きる」ヴァレリー、あらゆる主張をひっくり返し、どこにも属さずに生き、問題提起をするだけで解決策を示さないヴァレリーである。こうした態度をとりつつ、ヴァレリーは過激な愛国的偏見を持つことなく思想と政治をつなごうとし、それにより、「可能な限り」ヨーロッパを統一することを夢見た。そのために、「精神の連盟」の原型である文学・芸術常任委員会を結成した。そこで目指されたのは、自身の嫌う博物館のような文化遺産の保存ではなく、現実世界の可能性を政治に反映させることである。ここでドゥブレは、ヴァレリーの目指す精神の可能性を「人間や事物を変革する力」と要約しており、そこには先に述べられたメディオロジストとしてのヴァレリーの姿がはっきりと映し出されている。続く第23章は、こうしたヴァレリーの本質をさらに明快にまとめている。ヴァレリーにとって、体系の上に築かれたものではなく、「曖昧なこと」を保持することが重要だった。「明晰な知性の人」というレッテルに惑わされず、曖昧さの価値を説くヴァレリーにスポットライトを当てたところに、ドゥブレの慧眼がうかがえる。

 第24章以降は、このように「中庸」に立つがゆえに、固定のものに縛りつけられることのないヴァレリーが紹介される。ヴァレリーは新世界であるアメリカに対して嫌悪感を抱くことをしなかったし、停止した体系とは対照的な、運動する思考が織りなすものとして劇を書き上げた。また、知性に向かいすぎることなく「愚か事」である恋愛をも堪能することになった。

 1945年5月8日、フランスは終戦を迎える。それまで地中海を中心としていたヨーロッパの運命の基礎は、ヴァレリーにとっての「郊外」であったアメリカに移り、ヴァレリーはヨーロッパが支配権を失ったと述べ、7月20日に世を去る。この後、欧州復興計画が打ち出されたことから、ヴァレリーのこの言葉は見当違いだともとらえられるのだが、ドゥブレはこれを「ヴァレリーが見てきた社会の地平」が終わっただけだと解釈し、世界が終わったのではなく「変容」したに過ぎない、と理解する。

 第29章から最終章までは、国葬ののち、「煉獄」、「波瀾」を経て「復活」するヴァレリーが的確に紹介される。国葬の栄光に浴したヴァレリーは、詩によって、自分を知らなかった人間を魅惑する力を持っていた。しかし、これ以後、ナタリー・サロートをはじめとするアンチ・ヴァレリアンにより、時代遅れというレッテルを貼られてしまう。しかし、ヴァレリーはそこでは終わらなかった。『カイエ』の発見により、ヴァレリーの視座がそれまでに思われていた以上に深く、遠くに及ぶことが明らかになったからである。ただ、ドゥブレがヴァレリーの新しさを見出すのは、その内容というよりも、『カイエ』の持つ、たえず動き続ける思索の力というようなものである。システム構築を夢見たヴァレリーは、同時に完成されたものが死んでしまうことを理解していた。この二面性は、ドゥブレが最後に述べる「制度化されたもの、合成されたもの」と「肉感的なもの、無意識的なもの、即興的なもの」の対比にピタリと対応している。だからこそドゥブレはヴァレリーに、メディオロジスムの担い手という新たな役割を見出したのである。


『ヴァレリーとのひと夏』 レジス・ドゥブレ(著) 恒川邦夫(訳) 人文書院、2024年 ISBN : 9784409140703 四六版・170ページ 3,080円(2,800円+税)


 

 

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