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白田由樹/辻昌子編著『装飾の夢と転生 世紀転換期ヨーロッパのアール・ヌーヴォー 第1巻 イギリス・ベルギー・フランス編』(国書刊行会、2022年)/ 鈴木重周

 本論集は、エクトル・ギマールやエミール・ガレといった名とともにわが国でも広く知られている「アール・ヌーヴォー」という芸術運動を、十九世紀末から二十世紀にかけての世紀転換期にヨーロッパで誕生した装飾芸術の大陸的スタイルとして改めて位置づける試みである。日本においてアール・ヌーヴォーは、しばしば「世紀末的な」美意識と結び付けられ、その装飾から生み出される視覚的特性は象徴主義的・神秘主義的・退廃的などと形容され、「デカダンス」という、ややとらえにくい概念によって理解されることが多かった。本論集が目指しているのは、アール・ヌーヴォーという全ヨーロッパ的芸術運動が本来もっている「デカダンス」とは対照的な側面、すなわち「進歩的・未来志向的」な側面にも光を当て、これらふたつの傾向の相克や表裏一体の関係性を浮かび上がせることである。副題に「世紀末」ではなく「世紀転換期」という語を用いていることも、従来のアール・ヌーヴォー研究とは異なるアプローチを目指す著者たちの意識のあらわれといえるのではないだろうか。

 シリーズ第1巻となる本書で扱われる地域はイギリス、ベルギー、フランスである。いち早く産業革命を達成したイギリスを発祥とする応用芸術運動の理論と実践が大陸へと伝わり、同じく工業化をとげた新興国ベルギーで新しい芸術運動として花開き、ベル・エポック期のフランスへと広がっていく諸相が、異なる地域と分野を研究領域とする論者たちによって論じられている。本論集に収められた各論考で展開されるアール・ヌーヴォーをめぐるさまざまな地域や研究領域を横断する議論をすべて紹介することはできないが、以下、十九世紀末フランスを研究対象とする評者の関心にそって各章の内容を紹介することで読者への案内としたい。

 第一章「ウィリアム・モリスの両義性とアーツ・アンド・クラフツ運動」において、建築論を専門とする杉山真魚氏は、アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者ウィリアム・モリスの思想およびその源流としてのジョン・ラスキンに着目することで、世紀転換期イギリスにおける装飾芸術をめぐる思想状況を明らかにしている。ベルギーやフランスの文化および芸術という視点に偏りがちなアール・ヌーヴォー研究を、イギリスの建築論を先駆としてそこからのアプローチによって始めるのも本論集の特長といえるだろう。社会の質が職人を通して芸術の質に直結するという、ラスキンが著書『ヴェニスの石』(1851-53)で展開した独自のゴシック建築観をモリスは継承する。同時に、ラスキンが提唱した「事実」と「意匠」をあわせもつ職人を理想とする「中間」という概念への志向性は、アーツ・アンド・クラフツ運動にみられる両義的なものの追求へと受け継がれていく。著者によれば、運動においてモリスが重視した両義性とは、「自然と歴史」、「過去と未来」、「都市と田園」、「中産階級と労働者階級」そして「アートとクラフト」という五つの対概念を単に結びつけて折衷するものではなく、両概念が揺らぐ場としての「中間」において新しい芸術を打ち立てようとする意志のあらわれなのである。

