【2023年12月23日に開催された、ジャック・ランシエール『文学の政治』(森本淳生訳、水声社、2023年6月刊)オンライン合評会(フーコー研究フォーラム主催)の記録】
ランシエールの書くものは面白い。政治という主題をめぐって、彼との距離の取り方を直接の知己を得て以来30年の間微妙に変化させてきたにもかかわらず、私はつねにそう思ってきました。私にアルチュセール研究への道筋を付けてくれたのはランシエールでした。アルチュセールの草稿類がすでに供託されていた、まだ開設されたばかりのIMECへの丁寧な紹介状を、日本から来てまもない私に書いてくれたのです。その紹介状のおかげもあってか、私はまだ整理されていないばかりか、生前の自宅から完全に移されてもいなかったアルチュセールの草稿類にほぼ無制限のアクセスを許されたのです。しかし、私がランシエールの書くものは面白いと本当に思ったのは実はその後です。1993年にあるコロキアムの報告集に彼のアルチュセール論 « La scène du texte »が掲載されます。それが私の、というかその後友人となったフランソワ・マトゥロンと私、二人のアルチュセール研究の方向性をある意味決定づけたと言っていい。今日の話にも関係するので一節だけ引用させてください。「私にとってアルチュセールはいくつかのテキストのfulguranceと失敗のéclatである」。論考が単行本『肉の言葉』に収録されたとき(1998年)、どういうわけかこの一節を含む冒頭部分が数行カットされていました(タイトルも変更)。それもあって引用するのですが、論考の全体を強引に要約すれば、ランシエールはそこでかつての師を「テキストの劇場化théatralisation」の名手として描いています。「劇場化」の効果こそfulguranceでしょう。そしてfulguranceとéclatは辞書的にも文脈的にも同じことを言わんとしているとみなしていい。ランシエールはアルチュセールのテキストと、スキャンダルに帰結した実際の歩みとを同じように、「閃光を放つ」という演劇的効果のレベルにおいて捉えています。強烈という点で同種の光、目を眩ませるという一つの同じ効果を持つ光を、肯定的かつ否定的に捉えている。魅了する、かつ人を惑わせる。いずれにしても驚かせる。そんな両義性においてアルチュセールは面白い、と、私とフランソワは言い続けようとしてきたと思います。ランシエールに倣って、かつ彼に抗いつつ、彼とは別様に、です。
私はあえて「面白い」という同じ語をランシエールとアルチュセールの二人に用いました。誰にとっても、あるいはどのような視点からも面白いのかは別にして、私の考えるランシエールの面白さは、彼がアルチュセールに読み取った/見て取ったそれと同質であることを言うためです。極論すれば、二人の政治路線における差異さえ同種の面白さを今日備えていると思っています。閃光の両義性、異質な二つのものの衝突から生まれる一瞬の眩い光こそ面白い、と私はランシエールから教えられた気がします。実際、森本さんをはじめとするランシエールの訳者の方々は気付かれているはずです。「舞台scène」、「劇場」、「演出mise en scène」、「閃光」等々はランシエールの政治論においても文学論においても、その他どのような書き物においても、一種のキーワードとなっていないでしょうか。彼の立場を特徴付ける上でもっとも重要な概念たる「平等」は、数々の分析における中心的論点を言わばテキスト上で輝かせる舞台装置になっていないでしょうか。政治に関しては、公的舞台の外に置かれ、声なき存在とされている人間を舞台の上に登らせ、一つの発話の声そのものを衝突音として響かせる概念的仕掛けが「平等」です。取るに足らない日常的な事物や事件に普遍的な美の資格を与える「文学革命」も、「平等」の実践でしょう。そしてそうした「平等」はなべて「閃光」という演劇的効果により、あるいはそんな効果としてのみ、実現が認められる。ランシエールの「平等」は権利でも制度でもない、そんなことは今さら強調するまでもないでしょう。そこから出発しつつ、まさにそこを輝かせるための理念にして方法です。衝突しないはずのものを衝突させる原理です。ランシエールは2000年代に入ってから、あるインタビュー(Dissonance n°1)でこんなことを言っています。「私にとって政治とは演劇的で人為的な空間の構成なのです」。政治の演劇モデルととりあえず呼んでおきましょう。ただしそこでの劇場はすでにある劇場ではない。その外に置かれたものを舞台に上せるべく、その都度新しく構成される劇場です。
