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アンリ・ベルクソン『記憶理論の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』(藤田尚志/平井靖史/天野恵美理/岡嶋隆佑/木山裕登訳、書肆心水、2023年)/ 濱田明日郎

更新日:3月21日

はじめに

 まずはベルクソン哲学を学ぶものとして、そして次第にベルクソン哲学研究者として、評者はここ八年ほどベルクソンの著作を読み続けてきた。去る2023年10月、ついに発行されたベルクソンの講義録『記憶理論の歴史』邦訳を紐解いた評者は、一ページまた一ページと読み進めるにつれ、さまざまな感情を経験することになった。それはまず、すでに発表されたものとは別に、ベルクソンの活き活きとした声を(それが確かに聴こえるような日本語訳によって)再び聴くことのできた再会の嬉しさだった。そしてそれ以上に、これまでの著作でベルクソンが禁欲的にも主著では口にしなかった、彼の思索の広大な領域を垣間見ることのできた喜びであり、さらには、これまで知り得なかった意外な側面を見出せたことの知的興奮でもあり、他方でそしてこれまでこの資料が翻訳されず、したがって多くの読者の目に触れることがなかったことへの無念な思いであり、この著作とともにベルクソンを読めるようになる今後の世代への妬みでもあり、この著作からさまざまに展開されるはずの研究を、私としても是が非でも作り出していかなければという焦りでもあった。これらの感情を、私を含めて多くのベルクソニアンは、ひとまず「驚き」として受け取っているのではないだろうか。

 おそらく向こう十年、二十年と読み込まれ、再読されていていくだろうこの「新しい」書物——ベルクソンが『記憶理論の歴史』第9講で言うように、「新しい」ものがその新しさを知らしめるのにはそれなりの時間がかかる(第9講、162頁)[1]——の受容において、本書評は比較的早期の段階に位置している。そのような位置にある評者が行うべきは、今後この書籍を読むものたちに、この書籍に対して最大限の興味を持ってもらうよう仕向けることであろう。

 そこで本稿では、まずこの著作がわれわれに何をもたらしたのかを概略的に述べておきたい。さらに本稿では、評者がこの講義録の内容的な新しさと見る「個人的再認」の内実を、われわれの心理的活動の最も高度なものとしての芸術の制作/鑑賞という事例に即して見てみたい。そして最後に、ここで重要な役割を果たす概念が、ラヴェッソンを経由して触れられたアリストテレスの物体論に淵源することを指摘しておきたい。自ら哲学史たることを志向している『記憶理論の歴史』講義は、ベルクソン自身がいかに同時代から吸収した哲学史から大きな影響を受け取ったのかということをも、明らかにしているのだ。


寡作なこの著述家はバックヤードで何を考えていたか

 ベルクソンは比較的寡作な哲学者である。彼が自らの出版物として認めたのは最終的には七つの著作、そのうちでも主要な著作とみなされるのは四つだけである(『意識に直接与えられたものについての試論』、『物質と記憶』、『創造的進化』、『道徳と宗教の二源泉』)。しかしこのことは、著作で示されたものの他に、ベルクソンの関心や思考が及んでいなかったということを意味するのではない。彼の寡作の理由はむしろ、彼が哲学者として発表する著作という形式に、極めて高いハードルを設定しているという点にある。ベルクソンが公開した最後のテクストと考えられる『思考と動くもの』の第二序論の末尾、ベルクソンはほとんど辞世の言葉のように、次のように述べていた。

 

先行する仕事の結果を延長すれば、それらの[手をつけることができなかったいくつかの重要な]問題に見せかけの答えを出すことは簡単にできたであろう。しかしそれらの問題を一つ一つ、それ自体において、それ自体として解決する時間と力が与えられない限り、私は答えることをしないだろう。そうした時間と力が与えられない以上、私は自分の方法が限定されたいくつかの問題に正確な解答と信ずるものを与えてくれたことに感謝しつつ、そして私としてはその方法からこれ以上のものを引き出せないことを確認しつつ、私はここにとどまることにする。本を書かなければならないということはない[2]

 