 ラスキンを経由したモリスらによってイギリスで開始された新しい芸術運動を、大陸側で最初に受容したのが新興国家ベルギーである。本論集の編者である白田由樹氏は、第二章「ベルギーにおけるアール・ヌーヴォーの発展土壌」において、アール・ヌーヴォーが発展する世紀末ベルギーの社会的土壌と知的風土をその独自の芸術文化を歴史的に位置づけつつ明らかにする。十九世紀末ベルギーにおける新しい文芸思潮の担い手となったのは、民主主義的価値観に適した表現を模索する若い世代の芸術家たちであった。1883年にブリュッセルで結成された芸術サークル二十人会は、流派にとらわれない芸術家たちの共存により革新的かつ国際的な幅広い作風の展示を行った、世紀末文化史において注目されるべき運動である。二十人会はやがて自由美学協会へと発展的に解消され、ベルギーにおいて応用芸術としてのアール・ヌーヴォーが発展するにあたって大きな役割を果たす。フランスにおいて十九世紀末は「メディアの黄金時代」であったが、隣国ベルギーにおいても同様の事象がみられる。自由美学協会の事実上の機関誌であった『現代芸術』(1881-1914)が提唱する「社会芸術」とは、絵画や音楽等の純粋芸術のみならず、家具や衣服等の生活にかかわる実用品までを芸術と定義し、それを創り出す芸術家たちを支援することで公衆の趣味を向上させることで社会全体の改良を目指す試みである。ここには、ラスキンを源流とするモリスの思想への接近をみることができる。本章がさらに明らかにするのは、ベルギーのアール・ヌーヴォーと社会主義運動との関係である。1893年の普通選挙導入によって台頭したベルギー労働党は、党内に芸術セクションを有し、芸術の革新と社会改革を結びつけるべく数々の活動を行っていた。社会主義運動と芸術との関わりは、その危険性も含めて二十世紀芸術史のひとつの論点であるが、本章で論じられるベルギーの事例は、その成功例として記憶されるべきものだろう。

 第三章「オルタの総合デザインと顧客層」でベルギー建築を専門とする小田藍生氏が取り上げるのは、世紀転換期のブリュッセルで華々しく活動した建築家ヴィクトール・オルタである。筆者自ら撮影した数々の図版と解説によって示されるのは、オルタが依頼主のためだけに手がけた「総合芸術」というコンセプトによってデザインされた建築物の特殊性である。本章で指摘されるのは、オルタ建築の背景にある、首都ブリュッセルに流れる自由主義の気風──とりわけ教育を宗教と分離しようとし当地に「自由大学」を設立したフリーメーソンという存在の重要性──やその顧客となった中産階級の人々の文化的生活に対する憧れの感覚といった諸要素の存在である。一人の建築家とその建築の特性を若い国家ベルギーの社会状況に照らしつつ論じる本章は、アール・ヌーヴォーという芸術運動が確かにもっているが等閑視されがちだった社会との具体的な接点という問題について明らかにしてくれる。

 続く第四章「ヴァン・ド・ヴェルドの「新しき芸術」論と原始性志向」で白田氏は、芸術家ヴァン・ド・ヴェルドと植民地を中心とする「部族芸術」とのかかわりを明らかにする。出身地のアントワープからブリュッセルに上り、二十人会にも名を連ねたヴァン・ド・ヴェルドは、画家としての活動の後応用芸術作家へと転身する。なかでも彼が創作の理想としたのは、「本能」によって自然からインスピレーションを得て子どもの皮膚に入墨を彫る「未開部族」の姿であった。アフリカやオセアニアの「未開部族」という存在とその装飾に、ヨーロッパ文明が喪失した自然らしさを見出し評価する態度そのものは、現在においては客体にゆがんだ眼差しを向けるオリエンタリズムの一つの表れとして理解されることが一般的であるだろう。本章において白田氏は、ヴァン・ド・ヴェルドの源泉としてカミーユ・ピサロとポール・ゴーガンという二人のフランス画家に言及することによって、彼の創作を単にオリエンタリズムとして批判的に回収するのではなく、「未開」や「野蛮」といった概念が、疲弊した世紀転換期ヨーロッパの汚れを浄化する「無垢」へと至るロジックを明らかにする。もちろん、そこには悪名高きレオポルド二世によるコンゴ支配が少なからず影を落としており、本章の結論では、ヴァン・ド・ヴェルドが体現するベルギー芸術の理想主義の限界も示されるのである。

 第五章「世紀末フランスにおけるエステットとコレクター像」から論考の対象はフランスへと移る。本論集のもう一人の編者である辻昌子氏は、フランス世紀末文学を代表するキャラクターであるJ-K・ユイスマンス『さかしま』(1886)の主人公デ・ゼッサントを「理想的な室内に閉じこもる人物」ととらえ、彼の蒐集家=コレクターとしての姿を通して「エステット」(耽美主義者)像の変遷を明らかにする。十九世紀にブルジョワが獲得した安らぎの空間としての室内が、デ・ゼッサントのようなエステットによって「自己が投影されたものに囲まれた世界」、すなわち「人口楽園」へと変化し、そこに閉じこもることによって部屋の主はニヒリズムへと陥り悲劇的な結末を迎える。筆者によれば、この「他者を拒む室内の自己完結性」こそが世紀末的欲望の本質である。1880年代にデ・ゼッサントによって典型となったエステット像は、世紀転換期の小説家ジャン・ロランが描く登場人物たち──フレヌーズ、イーサル、ブーグルロンら──によって単なる蒐集者から「芸術を定義する者」へと変化していくのである。