私としては、ランシエールがそんな政治観をはっきり示すようになったのは、先に引いた論考が実際に口頭発表された1991年、つまりアルチュセールの死の直後からではないだろうか、と思っています。またつまり、彼はアルチュセールに再度向き合うことで、その後今日まで続く政治観を得たのではないか、と。その政治観は演劇に関わる以上すでに十分esthétiqueです。政治と文学さえ、件の発表原稿はすでにはっきり繋いでいます。まさにアルチュセールの演劇論を解釈することによって、です。その演劇論(ブレヒト劇のある演出につて)の詳細をここで述べることはしませんが、舞台の上にないものとしての「空虚」の存在をいかに観客に感じさせるか、つまり見えないはずのものをどのようにして見せるか、というところに、ある舞台演出の鍵を見ています。現代のランシエール読者にはお馴染みの« le partage du sensible »を、彼の目に映るアルチュセールはすでに問題にしているとも言える。さらに『資本論を読む』のアルチュセールです。これも詳細を述べることはしませんが、彼がそこで分析しているVorstellungとDarstellungのマルクスにおける差異は、そのまま演劇的なreprésentationと、「作者なき演劇」である「構造」のexpressionとの差異として、アルチュセールにより言い換えられています。このexpressionに劇場空間の「構成」としての政治というランシエールの考え方の原型を認めることはそれほど間違っていない、と私は考えています。何より『資本論を読む』の頃、彼は紛れもないアルチュセール派でしたから。「構成constitution」され「表現expression」されるものを「構造」から「政治」に置き換えてやればいい。「構造」と「政治」ではずいぶん違うようにも思えますが、アルチュセールにとっても「構造」はすでに階級闘争という「政治」です。「平等」も階級闘争を発動させる概念装置だと言えないこともない。
とはいえ、1991年にアルチュセールについて再度論じる以前、ランシエールはその「平等」をまだ演劇はおろか« le partage du sensible »にさえ結びつけていないように見えます。81年に刊行された博士論文『プロレタリアの夜』において、労働者詩人はすでに高名な詩人たちと同じように詩作能力を発揮しています。しかし彼らはまだ「夜」の人であり、舞台の上でその能力を発揮していない。ランシエールによって文書庫に発見されただけです。二種類の詩人たちの衝突は演劇的「閃光」を公の舞台では放っていない。87年に刊行された『無知な教師』の主人公も、普遍的能力としての「知性」を書物の中で主張しただけです。その書物はランシエールが発掘するまで、まさに歴史に埋もれていました。『プロレタリアの夜』と『無知な教師』において、「平等」はすでに原理の位置に置かれているとはいえ、その原理は潜在的なものにとどまっており、つまり『資本論を読む』における「構造」概念と同じように、時の鐘を自分では鳴らさない最終審級の位置にとどめ置かれており、固有の劇場空間を持っていないように見えるのです。ところが91年の論考は「テキストの舞台」と題されている。「テキスト」そのものを一つの劇場空間と見ている。「平等」が原理としてのみならず、それ自体で「閃光」を放つ効果として、テキストの中に入ってきているのです。誰もが持つ普遍的能力としての「平等」が、見えるものと見えないもの間の「平等」に拡張されて、テキストそのものが両者の抗争の舞台になっている。私がパリ第8大学でランシエールの授業に出ていた頃、彼はやがて『不和』に結実することになるプラトンやアリストテレスの話をしていました。「平等」を能力の問題から抗争の次元へと移行、拡張させつつあったわけです。そして95年の『不和』刊行の翌年96年、森本さんと坂巻さんが訳されたマラルメ論『マラルメ:セイレーンの政治学』を刊行します。政治を「平等」原理の特殊な演劇化として一般的に定義した後すぐに、言わば文学史の王道へと議論の矛先を向けたのです。私にはそのマラルメ論がアルチュセール論「テキストの舞台」から生まれた子どものように思えました。以降、ランシエールが文学史の書き換えを行う人として世界的に認知されていくようになるのは皆さんご承知の通りです。2000年代に入ってからだったと思いますが(正確に何年であるかは忘れました)、来日した彼と久しぶりに会った私はつい不躾に聞いてしまいました。「最近文学論ばかりですが、政治はどうなったんですか」。彼の正直な答えを今でも忘れることができません。「本当は政治なんか嫌いなんだ。僕は元々文学の人間なんだよ」。どう受け止めるべきか分からず、 « Je ne savais pas ! »と反応するのが精一杯でした。「君はアルチュセールの研究をしにフランスへ来て、世界革命のために出て行ったんだよな」と、私がすでにネグリ派としてものを書き出していたことを知っていた彼に皮肉を言われたせいもあります。
