『愛のディスクール』を読んで感じた率直な感想は、ヴァレリー研究者としての戸惑いである。私は文学研究ではなく美学の立場からその芸術論を中心にヴァレリーについて研究してきたので、このような伝記的な事実については知らないことばかりだった。もっとも、冒頭に記されているように、本書は単なる「伝記的枝葉末節のような細部に関わるものでは決してな」(16頁)い。むしろ、エロスの問題を「『方法』へと還元しえないある空虚な場」(17頁)に関わるものとして、ヴァレリーの理論的体系を問い直す一つの視座として位置付けようとする試みである。その意味で、方法論的な部分にしか目を向けてこなかった自分にとっては、教えられることの多い本であった。
しかしながら、私が感じた「ヴァレリー研究者としての戸惑い」は、もう少し個人的な事情に関係している。すなわち、私が研究者である以前に女性である、という事情だ。本書を読んでいると、私は(おそらく男性の読者でもそうだと思うのだが)どうしようもなく、ヴァレリーよりもヴァレリーの妻やヴァレリーと不倫関係にあった女性たちに感情移入してしまう。そして、ヴァレリーの愛の形がもつ、残酷なまでの非対称性に目が行ってしまう。非常に素朴な言い方をするなら、「女性(というか他者)に対してこのような態度をとり続けてきた男性作家について、女性として研究しつづけるとはどういうことか」というきわめて実存的な問いを突きつけられた感じがしたのだ。
もっとも、こうした戸惑いは、現代のジェンダー感覚にもとづいてヴァレリーを評価しようとしている点で、アナクロニズムを犯しているということになるのだろう。しかし、本当に「当時は当時」と言い切れるのだろうか。歴史を描き直すことは、ジェンダー論の重要な争点の一つである。実際、現代のジェンダーをめぐる社会的運動は、肯定的にも否定的にも、過去のさまざまな人物や事象を参照しながら進められている。
たとえば日本でも2018年に翻訳が出版された『82年生まれ、キム・ジョン』(チョ・ナムジュ)は、近年の文学におけるジェンダーギャップへの関心の高まりの象徴として注目を集めた。興味深いのは、この時期に韓国で巻き起こったジェンダーをめぐる社会的運動の中で、「#콜레트처럼(コレットのように)」というハッシュタグが使われていたことだ。これは2019年に韓国でも公開された映画『コレット』の公開と関係している。自分が書いた作品を編集者である夫の手によって改変され、しかも夫の名前で出版されたコレットが、韓国の人々にとっては、女性の抑圧とそこからの解放の象徴になっていたのだ[1]。
周知のとおり、コレットは1873年生まれで、ヴァレリーと2才差の同時代人である。2020年において、ヴァレリーがコレットとは逆のメッセージの象徴になってしまう可能性はゼロではない。実際、人種差別的な思想をもっていたかつての偉人たちの銅像が引き倒される、という動きが世界中で起こっている。
美術の世界でもジェンダーの問題は大きな話題になっている。ゲリラガールズが2011年に行った「女性はメトロポリタン美術館に入るには裸でなければならないのか?」プロジェクトはその象徴であったし、日本でも特に2019年のあいちトリエンナーレ以降議論が活発になった。そのなかで、美術館の収蔵品に占める女性作家の作品の割合がのきなみ1割程度でしかないこと、学芸員の74%が女性であるのに対して館長の84%が男性であること、美術大学の学生の6割から7割が女子学生であるのに対して女性教員は1割から2割しかいないことなどの事実が指摘された[2]。
作者の真実性に関してもさまざま新事実が明らかになりつつある。たとえば、マルセル・デュシャンが1917年に公募の展覧会に出品しようとして拒否された『泉』は、エルザ・バロネスというドイツ系の女性ダダアーティストがサインをしてデュシャンに送ったものである可能性が高い、ということが指摘されている[3]。バロネスはまさにレディメイド的な既製品を使った作品で知られており、同じ1917年には『God』という配管を使った作品を発表している。これは『泉』と兄弟ともいえる作品である。バロネスは1874年生まれでやはりヴァレリーの同時代人であり、ヴァレリーとの関係は不明だが、ジッドとは交流があったことが知られている。