つまりベルクソンは、一つの具体的な哲学的問題を立てて解くというプロジェクトが完遂されたとき、そしてそのときにのみ本を著すのである。この水準に至っていないエッセイや雑感、あるいは構想を著作として刊行することは許されない。実際ベルクソンは、彼が著作として認める七冊以外の書き物や公演原稿について、その再版を遺言書で固く禁じるに至る。

 

わたしは自分が公表しようと思ったもののすべてをすでに刊行している。それゆえ、わたしの書類のなかやその他で見出されるかもしれないわたしのあらゆる手稿の出版を、あるいはそれが部分的なものであっても、わたしは一切厳禁する[……]わたしは、かつてだれかが筆記したかもしれない、あるいは私自身がノートを控えた講義、授業、講演のいっさいの出版を禁止する。また同じく私の手紙の出版を禁止するし、しかも、J・ラシュリエの場合に行われたように、この禁止をくぐりぬけることにも反対である。ラシュリエの手紙は、彼自身はその出版を禁じたのに、学士院の図書閲覧者の自由に読めるところとなってしまった[3]

 

こうして彼の著述家としての苛烈な職業倫理は、『記憶理論の歴史』を含むコレージュ・ド・フランス講義の内容をわれわれ読者の目から隠すものとなったのである。

 しかし、こうして現に刊行された彼の講義録を見るならば、こんな疑問も頭をもたげてくる。ベルクソンのいと高き職業倫理が、「著作」としてのベルクソン哲学の価値をたしかに高めたのだしても、しかしこの講義録は、その背後にある思考の「運動」としての哲学を明かすために、極めて有用なものだったのではないか。そして、少なくともあるタイプの読者にとっては、むしろ彼の講義録が伝えるベルクソン哲学は、「著作」としてのベルクソン哲学以上に魅力的であることさえありえるのではないか。なぜこんなに魅力的な資料を隠し、その価値を低く見積もらせるような身振りをしたのか——要するに、こんなことを考えていたのなら、なぜもっと早く教えてくれなかったのか!


〈ベルクソン心理学〉の開陳

 ベルクソンがこの講義で展開したものは何だったか。それは評者の見るところ、主著『物質と記憶』(1896)第2章・第3章で提示された記憶論を基本的な枠組みとしつつも、それをより取り回しよく総合し、新たなアップデートを加えた〈ベルクソン心理学〉とでも呼んでよいものである。

 ベルクソンは、『物質と記憶』の第2章において、毎瞬間そのつど新しい仕方で与えられるはずの世界の知覚的状況に対して、それを何らかのものとして認識すること——ハサミを馴染みの道具として使うことができたり、ある犬を「犬」という一般的な観念のもとに理解したりすること——、すなわち「再認」のメカニズムを究明していた。ここで再認は「自動的再認」、すなわち身体的なレベルで発動する再認と、および「注意的再認」、すなわち表象の次元を加えた再認とに分たれていた。他方で『物質と記憶』の第3章は、かの逆円錐の図を提示しつつ、各人がこれまで生きてきた経験の総体としての記憶をリソースとして、知覚的なインプットに対してわたしたちの記憶の側から、それを行為に有用な仕方で表象としてアウトプットするその仕方をモデル化していた。第2章の主な話題を再認論、第3章の主な話題を想起論と仮に区分してみるとして、『記憶理論の歴史』第5講〜第7講は、『物質と記憶』第2章・第3章の再認論と想起論を総合し、理解しやすくまた使いやすく、取り回しのきく心理学説として整理してくれているのである。

 『記憶理論の歴史』における〈ベルクソン心理学〉のユーザビリティの向上はいかにしてなされたのか。まず形式的な側面からいえば、『物質と記憶』が連合主義心理学への批判と自説の展開を織り交ぜながら進んでいたのに対し、『記憶理論の歴史』においては批判を行うパート(ざっくりと言えば第1講〜第4講)と自説を展開するパート(第5講〜第10講)が分かれている。このことは、『記憶理論の歴史』講義におけるベルクソン心理学の取り回しのよさに貢献しているだろう。

 しかしそれ以上に何といっても内容面のアップデートが大きい。すでに訳者の平井靖史[4]や天野恵美理[5]が優れた仕方で明らかにしているように、やはり驚くべきは『物質と記憶』では対照的な二つの再認として提示されていた「自動的再認」と「注意的再認」に次ぐ、第三の再認としての「個人的再認」の登場だろう。

