端書き 以下に示すのは、ジャン・モレアス『情熱の巡礼者』所収の「追憶する騎士が語ったこと(« Le dit d’un chevalier qui se souvient »)」の日本語試訳と註解である。同詩集に収められた「アニェス」および「花の敷かれた道」についてはすでに本ブログに翻訳と註解を掲載しているのであわせてご覧いただきたい。翻訳にあたっては初版(Moréas, Lepèlerinpassionné, Léon Vanier,1891)を底本とし、それ以降の諸版を適宜参照した。(森本記)
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追憶する騎士が語ったこと
ジョエルは座っている、自分の塔のなかで、
自分の塔と櫓のなかで。
それは森の茂みも濃くなって
葉が新しく萌え出ずる頃。
だが彼には五月も春もなく、
愛の秘薬も慰めの芳香もない。
疲れているのだ! 聖パコミオス祭[1]が来れば
まもなく百歳なのだから。
彼も騎馬槍試合や馬上試合[2]にあけくれ、
戦争にも行った!
だが、とりわけ愛の苦しみを
彼の心が知ることはほとんどなかった!
夢中な心、気をもむ心などは! ご婦人の
誓いなど、港の暗礁。
優しい〈愛〉なら、どんな武人にもまして
ひどく傷つけてくる。
誓いの言葉が結ばれようと解かれようと、契りに
誠があろうと嘘があろうと、
ああ、しがらみ、しがらみ! 悪かろうが良かろうが、
魅惑的な死が近づいてくるとき、
追憶は気ままな夢想にふけりだす[3]。──
心楽しいお遊びだ!
このようにして、苦しみもなく[4]、
ジョエルは思い出す。
エムロ夫人、見目麗しい女性だが
ムーア男に身を任せた。
それから、エスムレ[5]、アンヌ、スノール、
ヴィヴィアンヌ、ジュニー、
マブ、そして女王アリエノール[6]、
その姿は咲き誇る[7]バラの花。
色白の顔をしたファネットは
下僕の子をはらんだ。
そして鉄の衣[8]に身をつつみ
〈キマイラ〉にも似た
イヴェルダン城の奥方は[9]
ベルトランド[10]という姓だった、
彼女のために彼は太い斜め縞の盾を
ひとつならず切り裂いた。
ほかにどんな女[11]がいただろう? (誰が知ろう!)
高飛車なサンシュ、
彼は三人の将兵と同衾する
その現場をおさえた。
アラレット、まばゆいばかりのあの顔[12]。──
心楽しいお遊びだ!
口ぶりはわざと陽気に、
ほっそりとした身を腰にのせ、
薄い絹布[13]をかけた胸は、
枝に積もる雪、
冬の森の雪景色に、
新たに芽吹く茨の花
その脇腹は、紅の衣に栗鼠の毛皮
豪華な黒貂の毛をあしらった毛皮をまとう[14]。
思わせぶりな様子と甘美な抱擁[15]、
略奪した果実にもまさるもの、
これがオード、盛りのついた雌犬さながら
交わろうとする女。
彼女のためなら彼はいかさま賭博もしただろう
ひどい詐欺師みたいに[16]。
彼女のためなら馬の世話でもしただろう、
家畜小屋で、ラバの世話も。
彼女のために彼は偽りの誓いをした、つまりは、
もうさほど裕福ではなく
鋳造した金貨も、領地もないのに、
オーストリア公とともに、
フランドル中を彼は物乞い[17]をしてまわった。──
心楽しいお遊びだ!
[1] パコミオスは三世紀から四世紀に活躍したエジプトの聖職者で、ナイル河畔で初めて修道院での共同生活を行ったという。ここは女性形la Saint-Pacômeで五月に祝われるこの聖人の祭日を指す。
[2] 原語はbouhourで宝典(Trésor de la langue française)には記載なし。DMF(Dictionnaire du Moyen Français 1330-1500)はbehort(Joute, tournoi)の異形とする。
[3] 原文はLa souvenance va musantで、muserは宝典に従い、musarder(ぶらぶらと無為に時をすごす)の派生的な語義rêvasser(夢想にふける)ととる。
[4] 原語はdouloirで宝典には、souffrirの意として、モレアスのこの詩句が引用されている。
[5] DMFによればesmeréは「純粋な」の意。
[6] 文芸の庇護者でアキテーヌ公領の相続者であったアリエノール・ダキテーヌ(1122-1204)を踏まえているか。
[7] 原語はépanieで、詩で用いられるépanouiの擬古形。宝典には例として、« Une coupe épanie » (Richepin, Mer, 1886, p. 66)、« Drapeaux épanis » (Moréas, Sylves, 1896, p. 177)が引用されている。
[8] 原語はgonelleで、宝典によればgonneと同義で、騎士や修道士がまとった袖付きの長衣を指す。gonelle de fer(鉄の衣)は鎧、あるいは鎖帷子のようなものをイメージしているか。
[9] 原文はEt dans sa gonelle de fer / Pareille à la Chimère, / La Châtelaine d’Yverdunで、1893年版のLe Pèlerin passionné以来、gonelle de ferの後にはカンマがある。カンマのない初版だとPareille...はgonelleにかかるようにも見えるが、意味からChâtelaineにかけて読む。女性なのに鎧ないし鎖帷子をまとう姿が、キマイラのような威圧感を思わせるということだろう。
[10] この姓は1907年版ではBriande(ブリアンド)に変更される(Poèmes et Sylves, 1907)。
[11] 初版のみLa quelleと分かち書きされているが、以降の版ではLaquelleである(Le Pèlerin passionné, 1893 ; Poésies, 1898 ; Poèmes et Sylves, 1907)。
[12] 原語はchefで、顔だけでなく髪や頭部を含めた「頭」を指す。「まばゆいばかり」とあるので金髪なのであろう。この語は前行のcapitainesと語源的に響きあっている。
[13] 原語はsiglatonで、宝典によれば、中世に東洋から伝わった貴重な絹織物を言う。
[14] 原語はsébelineで、DMFによれば女性名詞zibelineの古形で、シベリアなどに生息する黒貂およびその毛皮を指す。
[15] 原語はaccoler(動詞の不定法)。
[16] 原詩はComm’ pipeur détestableで、Comme末尾の無音のeの省略は俗謡的。
[17] 本当の乞食というよりは、裕福な貴族らしきふりをして詐欺師よろしく金品を巻き上げることがイメージされているのだろう。
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