このようなことを考えるならば、本書で語られているヴァレリーの恋愛事情は、いくら半世紀以上も昔のものとはいえ、現代を生きる一ヴァレリアンとしては、少しクールに考えなければいけないセンシティブな問題を含んでいるように思う。私はジェンダー論に関してはまったくの素人なので、文学的ないし美学的な背景に立脚したものになるが、本論では、そのような観点から本書の内容について考えてみたいと思う。
他者愛とナルシス──数の政治
本書では、婚姻関係にあった妻ジャンニーのほかに、ド・ロヴィラ夫人(1892)、カトリーヌ・ポッジ(1920-)、ルネ・ヴォーチエ(1931)、ジャンヌ・ロヴィトン(1937、筆名ジャン・ヴォワリエ)という4人の女性が登場する。そのうち、本書で最も紙幅が割かれ、特に重要だと考えられるのは、やはりカトリーヌ・ポッジとの関係である。
鳥山氏の論文「恋文を書くナルシス──「愛(アムール)」の女性単数形をめぐって」が、またそれ以前の松田氏の論文「ヴァレリーとポッジ──エクリチュールの相克」(『ヴァレリーにおける詩と芸術』所収)が指摘するように、ヴァレリーとポッジの関係を特徴づけるのは、そのナルシスとの関わりである。「ふたりでひとつ」というごく一般的な恋愛関係が、奇妙なことに、それぞれの「ひとりのなかにふたり」というナルシスを補完するものとして位置付けられているのである。
たとえば、1934年の重要な『カイエ』の一節に、ヴァレリーはこう書きつけている。
ひとりのなかにふたりいる〔être deux en un〕というこの奇妙で本質的な性質、それと対照的に、ふたりでひとりになる〔être un par deux〕という愛の欲求があり、それは意識の認識作用を補完する〔complémentaire〕ようにみえる。
第一の場合、あらゆるモノローグはディアローグであり、第二の場合、あるディアローグはモノローグに向かう。
ひとりが分裂し、ふたりが混ざりあう。
この一節を受けて、鳥山氏はこう論じている。「ナルシス的な愛とは、自己意識に内在する「アルター・エゴ」に変わる「もうひとりのアルター・エゴ」を外在する他者に求めるようなものであり、ヴァレリーの「意識の構造」において、自己意識の二重化ともうひとりの自分としての他者を求める愛の欲求とはたがいに「補完」しあう関係にある」(184-5頁)。すなわち、ヴァレリーによれば、「私は考える」とは「私が私から何かを待つ」ということであり、意識は常に、主体としての「私」と客体ないし外部としての「私」の二重化を含んでいる。この二重化された「私」のうちの一方──客体ないし外部としての「私」──の座を、具体的なひとりの「他者」を埋める状態、これがヴァレリーにとっての他者愛だと言うのだ。
もっとも、鳥山氏によれば、これはポッジに対してだけでなく、最後の愛人であるジャン・ヴォワリエに対しても、というかヴォワリエに対してむしろ強く見られる、ヴァレリーの愛が持っていたひとつの強い傾向であるようだ。ヴァレリーはヴォワリエのことを「女ナルシスNarcissa / Narcisse femme」と呼んでいたからである。
恋人をナルシスに見立て、他者をいわば「自己の分身」として己のうちに取り込もうとするヴァレリー。ここにあるのは、容易に搾取的な関係になりうる危険をはらんだ、「数の政治学」とでも言うべき関係である。ヴァレリーはポッジに問いかけている。「私は複数でありえるでしょうか。私はたったひとりなのでしょうか。私は数と両立可能なのでしょうか」。それに対して、ポッジは「私はふたり」と応えたという。また鳥山氏は、「たったひとりの私がふたりのために〔un seul moi pour deux Personnes〕」というポッジの言葉(1921年4月推定の手紙)と同年『カイエ』にヴァレリーが記した言葉「ひとりとひとりでひとつになる。ふたりでひとり〔Seul et Seul font Un― être seul à deux〕」が、「見事に共鳴」していることを指摘している。