 フランスにおけるアール・ヌーヴォーの仕掛け人として大きな役割を果たしたことで知られる美術商S・ビングと装飾芸術との関わりを再検討したのが白田氏による第六章「S・ビングとフランス式「アール・ヌーヴォー」の創成」である。まず筆者が着目するのは、「S」で示されるビングのファーストネームである。ドイツから帰化したユダヤ系フランス人という錯綜したアイデンティティーをもつビングにとって、ともにSを頭文字とする「サミュエル」というユダヤ性を連想させる名と、ジークフリートという、当時のフランスにあっては反独感情を引き起こすドイツ語の名は、どちらかを戦略的に選択せざるを得ないものであった。イニシャルでの表記は、その一例といえるだろう。筆者は、帰化したユダヤ系市民としてのビングがもつフランスへの愛国心が、「異文化の同化と混合によるフランス芸術の再構築」という彼の活動の「軸」に存在すると指摘する。自ら設立したギャラリー「アール・ヌーヴォー」での数々の展示において、ビングは「新しいフランスの装飾芸術」を形成すべく奮闘する。世紀転換期のフランスは、ドレフュス事件で可視化される反ユダヤ主義とナショナリズムの時代でもあった。本章から浮かび上がるのは、普仏戦争とドレフュス事件を経て再び戦争へと向かっていく困難な時代に、自身の持ち場でことさらに排外主義とは違う「フランスらしさ」を追求し、芸術によって共和国に貢献しようとしたユダヤ系フランス人の一つの典型といえるだろう。本章から浮かび上がるのは、単なるやり手の美術商ではない、時代に生きるユダヤ系フランス人ビングの姿なのである。

 第七章「エルネスト・ボスクの『美術骨董事典』にみるコレクションの大衆化」で辻氏がエルネスト・ボスク『美術骨董事典』(1883)に着目しつつ論じるのは、十九世紀末後半のフランスにおいて高まりを見せたコレクション熱である。ボスクの事典に特徴的なのは、それが第五章で論じられた「蒐集家」ではなく一般大衆向けに書かれていることである。辻によれば、世紀末とはデ・ゼッサントに代表されるような俗世界に背を向けて閉じこもるエステットによる人口楽園としての理想の「室内」が描かれることで、それに憧れる中間層へも蒐集趣味が開かれていく過渡期であった。理想の装飾によって「室内」を作り上げる手段としてのコレクションという行為が、すでに1880年代において中間層へも及んでいた、言い換えれば大衆化していたことがボスクの事典から示されるのである。

 続く第八章「アンリ・ド・レニエ『真夜中の結婚』にみる一八九〇年代の創造と蒐集」で辻氏は、アンリ・ド・レニエの小説『真夜中の結婚』(1903)を取り上げ、テクストに表れる室内装飾と大衆ジャーナリズムとの関係性について論じている。『真夜中の結婚』は、当時存命の著名人たちをモデルとした新聞連載小説であり、この種のテクストは、必然的に単なる文学作品としてだけでなく、読者にゴシップを提供する三面記事的な機能も併せもつ。小説で描かれる主要な登場人物セルピニー子爵のモデルは、かつて『さかしま』においてデ・ゼッサントのモデルとなったロベール・ド・モンテスキウ伯爵である。辻は、『さかしま』において確かな審美眼をもつ人物としてモデルとされたモンテスキウ伯爵が、世紀をまたいだ『真夜中の結婚』においてはセルフプロデュースに長けた山師的な人物のモデルへと移り変わっており、その背景には室内装飾というものに対する視線の時代的変化──エステットから大衆へ──があると指摘している。『さかしま』のデ・ゼッサントから『真夜中の結婚』のセルピニーへ、世紀末フランスを体現するかのような人物であるモンテスキウ伯爵の文学テクストにおける表象の変遷を通して、時代の室内装飾観の移り変わりが明らかになるのである。