本日は書評会の場であるのに、前置きのような話を長々としてしまいました。しかし、主題である『文学の政治』への本日の私のアプローチを正当化するために必要な手続きとしてご容赦ください。本書に一貫して流れている「文学革命」という視点、そしてこの「革命」を把握するランシエールの仕方、ひいては « le partage du sensible »という彼の政治的な美学の全体を凝縮した概念を、私は彼のデビュー作と言っていい『資本論を読む』所収論文に連れ戻してみたいのです。タイトルは長いものです。「『1844年草稿』から資本論までの批判の概念と経済学批判」といいます。言わばアルチュセール派時代から現在まで変わらずランシエールが持ち続けている図式を抽出することで、彼の文学論や美学に関心を寄せる人々への私からの寄与としてみたい次第です。
そのマルクス論を「文学革命」へと橋渡しする鍵概念は、ドイツ語のVerkehrungです。『資本論』では第1巻で貨幣を論じる箇所に出てくる。貨幣に対する物神崇拝(フェティシズム)と、生産関係の物象化としての貨幣を分析する際に、物神崇拝にも物象化にもVerkehrungが見られるとマルクスは言う。日本語では「転倒」と訳されたりします。ランシエールは、物神崇拝と物象化ではしかしVerkehrungの意味が違うのではないか、と指摘します。物神崇拝におけるVerkehrungはフランス語ではrenversementと訳し、物象化に関してはinversionと訳して二つを区別すべきだ、と。ちなみに、ごく単純な事実を私から指摘しておけば、今日の発表を準備するにあたって『文学の政治』においてこの二つのフランス語とその同族語(renverserやinverser、inverseなど)がどこでどのようにどれくらい使われているかを調べてみようとしたのですが、数えるのを私に諦めさせる程度には用例は多い。森本さんはrenversementを「転覆」、inversion関連語を概ね「反転」と訳されています。とにかく、それら二つがランシエール文学論におけるキーワードとなっていることは、この単純な事実だけからも明らかでしょう。『資本論を読む』所収論文と『文学の政治』で、二つの語群の使い分けが完全に一致しているかまでは調べませんでしたが、二種類の「転倒Verkehrung」を区別するというロジックは確実に受け継がれています。
二つはどう違うのでしょうか。皆さんにより馴染み深いと思われる「文学革命」のほうから見ていきましょう。「転覆」は上下関係、ヒエラルヒーの「転倒」です。上下を逆さまにする。「文学革命」以前の古典主義詩学の時代には、作品は「らしくvraisemblable」という規範を持っていたとされます。それ自体、演劇モデルの規範なのですが、作品は現実の模倣-表象-上演でなければならず、そこに描かれる人物も現実世界における地位を反映して、それ「らしく」振る舞い、発話しなければならない。こうしたあり方をランシエールは他の諸著作で「表象体制régime représentatif」という呼び方もしていますが、そこではとにかく表象としての作品は、描かれる/表象されるものの「下」にあります。作品の真理性は、作品がそれ「らしく」倣うべき現実のほうに判定基準があるわけです。何を描く、舞台に上げるべきかについても上下関係がありました。アリストテレスを受け継いで悲劇こそ文芸の最上位に置かれるべきであり、悲劇が世界のあり方の真理を教えるとされる。文学者である皆さんからは、そんなことはもう分かっていると思われそうですが、「文学革命」はこうした一連の上下関係すべてを「転覆」します。上を引きずり下ろし、下を上に押し上げる。もはや何をどう描いてもよいし、馬の毛を擦り合わせる音に美を見出さねばならない。そこら辺に転がっている日常的事物を「絶対的文体」で描写しなければならない。釈迦に説法でしょうからこれ以上の説明はやめておきますが、とにかく「文学革命」の結果成立する「芸術の美学的体制」――「諸芸の表象体制」に取って代わる――においては、文学はおろか絵画、音楽などの「芸術」を構成するすべての要素が「平等」です。