ベルクソンは『記憶理論の歴史』第5講・第6講において、「自動的再認」・「注意的再認」を基礎として成立する、「個人的再認」という第三の再認の存在を口にする。「個人的再認」は再認において個人的・人格的なニュアンスを帯びるものである。すなわち、目の前にある椅子という対象を、単に自動的・身体的に座る姿勢を誘発するものとして認識するのではなく、また一般的な存在者である「椅子」として認識するのでもなく、「わたしが大学一年生の四月に購入していらい、ずっと愛用している椅子」として認識するものである。他人には一般的なオフィスチェアと見える椅子を、わたしにとってはある日ある時以来の歴史を持つ、かけがえのない特殊な椅子として認識するものである。要するに、「個人的再認」は、対象を個人史の一部をなすものとして認識する再認のあり方だ。この再認のあり方は『記憶理論の歴史』講義では、『物質と記憶』第3章で論じられていたような、わたしの個人史のなかに位置付けられる一回的なできごとを、過去に起こったこととして想起する(「わたしはかつて、大学一年生の四月に椅子を購入した」ことを想起する)想起のあり方と結びつく。その証拠に、ベルクソンは『物質と記憶』第3章で提示した逆円錐の図と「個人的再認」とを結びつけながら論じてくれるのだ(第6講、113-115頁)。要するに、『物質と記憶』において固有の哲学的意図を持ってそれぞれ展開された第2章と第3章の記憶理論が、『記憶理論の歴史』では一つのまとまった心理学説として逆円錐図というイメージにパッケージされているのである。このように捉えれば、ベルクソンの記憶理論を学び、われわれの心理的生活や記憶について思考したい読者にとっては、固有の哲学的課題の解決のために書かれた『物質と記憶』以上に、『記憶理論の歴史』がはるかに有用な著作となることは疑い得ない。

 それにしても「個人的再認」の登場は『物質と記憶』の読み手には驚くべきものであった。なぜか。ベルクソンが『物質と記憶』で再認を論じる際、そこには個人的な記憶の全体を脱個人化して現在の対象へと嵌め込むという、平均化・平凡化banalisationが必ず伴われていた。逆円錐の底面に位置する個人的な記憶の全体は、自らを現実化・物質化しようとする推進力によって知覚へともたらされるものであるが、そのさい個人的な記憶の全体はその細部が持つニュアンスを失い、一般的・平均的なイメージとしてわれわれの行動に資するものとなる。つまりわれわれの眼前にある対象とわれわれの個別的な記憶は、『物質と記憶』の描く意識の世界には両立し得なかったのである。しかし『記憶理論の歴史』にて登場する「個人的再認」においてわれわれは、眼前にある対象を通じてわれわれの個別的な記憶を認識することができるようになっている。これはすなわち、対象を通じた自己認識がなされているということだ(第6講、112頁)。わたしが椅子をふと眺める。わたし以外が見ればただの平凡なオフィスチェアと見えるだろう。しかしわたしにとっては、その椅子を眺めることは、わたし自身のかけがえのない記憶や、それに裏付けられる時間の厚み、こうしたものを思い知ることであり、この椅子を時間においてすでに私の一部となったものとして認識することなのである。



 逆円錐の図(第6講、114頁)とともにこれを定式化してみれば、「個人的再認」は個人的な記憶の広がる底面RR’と、身体的なメカニズムを表す点Mとが相互に参照し合うような再認のあり方である。この再認は、単に夢を見るように「個人的記憶」の広がる底面RR’を漂うのとは異なっている。簡単なことで、「個人的再認」は眼前の知覚と結びついているからだ(それは「再認」なのだ)。また、フラッシュバック的・走馬灯的に底面RR’の記憶の全体がMへと襲いかかるというようなこととも異なっている。あくまでここでは目の前の椅子をそれとして認識するような、「注意的再認」でなされていたのと同様の、コントロールの効いた再認が問題となっているのであり、推進力のなすがままに記憶が再生されることとは異なっている。個人的再認の存在がわれわれに示唆する知的力能というものがあり、それは、記憶の全体を適切に絞り込む調整機能・コントロール機能を健全に働かせつつも、個人的な記憶を行動へともたらそうとする推進力に逆らうような形で、個人的な記憶の全体へと遡行する力能なのである。

