——列車のなかでは心が張り詰めていた。これから本を書かなければならないが、できそうもなかった。
書かなければならない。しかし無気力に苛まれて筆は進まず、もう生きていたくはないが、かといって死のうとも思わない。恋人には素晴らしい原稿ができたと嘘の手紙を出し、実のところはアルコールと睡眠薬に溺れながら、いつか〈恩寵〉が訪れるのを待っている。『失われた時を求めて』におけるゲルマント大公妃邸の書斎や、ランボーの『見者の手紙』に匹敵する奇蹟を期待するもむなしく、ついに恋人にも見放される……。
これは、ピエール・ミション『小さき人びとVies minuscules』のなかの一挿話に過ぎない。とはいえ、列伝風の物語(タイトルの含意については「訳者あとがき」に詳しい)の鍵となる挿話であり、言葉=奇蹟の主題は本書の至るところに窺うことができる。「アンドレ・デュフルノー」、「アントワーヌ・プリュシェ」など、祖先や同胞の名を冠した8章からなるこの本で、「私」は自分が語らなければ忘れられる人びと、歴史のなかで、また社会的に言葉をもたない人びとを蘇らせる。あたかも語り手みずからの苦境を理解するには、彼らとの交流が不可欠であるかのように。
『小さき人びと』の原書がガリマール社から刊行されたのは1984年のことで、フランスの文壇では当時、自己の記述がふたたび注目を集めていた。ロラン・バルトは『彼自身によるロラン・バルト』(1975)以降、コレージュ・ド・フランスでの講義を経て、晩年の『明るい部屋』(1980)に至るまで「私」のあり方を問題とし、それまで実験的な小説を発表していたヌーヴォー・ロマンの作家たちも、自伝的な色彩の濃いテクストへと舵を切るようになる。作品の題材として「現実」があらためて問題となる一方、セルジュ・ドゥブロフスキーが『糸/息子Fils』(1977)によって「オートフィクション」というジャンルを提唱したように、自己の記述とフィクションの境界が揺らいでゆく時期でもある。
完成まで18年を要したという『小さき人びと』は、こうした文学史の流れに位置づけられると同時に、その独自性もまた明らかだろう。たとえば本書の語り手は、ナタリー・サロート『子供時代』(1983)のように、過去を想起するまさにその場で表現を模索することはなく、アニー・エルノー『場所』(1983)のように客観的な事実を淡白な文体で記述するのでもない。そしてまた、マルグリット・デュラス『愛人 ラマン』(1984)やアラン・ロブ=グリエ『もどってきた鏡』(1985)のように、作家による他のフィクション作品の登場人物が姿を見せることもない——もっとも、『小さき人びと』を含めたこれら一連の作品には、ドミニク・ヴィアールが指摘するように子供時代の物語、家系の物語という共通の傾向が認められるのだが(La Littérature française au présent, Bordas, 2e éd., 2008)。
ともあれ、ミションにおいて言葉はまるで一挙に、奇蹟的に与えられたかのように彫琢されてそこにある。虚構について言えば、「自分を一昔前の人間に仕立てようとするフィクションの試み」と作中にある通り、語り継がれた記憶と自身の記憶のあいだを埋めるように、これを織り交ぜてゆくだろう。物語はこうして、「まだ言葉がしゃべれない」幼い語り手が母親に抱えられている場面からはじまる。その母親が同じく幼かった頃、つまり語り手の母方の祖母エリーズが若かった頃にクルーズ県レ・カールの家を後にしたのが、最初の章で語られるアンドレ・デュフルノーというわけだ。孤児だった彼はエリーズの両親に引き取られたのち、「金持ちになる」ためにコートジヴォワールへと旅立った。