ここで興味深いのは、鳥山氏が、ヴァレリーとポッジの関係を特徴づけるにあたって、二度にわたって「共鳴」という言葉を用いていることである。なぜならこの語は、本書の終わりに近い塚本氏の論文の中で再び登場することになるからである。鳥山氏の二度にわたるこの語の使用は以下のとおりである。「ヴァレリーの愛人のなかでも特にカトリーヌ・ポッジはこうした考えに共鳴した存在」(185頁、下線は引用者)。そして「(2人の言葉が)見事に共鳴しており、両者は、他者のなかにもうひとりの自分を見出そうとするナルシス的な愛を共有しようとした」(同)。物理現象としての共鳴は、振動数の等しい物体を並べて、一方を鳴らすと他方も音を発するようになる現象を指す。ここでは、ヴァレリーとポッジというそもそも似た傾向をもつ2人の人間が、出会うことによって、その類似した性質をお互いに強化しあう鏡像的な関係を指している、と考えることができよう。
だが、気になるのは、共鳴が深まれば深まるほど、「客体あるいは外部としての自己」たる「他者」の外部性が、かき消されていくように見える点である。ヴァレリーとポッジは、お互いのナルシス的な位置を「補完」する存在であったはずだ。「補完」は、自分の欠如を相手が埋めるという意味で、お互いの差異を前提にしている。しかし、共鳴が深まるとき、2人は同質化し、「1つ」になってしまう。
もっとも、こうした「補完」と「共鳴」のあいだの緊張関係は、ヴァレリーとポッジの関係だけのものではないだろう。恋愛という閉じた関係が一般的に引き起こす、自家中毒的な現象と言えるのかもしれない。
たとえば先にあげたエルザ・バロネスは、自らを「女のデュシャン」と呼び、一方のデュシャンは、「ローズ・セラヴィ」という自らの女性版アルター・エゴに扮した作品を残している。バロネスは、デュシャンを「マルス」という彼女独自のニックネームで呼んでいたが(これは芸術を革新する存在としてのデュシャンを「戦いの神」に重ねたエルサ流の呼び名である。マルスはまたウェヌス(エルザ)の恋人でもある)、それをふまえてこう宣言する。「私は彼の魂を所有している。私はドイツ民族のマルスだ」。つまり、2人の間にはある種のナルシス的な二重化と共鳴があったのである。
ただし、バロネスの自伝作者であるイレーヌ・ガメルが指摘するように、この共鳴関係は、2人の資質の違いを無視するものでもあった。「こう宣言することで、実質的に彼女は女性のデュシャンであることを、戦士の芸術家であると主張している。しかしながら、武装した芸術と戦いの神という役割は、デュシャンよりもバロネスのためのものだった。デュシャンは平和主義者で、彼女を補完するような正反対の存在だった[4]」。
個人化の原理としての「痛み」
このような共鳴の対極にあるのが「痛み」である。痛みはどんなに言葉をつくしても他者とは共有することのできない、人をしばしば孤独に追いやる個人化の原理である。共鳴の「罰」──と彼女は言う──によって、ポッジは身体的、精神的な痛みを抱えるようになる。しかし、こうしたポッジの痛みを前にしたヴァレリーの態度はあまりに心許ない。少なくともポッジの目には、ヴァレリーの態度はあまりに冷淡だったようだ。この頃の痛みについて述べられたポッジの日記(1924/5/11)を読むと、胸を締め付けられるような思いがする。
私はきわめて凡庸な愛人だ。1920年の秋からクリスマスまで、酔ったように私はあなたに身を捧げたけれど、今はもうそんなことはしない。端的に言うと、私は恐い。この恐るべき罰、毎晩、とても鮮やかなゼラニウムのような血を、痛みも感じさせず、苦闘でばたばたさせることもなく流し続けるこの肺……。一冬中ずっと愛したために、愛の極限的な労苦や、彼の体重や、彼の名誉をすべて受け入れたために…、私は罰せられたのだと思った。
リオナルドはそんなとき、とても厳しかった。彼はとても要求が多く、かつ錯乱していて、弱々しいので、私はいわば永遠に彼に対する信用をなくしてしまった。ときどき〔…〕彼のなかの何かが悪魔的だと思われることがあった。〔……〕
愛人というのは、抱擁の後、女を守ってくれる男のことだ。だが、私たちは夜中、体を寄せあって子どものように眠るのに、その後、なにか私に危険が訪れても、彼は私と一緒にその危険と闘ってはくれないのだ。(118-9頁)