 こうして、逆円錐図が示すわれわれの心的世界にはさらなる様相が加わることになる。それは、注意的再認のように対象へと記憶を投入する再認からさらに再出発して、来た道を戻るようにわれわれの「個人的」personnel記憶の総体へと向かい、われわれの人格personneの側を再認するような力能である。ベルクソンは別の箇所で、このような行き方が、単に知的なそれではなく、愛知的=哲学的な動向に関わるものであることを仄めかしている。イギリスの哲学者ブラッドリーの問いを引き受けつつ、ベルクソンは次のように述べる。

 

イギリスを代表する哲学者ブラッドリー氏は、『マインド』誌の中で次のように自問しています。「なぜ私たちの記憶は常に前進し、決して逆行しないのか。なぜ順方向に覚えていて、逆方向に覚えているのではないのか」と。しかし、その理由は非常に単純で、逆行して後件から前件に行くことは、哲学や科学や歴史学をやることであり、状況の理論的な説明を探究することであって、もはや実用的な利害関心のためではないからです。これに対して、前件から後件に行くことは、歴史学をやることではなく、生を送り行動をなすことです。なぜなら、前件は未来に向けられているからです。大切なのは、これから何が起こるかです。大切なのは何が後続したかであって、何が先んじていたかではないのです。(第3講、73頁)

 

この引用を「個人的再認」で論じられていることと結びつけるならば、「個人的再認」とは、実用的な利害関心すなわち行動に資するための未来志向の認識ではなく、哲学的・科学的・歴史的な原理=根源への探求と同じく、みずからの人格をなす記憶の深部へと遡るような、深い自己知への道に開かれている認識であるということにもなるだろう。『物質と記憶』においては幾つかの角度から限定的に検討されるにとどまった記憶の理論は、『記憶理論の歴史』講義では、日常的対象の知覚・認識・学習、言語の習得、注意のプロセスといった認知心理学的な内容を総合的なパッケージとして提供し、さらに自己知のあり方を探る人格心理学的な領域にも踏み込むものとなっているのである。

 なお評者の見るところ、こうした〈ベルクソン心理学〉的な動向は、1907年の『創造的進化』へと引き継がれるものだ。『創造的進化』はその第二章で、個人史の再認を典型として有機的世界全体の進化の歴史を探究するという、進化の「心理学的解釈」を実践している。曰く、「おそらく、一旦通った道に眼をやって方向を示しながら、生命を心理学の用語で書き記すこともできるだろうし、ある目的の追求があったかのように語ることもできるだろう。このようにしてわれわれは自分自身について語るだろう」[6]。『創造的進化』だけを読んでいればいささか唐突と映るこの戦略も、1903-1904年における『記憶理論の歴史』の「個人的再認」で構想されたような行き方がその原型にあると捉えるならば、ベルクソン哲学内部の展開史に訴えつつ、さらにその議論を『記憶理論の歴史』から精緻化することができるだろう。


〈ベルクソン美学〉への展開可能性

 この新資料がベルクソン哲学の解釈へと与えるインパクトを伝えるため、いささかベルクソンに内在的な読解にもこだわったが、ここからは角度を変えて、以上のような〈ベルクソン心理学〉がさらに〈ベルクソン美学〉の可能性へも開かれていることを示しておきたい。ベルクソンが取り上げる芸術家はかのレオナルド・ダ・ヴィンチであり、その著作『絵画論』である。ベルクソンはダ・ヴィンチを引用しつつ、次のように述べている。

 

それぞれの存在は固有のくねり(serpentement)をもっている。芸術の目的はそのくねりを表す〔与え返すrendre〕ことではないだろうか、と。ダ・ヴィンチは何を言わんとしているのでしょうか。彼はこう述べています。私が言わんとしているのは、人間の表情、顔つき、例えば或るモデルの頭部を取り上げるとき、まず見えるのは線だが、まださらに何かがあるということ、見えない線があるということだ、と。それは精神的なもの、精神の事柄なのだ、と彼は言います。それは目では見えません、精神で見るものだからです。その線はいわば発生的な線(ligne génératrice)であって、本当のことを言えば線ではなく、運動なのです。(第1講、28-29頁)