 二十世紀を代表する小説である『失われた時を求めて』(1913-27)において、マルセル・プルーストがいかにして室内装飾を描いたのかを問うのが平光文乃氏による第九章「マルセル・プルーストの作品における室内装飾と芸術創造」である。本章において評者にとってとりわけ興味深いのは、世紀転換期の装飾芸術運動であるモダン・スタイル(アール・ヌーヴォー)が、登場人物が「ドレフュス派か否か」を示す指標になっているという言及である。『失われた時を求めて』におけるドレフュス事件やそれをめぐる会話は、登場人物たちの思惑や本性を明るみに出す一種のリトマス試験紙としての役割を担っていることは先行研究によって度々指摘されているが、本章においては、室内装飾の趣味が、そのまま登場人物の事件に対する立ち位置を示すものであることが明らかになる。たとえば、ゲルマント家の一員サン=ルーはミュンヘン・スタイルの別名をもつモダン・スタイルの室内装飾の信奉者として描かれることで、そのドレフュス派としての側面が強調される。フランスに根をもたず、コスモポリットなモダン・スタイルの特徴がそのままドレフュス派のコスモポリタニズムに接続されるのだ。当時、コスモポリットであるということは祖国に根を持たない非フランス的な思想の持ち主であり、国際的な「ユダヤ組合」なる組織に通じている、との言説がさかんに反ドレフュス側から喧伝されていた。また、『失われた時を求めて』においては、スワンの妻オデットの「悪趣味」なサロンの室内装飾も語り手である「私」に描写されることによって詩的空間として立ち現れる。筆者によればそれこそが前世紀のバルザックやゴンクール兄弟による室内描写とは一線を画すプルースト的エクリチュールのなせる業なのである。

 本論集を締めくくる第十章「フランス世紀末の装飾趣味と文学のアール・ヌーヴォー」で中島廣子氏は、フランス世紀末の文化的特徴としての装飾の過剰性に着目し、文学テクストを参照しつつ世紀末に至る審美観の変遷を明らかにする。筆者がまず着目するのが普仏戦争とパリ・コミューンによって経験された飢餓や欠乏の──その状況はエミール・ゾラやその弟子ギ・ド・モーパッサンやユイスマンスら自然主義グループがたびたび描いているとおりである──代償行為としての過剰性である。そこでは戦勝国プロイセンに対して文化的優位を誇示するものとしてのフランス装飾芸術の称揚がある。本章では、世紀末フランスの装飾文化をめぐるさまざまな事象──戦争、近代科学と実証主義、自然観の変化、芸術文化活動の基地としての郊外の誕生、室内にある人工的自然──をたどりながら、それらアール・ヌーヴォー的モチーフが、エレミール・ブールジュ、オクターヴ・ミルボー、ロラン、ラシルドらのテクストを彩っているのと同時に、戦争によるトラウマも影を落としていることが示される。フランス世紀末とは、アール・ヌーヴォー的な装飾芸術、デカダンス的耽美主義、驚異と怪奇に満ちた幻想文学が花開いた時代であると同時に、戦争と内乱、アナキズムによるテロの頻発、度重なるスキャンダルによる政治不信、反ユダヤ主義と排外的ナショナリズムの高揚がみられた混乱の時代でもあった。本章で中島氏が世紀末の文学や芸術に表れる装飾文化を分析することで明らかにするのは、決して社会的要因とは無縁ではない世紀末文化の有り様なのである。とりわけ、普仏戦争から第一次世界大戦へと向かうこの時代の文化事象に「戦争」という視点からさらにアプローチすることが必要であるとの結論部での指摘には大いに納得するものである。

 本書を出版した国書刊行会は、かつて、大学図書館に並んだ「フランス世紀末叢書」シリーズ(1984-90)を夢中になって読み、後にそこにラインナップされていた作家について博士論文を書くことになった評者のような研究者にとって非常に思い入れのある出版社である。本論集はこれまで「世紀末」に関して数多くの文献を出版し続けてきた国書刊行会による「世紀末」研究の、現代の研究動向や水準にふさわしくアップデートされた研究成果であるといえる。第1巻で扱われなかったドイツをはじめとするヨーロッパ諸地域が続巻で取り上げられることを心待ちにしたい。


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