文学者ならぬ、しかし長年ランシエールを読んできてはいる私から皆さんに提供することのできる知見はたった一つです。この上下関係の「転覆」を『資本論を読む』におけるランシエールは、『1848年草稿』(いわゆる『経哲草稿』)のマルクスに、というよりそのマルクスが援用したフォイエルバッハの疎外論に結びつけている、という点です。神が人間を造ったなどいう宗教の教えは嘘だ、人間の本質の疎外が神である、という有名な議論です。人間と神の関係はまるごと「転覆」させねばならないとフォイエルバッハは説き、『経哲草稿』のマルクスはこの疎外のロジックを人間労働とその成果の間の所有関係に持ち込み、さらに『資本論』において彼は貨幣の物神崇拝に同じ疎外の典型を認めた、という、それ自体は現在では周知の学説史的議論です。しかし「転覆」の結果はどうなるのでしょう。青年マルクスにとっては階級が廃絶された共産主義社会の実現であり、ランシエールにとってはかつても今も「平等」の出現ないし露呈です。しかし『資本論を読む』における彼はマルクスの物象化論に「転覆renversement」とは違うVerkehrungを認めるのです。一言で定式化すれば「貨幣とは生産関係そのものである」、つまり貨幣とは生産関係が物象化された、生産関係の表現expressionである、という物象化論に、どこまでも逆説にとどまる「反転inversion」を読み取るのです。表現される関係は因果的には表現するものたる貨幣に先行します。あくまで生産関係のほうが原因です。ところが実在的には、貨幣が存在していなければ、この関係は実現されません。貨幣の存在が資本主義的生産関係を可能にする。実在的には、また歴史的にも、表現する貨幣が表現される生産関係に先行する。シニフィアンがシニフィエに先立つ。シニフィエあってのシニフィアンなのに。記号の場合には両者は同時に決定されると言ってしまえばおしまいでしょうが、この逆説的「反転」が『資本論』のマルクスにおいては決定的である、とランシエールは考えるわけです。上下関係の「転覆」というロジックを捨てると「反転」が現れる。表現するものと表現されるものの「平等」とはこの「反転」にほかならない。上下関係が消えた後には、前後関係の「反転」、反転する前後関係として「平等」が出現する。顕になる。上下関係にあっては、上のものが下にあるものに力関係において上に、前後関係において前にありました。そんな上下関係を潰して二つを「平等」に、かつ同じ地平に並べると、力関係は消滅しても前後関係は「反転」として残るわけです。というか「平等」は単なる無関係を含意しないかぎり相互依存であり、相互依存は前後関係の「反転」を含意するでしょう。さらに、水平方向に展開される現実的「反転」を垂直方向に想像的に転換したものがいわゆる疎外論、上下関係の「転覆」の論理だ、ということになるでしょう。とにかくそれが、ランシエールが物象化論に読み取った『資本論』の論理つまりマルクス的「経済学批判」の核心です。
このように整理するとVerkehrungに含まれる問題というか難点も、少しは鮮明に見えてくるのではないでしょうか。最初に「転覆」がなければ「反転」は現れない。しかも上下関係は単なる空想の産物ではなく現実的です。封建的位階制もブルジョワジーの支配も「表象体制」も実際にあった/機能していた「体制」です。それが「転覆」され、消滅してはじめて「反転」の平等性、平等の実現としての「反転」は可能になる。「反転」は「転覆」を必要条件とし、その中に含まれる。「転覆」の結果として、です。しかし「反転」の含意する力や能力の平等が現実的にあるから、その想像上の転倒――錯覚です――も現実的な「転覆」も可能になる。「反転」こそ「転覆」の必要条件です。つまり「転覆」と「反転」は、平等な二者と同じように相互依存しているのです。私としては二重の包摂の関係にあると言いたいところですが、その点には今日は深入りしません。
その代わり、「転覆」と「反転」の二重性がランシエールの言う「文学革命」にそのまま持ち込まれている点は指摘しておきたいと思います。『文学の政治』にその例を見つけることは難しくありませんが、引用と分析が長くなってしまいますので、ここでは森本さんが解題で紹介されている、『アイステーシス』(2011年――ちなみ副題は「芸術の美学体制の諸舞台」です)における象徴主義のランシエール的定義をそのまま参照します。二種類の定義が紹介されています。
象徴主義とは象徴の利用を意味するものではない。それは、象徴的表現と直接的表現の差異そのものの消去suppressionである。
