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ミッシェル・ワッセルマン『ポール・クローデルの黄金の聖櫃──〈詩人大使〉の文化創造とその遺産』(三浦信孝/立木康介訳、水声社、2022年)/ 学谷 亮

  • 日本ヴァレリー研究会
  • 2023年4月5日
  • 読了時間: 5分

 ミッシェル・ワッセルマン氏の新著『ポール・クローデルの黄金の聖櫃──〈詩人大使〉の文化創造とその遺産』は、クローデルと日本との関係をめぐってある種の幻想を抱いている読者にとっては、きわめて衝撃的な書物だと言えるだろう。本書で描き出されるクローデル像は、「日本文化の讃美者」や「熱狂的な日本びいき」といった通俗的なイメージとは全く無縁な、きわめて冷静に自らの任務を遂行する有能な官吏としてのそれだからである。しかし、クローデルにまつわる種々の「神話」を自明のものとせず、彼が日仏文化交流にもたらした功績を一次史料に基づいて正確に知りたいという読者は、本書から多くの収穫が得られることだろう。また、今からおよそ100年前にクローデルが整備した日仏文化交流のインフラがその後どのように継承され、発展していったのかを知る上でも、本書のもつ意義は大きい。

 全4章からなる本書のうち、第1章「日仏会館」と第2章「関西日仏学館」は、クローデルの手による「文化創造」を扱っている。そこでは、両施設の創設に至るまでのプロセスが豊富な一次史料を援用して詳述されるが、ワッセルマン氏はそれと並行して日本におけるクローデルの様々な活動――公務、執筆、人的交流――を簡潔に記述する。その意味で、本書の前半は滞日期クローデルの評伝としての性質を併せもっている。「日仏会館は往々にしてクローデルの豊かな頭脳から生まれた計画だと思われているが、実際はそうではない」(47頁)と著者自身が強調しているように、日仏会館の構想はクローデルのオリジナルなものではなく、彼はあくまでも駐日フランス大使として既存の計画を実現に導くよう任ぜられたのである。それが「「経済商務」が専門の外交官としてはキャリアを通して最大の文化的案件」(53頁)であったことは疑いようもない。それゆえ、クローデルは日仏会館創設に向けてあらゆる手を尽くすことになる。とりわけ、自らに対する日本人の熱狂的な歓迎ぶりに着目し、「自分が日本の世論に引き起こした好奇心をフランスの「プロパガンダ」(今日なら「文化アクション」と言うだろう)に活かすしかないと考え」(57頁)たという著者の指摘は、彼に与えられた「詩人大使」という愛称の含意を再考する上で重要である。関西日仏学館もまた、構想から開設までがわずか1年足らずで実現されたという点で、クローデルの「強い意志と政治的胆力」(90頁)の賜物であった。ワッセルマン氏は、両施設の関係者とクローデルとの交渉の過程を臨場感あふれる筆致で描き出しており、読者はこの駐日フランス大使の「驚くほど巧みな戦術」(37頁)を目の当たりにすることになるだろう。

 他方、第3章「戦争とその影」と第4章「ヴィラ九条山」では、クローデルによって京都に残された「遺産」がどのように継承されたかについて語られる。「九条山という場所が学館の発展には不向きであると早々に結論を下した」(127頁)関西日仏学館第3代館長ルイ・マルシャンは、京都帝国大学のある吉田地区への新館建設を決断したが、当時の世界は確実に第二次世界大戦へと向かいつつあった。1936年5月に開館した新学館は、稲畑勝太郎の名を冠した講堂兼コンサート・ホールを備えていたが、そこで頻繁に開催される音楽会や講演会を目当てに学館に人々が集い、枢軸国である日本において「フランスの文化インスティチュートの堂々たる建物」が存続し続けるという「特異な例外」(135頁)が生まれたという指摘は大変に興味深い。そして、このとき以来放置されたままになっていた旧学館跡地に1992年に誕生したのが、ヴィラ九条山である。「ヴィラ・メディチに遠く連なるアーティスト・イン・レジデンス」(144頁)というコンセプトをもつこの施設の創設を主導したのは、1986年に関西日仏学館長に就任したワッセルマン氏その人に他ならない。「九条山の計画には、クローデルの時代の日仏会館計画と重なるところがある」(154頁)と述べられていることからもわかるように、ワッセルマン氏はかつてクローデルが経験したのと同じような苦労を重ねながらヴィラ九条山を作っていったのである。その意味で、これはクローデルの試みた日仏文化交流を継承せんとした著者の、生々しい戦いの記録でもあると言えよう。

 それゆえ、書名から受ける印象とは裏腹に、本書は単なるクローデル研究書ではない。本書のねらいは、「〈詩人大使〉の文化創造とその遺産」という副題が雄弁に語っている。つまり、日仏文化交流においていまなお重要な役割をもち続けている二つの文化機関――東の日仏会館と西の関西日仏学館――をクローデルがどのようにして築いたのか、その苦心に満ちた道のりを実証的に明らかにしたうえで、それがどのように継承されていったのかを――いわば後日談的に――描き出した点に、本書の最大の特色がある。三浦信孝、立木康介両氏による訳文はきわめて正確かつ読みやすいものに仕上がっており、読者に馴染みの薄い固有名詞には簡にして要を得た訳注が付されている点も親切である。

 なお、関西日仏学館は2012年9月に「アンスティチュ・フランセ関西―京都」と名称変更され、以後約10年間にわたってこの施設から「日仏」の名が失われることになったが、2023年4月に設立当初の旧称へと再び改められた。「「日仏」の2文字には、私たちの交流の歴史と未来にとって重要な意味がある」と現館長ジュール・イルマン氏は語っているが(『京都新聞』2023年3月8日)、その「重要な意味」の内実は本書によって十全に明らかにされるだろう。

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