top of page

榎本泰子/森本頼子/藤野志織編『上海フランス租界への招待──日仏中三か国の文化交流』(勉誠出版、2023年)/ 馬場智也

更新日:2023年6月9日

 広くフランスにかんする研究において、フランス本国を中心とした関心から視野を広げて、アフリカやカリブ海などの旧植民地ないし海外県に注目するものが盛んとなってからはすでに久しい。日本でもそうした研究に加え、ベルギーやスイス、ケベックといったフランス語圏についての研究の機運はますます高まりをみせている。他にも比較文化論の観点からは日仏交流史にかんする多くの蓄積があり、近代日本の発展に対するフランスの影響は言うまでもなく、ジャポニズムが西洋にもたらした多大な影響等は私たちの興味関心を惹きつけてやまないテーマの一つである。

 しかし一方で、日本から遠く離れた西欧の「中心」たるフランスを眺める視線が、同時に東アジアの「中心」たる中国を眺める視線と両立し、さらには日本を見つめ直すまなざしとも一つの場所で重なり合うような研究はこれまで滅多になかったのではないだろうか。本書は日本とも深い関わりを持つ「上海フランス租界」といった、歴史的・文化的にみても特異な空間を対象とすることによって、こうした重層的な研究を可能にしたものである。本書はさまざまな専門分野を持つ執筆陣がこうしたいわば三重のまなざしを共有し、その結果生まれた書籍であるとも言えるのである。なお、この文章は第三者からの書評ではなく、あくまで本書の共著者の一人による紹介文であることを明記しておく。

 さて、十九世紀半ばから第二次大戦終結まで「東洋のパリ」と呼ばれた上海であるが、その租界についての概要を知るためには、本書の「はじめに」を読んだあとにまず藤田拓之氏によるコラム「上海フランス租界の光と影」(218-230頁)を一読することをお勧めしたい。上海においてフランスが租界を開いたのはイギリス、アメリカに続く1849年のことであった。当初は小さなコミュニティーだったものの、本書が対象とする1920年から30年代には人口50万人を擁する街になっていたという。上海フランス租界とは「極東におけるフランスの威信の中心」(224頁)であり、その維持が何よりも重要とされたのだった。

 当地を単に「フランス風のおしゃれな街」としてしまうことは、当然フランスの植民地政策の弊害を隠蔽しかねないし、そうした問題は、同様に上海租界に関与した旧日本軍の歴史を忘れてはならない私たち自身にもかかわる重大な事柄となる。編者の一人である榎本泰子氏はフランス租界が確かに「帝国主義の産物」であることを前提とした上で、それでもなお、そこにあった文化交流のダイナミスムに読者の関心を導いている。国家間の利害関係が錯綜する中で「文化」に対する冷静な価値づけを行うことはときとして困難であるが、それが戦争中の場合であればなおさらのことであろう。しかし上海フランス租界には他者の文化であっても、優れた価値のあるものに対してそれを真っ当に評価し享受するゆとりと自由があったのだという(10頁)。

 こうした観点から上海フランス租界の文化交流の実情を多面的に論じた本書ではあるが、各論者のもつさまざまな興味の方向性にも拘らず、第一部「上海で花開いたフランス文化」、第二部「異文化交流の舞台としての上海」、そして第三部の「欧州と極東を結ぶイマージュ」へとまとまりを持って通読できる構成となっている。とりわけ本書では、文化交流に不可欠な「媒体(メディア)」に大きな関心が向けられており、それぞれの専門分野の観点から多様な事例が提示・分析されている。

 しかし一言で「媒体」といえども、ラジオ放送や新聞のようなマスメディアから、上海アートクラブや、フランス政府の多大な支援を受けたオーロラ大学、また上海アリアンス・フランセーズなどの文化政策に寄与する機関までが豊富に取り上げられ、さらには「黒石公寓」と呼ばれた高級アパートメントをめぐる交流史も描かれている。例えば中日におけるフランス文化振興の中心であった旧上海アリアンス・フランセーズと旧東京日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ東京)について、「フランスから中国・上海を経由して日本に運ばれてきた図書の歴史」(261頁)を論じた野澤丈二氏は、日仏関係のみならず中国という視点を加えることで、より地域横断的で視野の広い知の交流史を描き出している。