象徴主義とは象徴の利用を意味するものではない。象徴は、詩と同じくらい古くから用いられてきた。象徴の利用は、本来の意味と比喩的な意味の関係、意味とその感覚的な表現の古い体系の中に完全に含まれていたのである。反対に象徴主義とはそうした関係の転覆bouleversementである。
最初の「消去」は「反転」の効果と言っていいでしょう。象徴的表現と直接的表現が相互「反転」して同じになってしまう。象徴が象徴されるものと「平等」になる。二つ目の定義における「転覆bouleversement」は、森本さんがrenversementと同じ訳語を充てている点にも見て取れるように、「本来の意味」と二次的・派生的な「比喩」という本来性と真正性をめぐる上下関係のrenversementだと読むことができます。文学における象徴のマルクスの土俵における相同物は貨幣でしょう。実際、『アイステーシス』と『資本論を読む』におけるランシエールの議論も、次のように重ね合わせてやることができます。生産関係が物象化された、象徴としての貨幣において、その貨幣と生産関係はまさに物象化によって差異が「消去」される。物象化とはこの差異の消去です。貨幣とは生産関係「である」のでした。また貨幣においては、「本来的」に人間的な労働なり能力が、そこから生まれた貨幣、「本来的」力の象徴たる貨幣に疎外され、力関係が転倒されている。貨幣とは人間的な力の「比喩」表現です。初期マルクス=フォイエルバッハ的な「革命」はこの疎外を「転覆」させる。象徴主義は「文学革命」を疎外論的かつ物象化論的に遂行するわけです。疎外論的かつ物象化論的な革命? まるでマルクス主義理論の歴史全体に喧嘩を売っているようなものです。そんな立場がランシエールの文学論というか彼による文学的テキストの読解を支えている点は、押さえておいてよいと思います。
そして、そんなアルチュセール派的にも日本では廣松渉的にも相容れないはずの二つの立場を両立させる理論的な仕掛けが、私には「テキストの舞台」という視点だったと思えるのです。政治と文学の両方における演劇モデルと言ってもいい。すでにある舞台に役者を上せたり誰かが自分で役者として上ったりするのではなく、舞台そのものを設える「構成constitution」を政治と定義する。また、固有に文学的なテキストを書く営みと見なす。構成されるまでその舞台はなかったわけですから、構成の結果としてしか、そこで上演=表象される舞台外の現実世界は存在していません。「構成」はそれまで見えていなかったものが見えるようになることです。それまでの舞台を壊さないかぎり、新しい舞台は設定されませんし、舞台の破壊はそこにいた役者たちを舞台から引きずり下ろす「転覆」です。そして、「構成」は可視化の作業ですから、「感覚的なもの」の再分割です。新しい « partage »です。観客に共有されている見えるものと見えないものの境界線の引き直し。ちなみに私は « partage du sensible »の « sensible »を「感性的なもの」と翻訳することに強い違和感を覚えます。「感性的なもの」と言ってしまうと、「知性」と「感性」の対比が示すように人間的能力の問題になってしまうからです。« sensible »はあくまで「感じられる」でしょう。ランシエールにとって人間的能力は普遍的知性intelligenceだけです。 そんな知性が行使されることによって、舞台の「構成」は行われる。そしてそれにより「感覚的なもの」が再分割された結果、あるいはその瞬間だけ、分割線の両側にあった二つのものは「反転」する。新しい舞台が持続すれば、下に落とされ見えなくなるものが出てきますから。声を聞いてもらえない貧者は、忘れられた昔の戦いにおける敗者だったかもしれない。「マラルメの政治」というサブタイトルをもつ論文の主タイトルは「闖入者」です。舞台が新たに構成される瞬間、そこに上る者はつねに「闖入者」でしょう。あるいは「闖入者」の登場は、見えるものと見えないものの分割線を必然的に引き直します。彼はいないはずのところに出現するのですから。それによって、それまで見えていなかった虚無の空間を見せ、彼が出現したその場所を「平等」の舞台に変えてしまう。