続く「アントワーヌ・プリュシェ」の章では、語り手はさらに時間を遡り、自身より5世代前に生きたプリュシェ家最後のひとりを取り上げる。ただし、それは間接的な仕方であって、実際には彼が家を去るきっかけとなった場面と、残された両親の悲哀に多くの記述が費やされている。章題の人物はそれゆえ中心にはいないが、かえってそれは「話すことで親しい人びとの不在、死、忘却、旅出など、彼らの不在の埋め合わせがなされる」という、言葉の重要な機能を明らかにするだろう。そして、不在の人間が語られる最たる例は、言うまでもなく「私」の父親、家族を捨てて失踪したエメ・ミションに見出される。作家がTristan Hordéによるインタビューで述べたように、自身の父親が『小さき人びと』の「裏の献呈相手」たるゆえんである(Le roi vient quand il veut, Albin Michel, 2007 [1992])。
こうして、言葉で人びとを蘇らせるにはその不在に言及する必要があるかのごとく、章題に名前の挙がる人物をめぐっては、現実の死、あるいは想像上の死——「きわめて小説じみた仮説」によって最期が語られるアンドレ・デュフルノー、サン=グソーの墓地にその場が「空席のまま残されて」いるアントワーヌ・プリュシェ、そして「死んでしまったのだとしたら」より多くのページが割かれるべきクローデット——が喚起される。それはまた翻って、放埒な生活を送る「私」を支えたマリアンヌについては、その様子が仔細に綴られながらも一章が割かれていないことを浮き彫りにするだろう。
死のなかでも、とりわけ男たちの最期は悲惨である。アントワーヌが家を去った後、その父親トゥーサン・プリュシェの農作業を手伝うようになったフィエフィエ・デサンブルはやがて「イバラの茂みのなかで」倒れており、トゥーサンの方はといえば井戸で溺れ死ぬ。「犬のように死んだ」父方の祖父ウジェーヌ、「ブナの木の影に覆われて、白い棘と踏みにじられたツタのなかに」ひっくり返った老神父ジョルジュ・バンディ、さらに「読み書きができない」のを理由に都会で恥をかくことを恐れ、片田舎の病院で十分な治療を受けずに亡くなったフーコー爺さんも例外ではあるまい。『小さき人びと』の男性はその粗野な言動と不運、弱さによって「私」の鏡像の役割を果たしており、これはふたりの祖母(母方のエリーズと父方のクララ)に代表されるような、才気煥発な女性像とは対照的である。
忘れてはならないのは、言葉をもたない者の特権的な姿が—— enfant(子供)の語源 infans には「言葉を話さない者」の意がある——最終章「幼くして死んだ娘」に認められることだ。ここでは、ピエール・ミションよりも4年早く生まれ、翌年には亡くなった姉が「現世の年齢」では10歳の少女として顕現する。同時にまた、幼児期から大人へと、自身の道行きにしたがって進んできた作家の筆はふたたび「私」の幼い頃へと遡り、書くこと自体が「言葉を覚える前に死んだ子供の体験に似たようなもの」と形容される。言葉で死者を蘇らせるとは、名状しがたい感情をもって奇蹟を起こすことなのだ。
——生きているあいだは何者でもなく、その後はあるかなきかのものに戻った人びとが、われわれが生きる世界よりも高いところで、もっと明るい光のなかで、私を脅かして生きたということであってほしい。そしてたぶん、彼らの姿が、驚きのままにあらわれたということであってほしい。奇蹟ほど、私の心を奪うものはない。
語り手は言葉をうまく操れない人びとの姿に、現世での寄る辺なさを見る一方で(「ジョルジュ・バンディ」の章が捧げられた作家ルイ=ルネ・デ・フォレにおける沈黙=孤独の主題は、この意味で『小さき人びと』と無縁ではない)、死後の世界、あるいは言葉を獲得する以前の状態には希望のまなざしを向ける。「死者を追い求めるなかで、沈黙ではなく、彼らとの言葉のやりとりに私は歓びを見出すことができた」という末尾近くの一節には、彼岸の人びとを忘却から救いだすことで、ようやく沈黙を脱して書くことができた安堵を読むこともできるだろう。
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