この時期のポッジは、ヴァレリーとの関係の悪化に加え、結核の病状の悪化による肺から出血、死を覚悟して妊娠したと思ったヴァレリーの子が実は想像妊娠にすぎなかったことが明らかになった絶望など、複数の精神的身体的ストレスに襲われている状態であった。もしポッジが自己の分身たる「アルター・エゴ」であるならば、ヴァレリーも同じように痛みを感じようとし、寄り添ってもいいはずだ。ところがヴァレリーは、少なくともポッジの目には、「一緒に自分の危機と闘ってくれない」。そればかりか、「とても要求が多く、錯乱していて、弱々しい」。そこにあるのは、「ふたりでひとつになる〔être un par deux〕」ことによって補完されることのない、単なる自己愛としてのナルシスにすぎないように思われる。
ヴァレリーがそのような態度であるかぎり、ポッジは「愛のさなかにあってさえ孤独で、放擲されたと感じざるを得ない」(120頁)と松田氏は断言する。そして、「きわめて凡庸な愛人」というポッジの自己イメージは、「「正妻」になりえず、相互の「全面的な贈与」も不可能ななかで、ヴァレリーとの関係を決定的に断ち切らないための唯一可能な立ち位置だった」と松田氏は言う。それは「ヴァレリー以上に「飽くなき厳密」を求めたカトリーヌの描く切ない自画像」(同)であると。確かに、ポッジの理想があまりにも高く、かつ彼女自身にも自己中心的なところがあったのは確かだろう。その意味でも、ヴァレリーとポッジは似たものどうしだったのかもしれない。
ただ、見逃すことができないのは、ポッジが、自身の痛みをいわば「彼女の外部で」つまり「他人事のように」感じているように見えることである。上記の引用で、ポッジは自らの血を「鮮やかなゼラニウムのような」と形容し、肺が「痛みも感じさせず、苦闘でばたばたさせることもない」と報告している。自分の心や体に起こっている痛みを自分の痛みでないように感じるという幽体離脱的な感覚は、危機的な状況下におかれた人が自己を守るためにとる典型的なコーピングの方法である。
これは何を意味するのだろうか。考えられるのは、ポッジが自分の痛みを、ヴァレリーの痛みとして感じていた、ということだ。つまり、彼女は「補完」を前提としたナルシスの枠内にて、自らの心と体に生じたストレスを、アルター・エゴとしてのヴァレリーに起こった痛みとして感じていたのではないだろうか。痛みを「他有化」することによって危機を乗り越えようとするポッジ。松田氏は、約七年後に書かれたポッジの次のような一文を紹介している。「私はあなたが痛い〔J’ai mal à toi〕」「私は……私が痛い〔J’ai mal... à moi〕」(149頁)。この書き方は、ポッジがまさに「2人」であり、それがヴァレリーによって補完されないために「痛い」のであるかのようだ。ポッジが「凡庸」でしかあり得ないのは、この補完がなされないからだろう。この意味では、ヴァレリーよりもポッジのほうが、痛みがあった分、「数字の政治学」を現実的な問いとして「生きて」いたようにも思う。
「傲慢さ」による危機の乗り越え
一方のヴァレリーは、どこまで自らの理論を「生きて」いたのだろうか。ポッジの「痛みの他有化」に対して、ヴァレリーが危機に際して編み出したのは「傲慢さ」という方法である。塚本氏は所収論文「ヴァレリーと犯罪──カトリーヌ・ポッジと「奇妙な眼差し」の形成について」の末尾で、『カイエ』の次のような一節を引いている。
急性の傲慢さの効果によって──それは十九歳/二十歳のときに私を捉えた奇妙な発作であり──私の精神の確実で明確な弱さを前にしての──私を打ちのめしていたさまざまな比較を前にしての──私のなかの何かよく分からないものに対する信仰ででもあるかのような、証拠のないある力の反応であったが、そういう効果によって、そして自己発生的な変形作用や評価のある局面において、私は私のなかにひとつの存在を、ひとつの独断的教義を、ひとつの国家理由を、ひとつの不寛容を、ひとつの意志を、ひとつの島国意識を創り出した。(234頁)
ここでヴァレリーが念頭においている危機とは、ロヴィラ夫人との出会いによって引き起こされたそれである。危機を乗り越えるための「傲慢さ」とは何か。塚本氏によれば、それは「あらゆるものが自分とは無縁な、奇妙なものと見做すような眼差し」(同)を作り出す態度である。自分に起こっているものを自分とは無縁なものと切り離す。これは一見したところ、ポッジによる「痛みの他有化」と似ているようにも見える。しかし、それを「独断的教義」あるいは「島国意識」の創造と呼び、「不寛容」と言って憚らないヴァレリーの態度は、倫理的な問題からの切断を明確に宣言しているようにも思える。