 

ベルクソンはダ・ヴィンチの言葉から、芸術制作の現場において、芸術家がモデルから受け取る手がかりについて論じている。曰く、芸術家は現に目に見えている光学的な線をトレースしようとするのではなくして、それらの線がそこから生まれてきたるところの「発生的な線」ないし発生的な「運動」を見定めようとする。ベルクソンは講義の後半で同種の分析に立ち戻り、このことを次のようにパラフレーズする。

 

さて、レオナルド・ダ・ヴィンチが言ったようにモデルの特質を探し求めつつ創作活動を行う芸術家は、ただ一つの点、ある中心へと、モデルのあらゆる規定、あらゆる特徴を収束させています。そして、それらすべての特徴を寄せ集めてまとめ、融合させて書かれるこの点には、表情の特徴となる観念とでも呼ばれうるものが見出されるのです。それは表情の鍵を与える何か、全体の鍵を与えるもの、しかし何にも類似していない何か、顔つきの発生法則(la loi de génération)とでも呼びうるものです。非常に単純なもの、目が見て取るより限りなく単純なものです。(第16講、253頁)

 

ここでは、先に引用した第一講では「発生的な線」という語で示されていた内容が、「発生法則」という語で改めて指示されることに着目していただきたい。実はこの語は、前節で見てきた三つの再認を論じる第5講にて登場したものだ。そこでは「発生法則」は再認の際に発動する「図式」と同義である。わたしが椅子を椅子として再認するとき、わたしの個人的記憶全体を要約したものとしての「図式」が発動する。この図式の存在ゆえに、記憶の全体を用いつつ、しかしこれまで遭遇した椅子の個別的記憶との逐一の照らし合わせをおこなうことなく、眼前にある対象を即座に「椅子」として認識することができる(この図式が欠けている場合に起こるのがいわゆる失認であり、患者は椅子が見えていながらもそれを「椅子」と再認することができない)。

このことを踏まえた上で、芸術家が行うモデルの再認に「発生法則」という語が用いられていることは、どのように理解可能だろうか。ダ・ヴィンチのような画家がモデルに見出す「顔つきの発生法則」は確かに、モデルのあらゆる特徴を「融合」ないし「要約」したものであると考えることができる。しかしながら、ベルクソンがここで芸術家を論じている以上は、実践的な要請のもとに種々の特徴を単に平均化・平凡化すなわち「脱個人化」dépersonnalisationすることで「図式」を取り出すという以上のことが見出されていると思しい。というのも、ベルクソンはレオナルド・ダ・ヴィンチを導入した第1講ですでに、芸術家の仕事を哲学者のそれと比較して、次のように述べていたからだ。

 

哲学の手法と芸術家の手法にはいつでも決定的で根本的な差異があります。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチが言うように、芸術家は常に個を表そうとする(rendre des individus)ということです。私が先ほど引用した芸術的直観も個的なものを探求していました。それに対して、哲学的・形而上学的直観は、事物の一つのカテゴリー全体に、さまざまな類に関わるものです。(第1講、29頁)

 

先に引いた引用では、芸術家は存在に「くねりを表す〔与え返す〕」という仕方でrendreという語が用いられていた。邦訳はここで「表す」というのみならず「与え返す」という読み方も提供しているが、今しがた引いた引用の「個を表す」についても、「個を与え返す」というニュアンスが読み取られるべきであろう。すなわち、モデルの表情のディティールは、それを総合する一般的な図式のもとでその動態をまずは捉えられつつ、そうした図式的な認識にとどまるのではない。「注意的再認」によって平均化・平凡化された一般的・図式的な認識を基礎として、「個人的再認」がさらに人格の認識へと折り返すものであったように、「発生法則」を見出す芸術家は、その一般的な図式にさらにそれと対立するはずの人格性personnalié・個性individualitéをも「与え返す」認識へと到達するのだ。