徹底した反ヘーゲル主義の立場だと思います。見えるものと見えないもの、「転覆」と「反転」はけっして総合されない。それぞれ同時にしかないからです。ランシエール的舞台の上でも矛盾とそれが解決されるドラマが展開されているように見えるかもしれません。演劇はつねに弁証法的であるのかもしれません。しかしランシエールの演劇モデルにおいて肝要なことは、それが舞台の「構成」という括弧付き「ドラマ」であり、そのドラマは衝突のfulguranceないしéclatを一瞬輝かせるだけ、という点です。ドラマは持続しない。時間に抵抗します。歴史を持たない。その点をランシエールはブレヒトに即してこう述べます(森本さんも解題で引いています)。「弁証法的でないような世界理解などは存在していない。しかし弁証法による政治などというものはない」。「世界理解」は「構成」を外から見ている観客の立場です。観客からは「闖入者」が登場し、星座の淡く眩い光か稲妻の強烈な光を放って消える様も一つのドラマのように見えるでしょう。政治はいつも弁証法のように「見える」。しかし「構成」そのものを演出する作家にとっては、まず「転覆」しなければならない。「表象体制」が設えた舞台を、書きながら破壊しなければならない。「反転」が輝きとして現れるように。破壊的「転覆」と構成的「反転」を同時に遂行しなければならない。時間が一方向に流れる舞台からは降りなければならないのです。作家は彼だけに属する「夜」の時間を生きています。『プロレタリアの夜』の労働者詩人の「夜」です。その意味でこそ、ランシエールの博士論文と90年代以降の文学論は繋がっています。
私はかつて、このような彼の立場を実はフォイエルバッハ的なのでは?と思ったことがあります。それを、ランシエール論としてではなく、彼の強い影響下にあった哲学者のデカルト論に即して書いたこともあります。そのときこう記しました。「フォイエルバッハを読み直すべし。さもなくば『理性のordre秩序/順序』の反転を取り逃がすであろう」。デカルトに即して言うと、彼の『省察』は絶対に確実なもの、誤っている可能性がないものとしての「理性」を手に入れてから、精神と身体の二元性へと考察を進める、という順序になっています。しかしそのデカルト論の著者は、デカルトと王女エリザベトの往復書簡に、この「理性の順序」とは逆に精神と身体の混交たる「感覚的なもの」から出発するデカルトの姿を認めます。素朴な人である王女は、哲学者の展開する複雑な手続き論(第一省察)を「分かりませんわ」と一蹴してしまうのです。そこでデカルトも王女の説得を諦め、誰にでも分かる「感じられるもの」の話からはじめようとする。ここに第一の「反転」が認められます。王女に対しデカルトは第六省察から出発して「理性」に向かおうとする。ところが二人の往復書簡が最終的に辿り着くのは、デカルトとエリザベト、精神と身体の相互「反転」そのものとしての「理性」にほかならない、と件のデカルト論著者は示すのです。純粋精神の立場を代表するデカルトと、純粋な身体感覚を大切にする王女が、最後に相互理解に到達する。これって「絶対的地平」から出発して「本質の疎外」を説明するフォイエルバッハの議論そのものではないか、と私には思えたわけです。「絶対的地平」は「環境Umwelt」とも言い換えられ、主体と対象が共に属す空間です。教える主体たるデカルトと、その生徒つまり教育対象たるエリザベトが結ぶ関係です。「主体の本質」もあくまでこの「地平」から出発して、あるいは「地平」を前提に、疎外されます。2012年に原著が刊行されたランシエールのロングインタビュー『平等の方法』を自分で翻訳することになったとき、私はそこに、そのデカルト論著者と私の解釈がランシエール自身によって是認されたように思える文章を見つけました。
私は長いあいだフォイエルバッハに取り組んできたのですが、ヘーゲルを時間の哲学者として批判する彼は、こんなことを言っています。空間は共存を打ち立てるが、時間はそれを排除する。(…)時間がつねに禁止のアリバイとして機能するという彼の指摘は、私には興味深かった。あらゆる形式の禁止、追放、命令がつねに、「まだそのときではない」とか「もうそのときは過ぎた」とか「そのときは来なかった」といった考えを経由している。もう無理だ、あるときには可能だったけれども今はもう無理だ、あのときしか起こりえなかった、などと言われる。私はそれを空間によって置き換えようとしたのです。配分の媒質であり、同時に共存の媒質であるような空間によって。