 また本書では文化交流を担う重要人物も多く取り上げられており、なかでも井口淳子、森本頼子両氏が注目するシャルル・グロボワという人物は、日本ではあまり知られていないものの、上海の音楽文化の発展に大きく寄与した。対してポール・クローデルと日本の深い関係については周知の通りであるが、学谷亮氏の論考では同時に日本の周辺国に関心が寄せられている。氏は日本滞在中のクローデルが、当然ながら中国や仏領インドシナといった日本周辺の事情も思慮しなければならない立場にあったことを議論の重要な前提としている(231-232頁)。

 本書が持つ高い実証性を大いに支えた媒体として、最後に上海のフランス語新聞「ル・ジュルナル・ド・シャンハイLe Journal de Shanghai」についても言及しておきたい。本紙は趙怡氏の論考にもあるように文化欄が大いに充実しており(117頁)、音楽や映画、文学の紹介など、上海フランス租界の文化レベルの高さを私たちに教えてくれる第一級の資料である。そこには先述のグロボワによる音楽評も掲載されており、その内容の一部は関デルフィン笑子氏の翻訳と森本頼子氏の解説によって読むことが可能である(82-101頁)。本書を企画した科研チームの働きかけによって電子化が実現した本紙は「ガリカGallica」内で誰でもアクセス可能であり、今後の更なる活用が期待されている。

 これまで日本においては、日仏の比較文化を主題とした研究が多くなされてきた。それらの豊かな蓄積に加えて、今後はますます東アジア文化圏に視点を置いたうえで、フランスないし西欧文化との交流史を論じるときに来ているのではないだろうか。中国だけでなく、昨今の新たな動向について言えば、フランスにおける韓国文化の紹介はフランス・キュルチュールでも特集番組を組まれるほどの大きな文化現象となっている。また2025年にはソウルにてポンピドゥー・センターの分館が開館予定であるという。こうした例からもわかるように、日仏の二カ国関係ではもはや捉えきることのできない大きな文化交流の波が、以前にもこれからも日本を含む東アジアを舞台として展開しているのである。

 もちろんこうした広範囲の研究には、主題の複雑さや言語の問題などの困難が多く伴うことだろう。しかし本書は共同研究の強みを生かすことによって、そうした研究に先鞭をつけたと言うことができる。その意味で『上海フランス租界への招待』は、日本におけるフランス研究や文化交流の新たな動向の成果を提示する、知的好奇心に満ちた一冊だと言えるのである。

閲覧数:192回

最新記事

すべて表示

アンリ・ベルクソン『記憶理論の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』(藤田尚志/平井靖史/天野恵美理/岡嶋隆佑/木山裕登訳、書肆心水、2023年)/ 濱田明日郎

はじめに まずはベルクソン哲学を学ぶものとして、そして次第にベルクソン哲学研究者として、評者はここ八年ほどベルクソンの著作を読み続けてきた。去る2023年10月、ついに発行されたベルクソンの講義録『記憶理論の歴史』邦訳を紐解いた評者は、一ページまた一ページと読み進めるにつれ、さまざまな感情を経験することになった。それはまず、すでに発表されたものとは別に、ベルクソンの活き活きとした声を(それが確かに

ピエール・ミション『小さき人びと——折々の肖像』(千葉文夫訳、水声社、2023年)/ 横田 悠矢

——列車のなかでは心が張り詰めていた。これから本を書かなければならないが、できそうもなかった。 書かなければならない。しかし無気力に苛まれて筆は進まず、もう生きていたくはないが、かといって死のうとも思わない。恋人には素晴らしい原稿ができたと嘘の手紙を出し、実のところはアルコールと睡眠薬に溺れながら、いつか〈恩寵〉が訪れるのを待っている。『失われた時を求めて』におけるゲルマント大公妃邸の書斎や、ラン

大出敦編『クローデルとその時代』(水声社、2023年)/ 西村友樹雄

ポール・クローデルの生誕150周年にあたる2018年を一つの節目として、関連書籍の刊行が相次いでいる。水声社からは論集『ポール・クローデル 日本への眼差し』や図録『詩人大使ポール・クローデルと日本』、ミッシェル・ワッセルマン『ポール・クローデルの黄金の聖框』(本ブログでの書評参照)、アンヌ・ユベルスフェルトの評伝『ポール・クローデル』、そして今回取り上げる『クローデルとその時代』が出版されている。

Comentarios


bottom of page