 ここで評者が念頭に置くのは、この講義がなされる数年前、1900年に出版された『笑い』第3章における芸術論である。この著作の主題に属する喜劇comédieを論じる道中、ベルクソンはその対照項としての正劇drameを論じ、そしてそのついでのように芸術論を展開する。そこでこの哲学者は、芸術は「個体的なもの」l’individuelを目指すという見解を示し、次のように述べていく。

 

画家がキャンバスに定着させるのは、ある場所である日のある時間に、二度と目にすることができない色彩と共に彼が見たものである。詩人が詠うのは、彼自身の、彼自身だけの心理状態であり、それは二度と現れない。劇作家がわれわれの眼前に描き出すのは、ひとつの魂の展開であり、感情と出来事によって編まれた生き生きとした連なりであり、つまり一度出現すれば二度とと起こりえないものだ。この感情に一般的名称を与えても無駄だろう。なぜなら、別の魂においてはこれらの感情はもはや同じではないからだ。それらは個人化されたものindividualisésなのである[7]

 

ベルクソンにとって芸術とは個体的な認識を開示するものである。絵画であればその日その時その場所でただ一度現れたヴィジョンを、詩人であればその個人史において二度と現れることのない心理状態を、劇作家であればある人物の巻き込まれる一回きりの出来事やそれに伴う感情を開示するものである。このような一回的・個体的な認識を取り出すこと、そして作品に定着させることが芸術家の仕事なのだとすれば、芸術家は「個人的再認」に類するような認識を追求しているとも言えそうだ。ある対象を通じて、わたしの個人史におけるあの日あの時というかけがえのない一瞬をわたしの一部として再認するのが「個人的再認」である一方、芸術家は「個人的再認」によって個人性ないし個体性を世界の側に見出しつつ、それを自己の自己による再認にとどめるのみならず、作品という形で世界に刻印し、個人性ないし個体性を「与え返す」rendreのだ。

 『記憶理論の歴史』の〈ベルクソン美学〉がさらに興味深いのは、(ヴァレリー的な区分を借用すれば)このような芸術の制作学poïétiqueのみならず、芸術作品を受容する感性学esthésiqueをも、記憶理論に立脚しつつ論じている点だ。新たな音楽作品をわれわれはどのように理解するに至るのかという点について、ベルクソンは「本当の新しさとは、現状とは非常に異なるものであって、受け入れられるのにとても長い時間がかかるものです」(第9講、162頁)と述べつつ、音楽作品を例にとって次のように述べている。少し長いが引用したい。

 

音楽作品を例にとれば、まったく新しい音楽作品の理解に達するのは、音楽についてすでに多くを知っている人、記憶(メモワール)の中に、音楽に関する非常に多くの記憶(スヴニール)をもっている人です。しかも、それだけでは十分ではありません。というのも、よく知っているのに、新しいものは理解できない場合もあるからです。記憶がさらに一定の特性を持っている必要があります。それは非常に定義し難いものなのですが、記憶は自らの輪郭をぼやかし、おぼろげになることができなければなりません。そうした記憶は互いに合流・中和し、輪郭がぼやけることによって、自らと完全には類似していない新たな知覚、新たな対象へと重なるようになることができなければならないのです。ある意味、記憶のしなやかさ(élasticité)が必要なのであって、それはすべての人に当てられるものではないのです。いわゆる、開かれた知性のことです。[……]この[開かれた知性を持ち、記憶を「開いた」]人々は、記憶が、ある種の自然なしなやかさによって、同じ輪郭を持っていない対象へと重なり、その対象の輪郭を採用することができるようにしたのです。(第9講、162-163頁)

 