これを読んだとき、私はニンマリしました。ランシエールが自分に応答してくれたと思ったからではありません。ここにはランシエール的「舞台」概念、彼の政治と文学を貫く演劇モデルの意味と源泉が明かされているから、というわけでもありません。「長いあいだ」と彼は語っていますが、彼が若いときからその歳までずっとフォイエルバッハを読んできたというわけではないでしょう。そんな兆候は彼の書くものにありません。この「長いあいだ取り組んできた」は若い頃のいっとき一生懸命に読んだ、という意味でしょう。いつ頃でしょうか。間接的にですが、はっきりしています。彼がアルチュセール派だった時代です。というのも、ここに語られているヘーゲルとフォイエルバッハのコントラストはアルチュセールが1967年に行ったフォイエルバッハ講義のものにほかならないからです。講義のアルチュセールにおいては、フォイエルバッハ疎外論は「空間的」だからダメなのだ、時間性/歴史性がなくイデオロギー的なのだ、という話になっています。「絶対的地平の理論」は「惑星が太陽の対象である」と言うようなものだ、と戯画化する。しかしランシエールは、「配分の媒質」、「共存の媒質」としての空間を積極的に選んだわけです。そのフォイエルバッハ的空間、「絶対的地平」を、感覚的なものをpartagerする「舞台」へと概念化した。
この立場は言ってみれば、疎外を非時間化するものです。言い換えれば、現在という時間そのものを疎外の生起と見なす。しかし疎外/外化しただけでは、いつ「取り戻し/内化」が起きるのか、と未来を問題にしてしまいます。疎外がどの現在においても生起するには、どの現在においても「取り戻し/内化」が疎外の裏面で生起していなければなりません。疎外論から「時間」を捨てるとはそういう意味であるはず。ならば時間を捨てたランシエールにとっては、現在とは疎外とそこからの回復が同時に生起する「反転」の時間だ、ということになるでしょう。弁証法的に展開され持続する時間に対し、「反転」の永続的反復だけが続く時間がランシエールにはある。こと政治に関しては、私はこのランシエールにずっと同意してきました。古代でも現代でも政治の本質は変わらない、と彼の『不和』を読み、それを踏襲しようとしてきました。
しかし「文学革命」あるいは「芸術の美学体制」はどうでしょう。この革命とその結果成立する、書く/描くことをめぐる体制は、フランス革命という政治上の革命と、それに続く、言ってしまえば革命の挫折の結果でしょう。政治における革命、つまり「舞台」の非常にドラスティックな「構成」は、成功することにより失敗せざるを得ません。時間的、歴史的に持続する「舞台」を作ってしまうからです。まさに「体制」として。観客という立場を作り、公には聞き届けられない「声」の群れを新たな「夜」に沈める。「文学革命」の担い手たちは、この挫折した政治革命をまさに別の「舞台」、「テキストの舞台」に移して継続したのではないでしょうか。幸い、そこは文字lettresからなる自立した空間です。政治上の「旧体制」が「諸芸の表象体制」の一領域として、現実世界の下位にあらかじめ設えておいてくれた場所です。挫折した政治革命を、場所を移して継続する条件は一定整っている。「無知な教師」たるジャコトはまさに「教育」の現場で共和主義者たらんとしたのでした。「教える」人間が「教えられる」生徒に時間的に先行するという関係、時間性を「転覆/反転」させようとした。「表象体制」下に存在した、書く/描く人間たる作家と登場人物や読者との同じような時間性をVerkehrungしようとする試みが現れるのは、それこそ時間の問題ではないでしょうか。一種の必然ではないでしょうか。
思うに、ランシエール的文学史の問題点はそこにあります。政治上の革命は挫折を運命付けられているのに、文学革命に失敗はないのです。言葉を発し、書くことができるかぎり、人間は「テキストの舞台」を「構成」し続けることができます。能力の平等がそれを保証している。街頭で花と散った革命を「夜」の時間に継続することができる。何しろ、そこは独立した「空間性」を担保されていますから。書く/読む営みは別の「現在」を生き続けることができる。「芸術の美学体制」の一つの定義は「非芸術の芸術化」です。「芸術」という「舞台」の上に、その「舞台」の外にあるものをどんどん上らせる使命がこの「体制」にはビルトインされている。いくらでも「外」はあるでしょう。公衆便所の便器まで美術館に展示することができる。芸術家はまさに挫折を免れている。社会的身分として、です。その効果や帰結についてはいくらでも議論することができるでしょうが、書評の範囲を逸脱するのでやめておきます。私がその点についてどう考えているかをお知りになりたい方は、私の旧著『ランシエール――新〈音楽の哲学〉』(2007)をお読みください。