確かにそれは逆説的に、ヴァレリーの「深い受動性」を表す態度であるかもしれない。塚本氏は言う。「ヴァレリーの抽象的な言説は、自分を窮地におちいらせるような、とてつもない外部の力との接触において、初めて十全な意味をもつところがある。〔……〕その眼差しは、自己でさえ、さまざまな認識や感情が行き交う、自分とは無縁の劇場とみなすまで、この世界からの激しい乖離をもたらすものだった。ヴァレリーはそのような眼差しが、「急性の傲慢さの発作」によって形成されたと言っているが、そのことは逆にこの眼差しが、どれほど自己を追いやる外部の力と結びついているかを示している」(234-5頁)。
もっとも、ここで念頭に置かれているロヴィラ夫人との関係はそもそも一方的なものであり、そのような危機であれば「傲慢さ」によって自らを救い出すのは、正しいやり方なのかもしれない。怒りや恐れといった強い感情から距離をとり、それを心に起こるひとつの「現象」として捉える方法は、現代の当事者研究などでもしばしば見られる手法である。
しかしながら、ここで問われている「外部」が、倫理の次元を脱色され、非人間化された、単なる「力」のようなものに還元されていることには注意しなければならない。本書の冒頭で、エロスの問題は「「方法」へと還元しえないある空虚な場」に関係すると宣言されていた。すなわち「あの空虚な場(=「方法」へと還元しえないある空虚な場)に立ち現れていた曖昧なものは、エロスの備給を受け〔……〕女性との関係を通して追求されるべき「不可能」な課題となって姿を現す」(17頁)と。
いまや、あの規定が残酷なほど正しかったことが明らかになる。ヴァレリーにとっての「外部」とは「生身の他者」では決してない。それは「自らの方法に還元しえないもの」、「方法に対する挑戦」としての空虚さなのである。それにしても、「補完」の実態が「備給」だったとは! ヴァレリーにとって女性は、ヴァレリーが築き上げた体系をゆさぶることによって強化するような、欲望の源でしかなかったようだ。
「共鳴」という言葉がふたたび出てくるのも、この文脈においてである。塚本氏によれば、それは、夢と犯罪に典型的に見られる「見慣れたはずの生活がすっかり組みかえられ、配置しなおされる」(231頁)ような作用だ。だがこれは、夢や犯罪に限らず、より一般的な精神の傾向でもあると言われる。精神のあるがままの姿とは「自己を共鳴させる何らかの動機が伝播してゆく過程」(232頁)なのである。
ここでの「共鳴」ないし「共鳴器」という言葉の内実は、明らかに鳥山氏のそれとは違っている。なぜならそこで問題になっていたのは、2人の人間のあいだの「共鳴」だったからだ。鳥山氏は、ヴァレリーとポッジの関係がもつ、お互いの類似性が強化されていくような事態を「共鳴」と呼んでいた。
一方、ここで塚本氏がヴァレリーに即して論じている「共鳴」は、ひとりの人間の精神の中で起こる共鳴である。先に指摘したとおり、共鳴は、類似性を強化し、差異を見えにくくする原理でもあった。外部との共鳴から、外部化された内部における共鳴へ。
精神の可能性の探究という抽象的な問題は、他者の他者性という現実的で倫理的な問題を捨象することによって成立している。ヴァレリーの「方法」は、他者の痛みをどのように理解しうるのだろうか。
(『ヴァレリー研究』第9号より転載)
[1]https://wezz-y.com/archives/66362 [2]https://bijutsutecho.com/magazine/series/s21 [3]Irene Gammel, Baroness Elsa, Gender, Dada, and Everyday Modernity, MIT Press, 2002, p. 223-4. [4]Irene Gammel, Baroness Elsa, Gender, Dada, and Everyday Modernity, MIT Press, 2002, p. 171.
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