「新しい」もの、つまりはわれわれの記憶にないものを認識し理解するプロセスには、逆説的ながらも記憶の利用が関わってくる。確かに「新しい」音楽を聴き分け、理解するのは、音楽の素人であるよりも、すでに一定の音楽の記憶を蓄積した玄人であろう。しかし、これまで経験してきた記憶を頼りに、「この曲はあの曲に似ているな」とか、「こういうジャンルの曲だと理解しよう」と、類似や一般性のみによって再認を繰り返していれば、その音楽の新しさに出会うことはない。そこでどうするのか——ベルクソンはそれを明確に定式化するに至ってはいない。おそらく、ここでなされる作業自体が実に独特で曖昧なものだからだ。ベルクソンは記憶を「ぼやかす」、「おぼろげにする」という言葉でこれを表現している。おそらくここで行われていることは、新しい音楽を耳にした際に発動する「図式」を出発点としつつ、一旦相対化し、いまはじめて耳にされている音楽に固有な形をそれとして捉えられるように、わたしたちの記憶の側を成形しなおすというプロセスであろう。この独特な認識は、形容矛盾のようであるが〈新しさの再認〉とでも呼ぶことができるかもしれない。〈新しさの再認〉は、直ちに成立する「図式」を対象の認識にとどめずに、そこからわれわれの個人的な記憶への参照を行うという点までは「個人的再認」と同じ経路を辿る。しかし〈新しさの再認〉は「個人的再認」のようにその人格の自己認識へと至るのではなく、むしろわれわれの人格をいやがおうにも作り上げている記憶を意図的に「ぼやか」し「おぼろげにする」ことで、他者を理解すると同時に新たな自己を作り出す契機となるのである。これは「記憶を無くしてしまえばどんなものも新奇だ」というようなイージーな議論ではなく、新しさを新しさとして(分からないと切り捨ててしまうのでなく)しかし理解するという困難な事柄に対して、繊細な観察を加えたことで見出された議論だと思う。ベルクソンが提出する「曖昧さ」は、その見かけに反して実は慎重な立場なのだ。

 『物質と記憶』でベルクソンが展開した精密な再認論は、記憶によって構成されるわれわれの世界の作られ方を明らかにすると同時に、全てを再認の相の下に眺め、全てを「再」認された馴染みのものとして、ノー・サプライズな世界観を提示するものとも読みうるものだ[8]。この世界観に他者の入り込む余地は見出し難い。しかしながら『記憶理論の歴史』で書かれる記憶理論には、あえて記憶を「ぼやかし」、その個人性・人格性を内側から曖昧にし、そのことで再認の閉じた回路を離脱し、他者を他者として理解する可能性が開かれている。芸術作品の感性論としても、あるいは自らの他者を描き出そうとする芸術作品の制作論としても、そしてベルクソンの他者論の端緒としても、注目すべき論点だろう。


ベルクソンの発想の歴史的起源

 最後に、この点まで書かせて欲しい。『記憶理論の歴史』における記憶理論「の歴史」の部分、つまりベルクソン自身が検討する哲学史もまた、ベルクソン哲学の理解に大きな示唆を与えてくれる。指摘しておきたいのは、ベルクソンが「発生法則」と呼ぶものの存在が、フェリックス・ラヴェッソン=モリアンによって読解されたアリストテレスの物体論に強い影響を受けて形成されているらしいことである。ベルクソンは第16講でアリストテレスの物体論を再構成しつつそれをレオナルド・ダ・ヴィンチの「魂こそが身体を作るのであり、芸術家は身体を生み出すものとして的確に魂を思い浮かべねばならないのだ」(第16講、256頁)という見解に結びつけ、アリストテレスの物体論を「芸術家の観点」から理解している。これはベルクソンのオリジナルなアリストテレス理解というよりも、ベルクソンが強い影響を受けたラヴェッソンに見いだされる、アリストテレスとレオナルド・ダ・ヴィンチの「相互浸透」[9]に他ならない。ベルクソンは自らの記憶理論の重要なピースの一つを、ラヴェッソン哲学史に影響を受けて構成したのである。

 ラヴェッソンという哲学者を通じてレオナルド・ダ・ヴィンチに出会ったのはベルクソンだけではない。若きポール・ヴァレリーは、フェリックス・ラヴェッソン=モリアンの子であるシャルル・ラヴェッソン=モリアン——ルーヴル美術館次席監査官を務めていたという[10]——の編訳によるレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の出版を通じてこの芸術家との衝撃的な出会いを果たし、23歳にして『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』(1895年)を著している[11]。ベルクソンの芸術論とヴァレリーの芸術論はラヴェッソン(一家)によるダ・ヴィンチ紹介という補助線によって、あるいは同時代的な対照を示すかもしれない——そのような妄想を膨らませてくれる程度に、この講義録の「歴史」の部分もまた、展開されるべきアイデアをさまざまに持っていると思われる。