ただその旧著では書かなかったこと、まさに文学をめぐる新しい話を一つだけして、私の発表を締めくくります。森本さんも引いておられるように、ランシエールにとってはマルクスもまた、というより19世紀に生まれた人文社会科学の全体が、「文学革命」の産物です。当然でしょう。この新しい科学はいかなるものであれ「対象」をまず「テキスト」にするのですから。統計データも検査結果も小説も歴史資料も昨日見た夢も、読まれるべき「テキスト」です。異論の多い見方かもしれませんが、ランシエールの立場から逐一反論することはできると思います。私が問題だと思うのは、フーコーの『言葉と物』を締めくくる言葉を思い出してしまうからです。「人間はやがて波打ち際に描かれた砂の顔のように消えるだろう」。言い換えると、人間を真理とする人間学の時代はやがて終わるだろう。やがてとはいつでしょう。果たして超人の時代は来るのでしょうか。『言葉と物』を書いた時点で、フーコーはまだこの問いに答えを出せていませんでした。だから予言にとどめるほかなかった。しかしことエピステーメーにかかわるかぎり、いつか終わりが来ることは確かであるはず。ところが文学と「芸術の美学体制」に終わりが来るとは私には思えません。たえざる「転覆」と「反転」として、「平等」を実現してしまったのですから。普遍的知性という最終審級が、自ら時の鐘を鳴らし続けることのできる場所を見つけてしまったのですから。この「体制」は人間学から終わる可能性を奪ってしまう。もちろん、これは皮肉です。政治革命の継続としての文学革命は、文学の外部としての政治から影響を受け続けるほかありません。そしてその政治について、ランシエールは革命を不可能にするような最近の傾向についても分析しています。「政治の倫理化」です。2004年に刊行されたMalaise dans l’esthétiqueという書物の最終章をぜひお読みください。「政治と美学における倫理的転回」と題されています。「美」を「正義」に取り替えようとする「転回」です。ランシエールの政治的な美学もまたmalaiseを経験しているわけです。「平等」ははたして「正義」に勝てるのでしょうか。
参照文献
Jacques Rancière,
--- « Le concept de critique et la critique de l’économie politiques des Manuscrits 1844 au Capital », Lire le Capital, Louis Althusser éd.,Maspero, 1965.
--- « La scène du texte », Politique et philosophie dans l’œuvre de Louis Althusser, Sylvain Lazarus éd., PUF, 1993.
--- « Entretiens avec Rancière », Dissonance n°1, « Beyond Empire », 2004 : https://www.multitudes.net/entretien-avec-jacques-ranciere/
--- « Le tournant éthique dans la politique et l’esthétique », Malaise dans l’esthétique, Galilée, 2004.
--- 『平等の方法』(原著2012年)、市田良彦他訳、航思社、2014年。
Louis Althusser,
--- « Le ‘Piccolo’, Bertolazzi et Brecht : Notes sur un théâtre matérialiste », Pour Marx, Maspero, 1965
--- « L’objet du Capital », Lire le Capital, Maspero, 1965.
Yoshihiko Ichida,
--- « Descartes politique : Molloy dans la forêt » (sur le livre d’Antonia Birnbaum, Le vertige d’une pense : Descartes, corps et âme),Multitudes n°16, 2004.
--- « Les aventures de la Verkherung : A propos de l’ontologie politique de Jacques Rancière », Multitudes, n°22, 2005.
--- 『ランシエール――新〈音楽の哲学〉』、白水社、2007年。