おわりに

 まだまだ書き足りないところだが、このくらいにしておこう。本稿ではベルクソン自身の「記憶理論」に基礎を持つ〈ベルクソン心理学〉、そしてそこから発展的に試みられている〈ベルクソン美学〉をごく簡単に素描し、この講義録の固有性や読みがいを提示してきたつもりだ。翻訳に参加していた平井靖史や天野恵美理はこの講義録の展開する記憶理論の重要性にいち早く気づき、すでに魅力的な仕事を展開しているが、記憶理論「の歴史」の部分、つまりベルクソンの哲学史理解の部分も含めて、ベルクソン哲学の内外に魅力的な示唆を与えてくれることは、以上の評者の簡単な素描からも、すでに明らかになったのではないだろうか。

 改めてまとめておけば、『記憶理論の歴史』は『物質と記憶』あるいは他のベルクソンの文献に対する研究者向けの参考書籍・副読本といった二次的な出版物に止まるものでは全くない。そうではなくこの本は、取り回しよい仕方で〈ベルクソン心理学〉を理解し、みずからの思考や実践に活かそうとする野心的な読者、場合によってはそれを〈ベルクソン美学〉などといった形でさらに発展的な仕方で応用しようとする志向を持った読者にとって、場合によっては『物質と記憶』以上の、一級の意義を持つ書籍なのである。


[1]   以下、『記憶理論の歴史』(藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳(2023)『記憶理論の歴史—コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』、書肆心水)からの引用は、(第9講、162頁)のように、講義の回数と邦訳の頁数のみを示す。

[2]   原章二訳(2013)『思考と動き』、平凡社、123頁。

[3]   Mossé-Bastide, R-M. (1955). Bergson éducateur, Presses universitaires de France, p. 352

[4]   平井靖史(2023)「訳者解説」、藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳(2023)『記憶理論の歴史—コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』、書肆心水、369-284頁。

[5]   天野恵美理(2023)「持続と再認:ベルクソンにおける第三種の再認について」、『哲学』、日本哲学会、第74号、128-143頁。

[6] 合田正人・松井久訳(2010)『創造的進化』、筑摩書房、77頁。

[7]   合田正人・平賀裕貴訳(2016)『笑い』、筑摩書房、149-150頁。

[8]   杉山直樹(2001)「再認する生:『物質と記憶』再読」、『徳島大学総合科学部人間社会文化研究』第8巻、43-64頁。

[9]   原章二訳(2013)『思考と動き』、平凡社、365頁。

[10] 原章二訳(2013)『思考と動き』、平凡社、394頁(原注2)。

[11] この点については、今井勉(1995)「レオナルド・ダ・ヴィンチを読むヴァレリー:『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』論のためのメモ」(『仏語仏文学研究』第12号、東京大学仏語仏文学研究会、75-114頁)に学んだ。

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日本と違って欧米では翻訳者の地位はかなり低く、本の表紙に訳者名が記されることすらない。そのせいか、フランスで翻訳者から詩人・小説家・劇作家に転じて名を成した人は極端に少ない。詩人のサン・ジョン・ペルス、小説家のヴァレリー・ラルボーくらいか。...

宇佐美斉『小窓の灯り——わたしの歩いた道』(編集工房ノア、2024年)/ 大出敦

個人的な話で恐縮なのだが、「宇佐美斉」という名前を初めて目にしたのは、大学三年の時だから、1989年のことだ。大学図書館の書架にあった『落日論』と題された本が目に留まり、私は何気なくそれを手に取って頁をめくってみた。この時、目次をめくってみると、宇佐美先生は、どうやらフラン...

川野惠子『身体の言語——十八世紀フランスのバレエ・ダクシオン』(水声社、2024年)/ 寺尾佳子

画面上の情報を目で追うことが日常化したいま、美しい装丁の本を手に取る喜びはたまらないものがある。本書もそう感じさせてくれる一冊である。軽やかに舞うダンサーが印象的なローマの壁画風の表紙は、あとがきによると、著者である川野惠子氏が長年のご友人にリクエストして誕生したらしい。本...

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