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アラン・コルバン編『雨、太陽、風——天候にたいする感性の歴史』(小倉孝誠監訳、小倉孝誠・野田農・足立和彦・高橋愛訳、藤原書店、2022年) / 安達孝信

 本書は、Alain Corbin (dir.), La pluie, le soleil et le vent. Une histoire de la sensibilité au temps qu’il fait(Aubier, 2013)の全訳である。アラン・コルバンが序文と第1章「雨の下で」を執筆し、9名の研究者たちによる6つの章がそれに続いている。また翻訳については、小倉孝誠が序文と第1章を、19世紀フランス自然主義文学を専門とする3人、野田農、足立和彦、高橋愛がそれぞれ2章ずつを担当している。本書は天候に関する雑多な論文集ではなく、小倉が監訳者あとがきに記しているように、コルバンのこれまでの「感性の歴史」と明確な連続性を持った統一感のある著作となっている。

 コルバンはこれまで「人間と自然」に関して、『浜辺の誕生』(福井和美訳、1992)、『風景と人間』(小倉孝誠訳、2002)、『草のみずみずしさ』(小倉孝誠・綾部麻美訳、2021)など多くの著作を世に送り出してきた。それらの研究は異なる対象を扱ってはいるものの、そこにある一貫したテーゼを認めることができるだろう。それは私たちが当然視している、自然・風景とそれによって喚起される感情の繋がりが、歴史的にみると不変なものではなく、思想的・文化的・科学的な価値転換の結果だというものだ。コルバンは2013年に単著『木陰の心地よさ』を著しているが、同年に編まれた本論集『雨、太陽、風』はいわばその対をなすものといえよう。前者が穏やかな天気のもとでの戸外での休息の幸福を扱うとすれば、後者は悪天候(風雨、強すぎる日差し、雪、霧)に対する人々の感性の変化を明るみに出す。本書はとりわけ18世紀から20世紀にかけて起こった天候に関する評価の逆転が、啓蒙主義やロマン主義の、あるいは医学・公衆衛生学的進歩の影響として分析される。

 コルバンによる第1章「雨の下で」は、それに続く6章の論述の土台となっている。天気予報が発達し、高性能の雨具のある現代とは異なり、雨に降られることは古来より極めて不快な経験であり続けた。道はぬかるみ、服は下着まで濡れてしまう。さらにはキリスト教文化圏においては、豪雨はノアの大洪水を思わせる不吉な印でもあった。ところがその不快さ自体から、逆説的な幸福が生まれる。外で雨が降り暴風が吹くなかで、自分は暖かな室内で不幸を免れている。このような消極的な喜びは、古代よりプリニウス、ルクレーティウスらによって描かれてきた。危険から逃れることによる幸福という点においては、強い日差しから葉叢で守られた「ロクス・アモエヌス(心地よき場)」に対応するものとして、雨天時の屋内の幸福を数えることができるだろう。

 コルバンによると18世紀末からは、雨そのものの中に喜びを見出す者が次々と現れる。ロマン主義的な価値観の変化のなかで、ベルナルダン・ド・サン=ピエール、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ボードレール、ユゴーらは、雨の日には感覚が鋭敏になると考え、雨音や湿り気の混じった空気の中に自然との繋がりや没入感を求めるようになる。雨滴を媒介とした一体感は、個人的感性の変化にとどまるものではなく集団的感性の変化をも引き起こす。通常、何らかの行事の日に雨が降るとそれは不吉な印、さらには天の怒りとも解されてきた。しかし1831年、「フランス人の王」ルイ=フィリップは、メッスの県庁前で国民軍を閲兵する際、強い雨が降りしきる中で外套を羽織らない決断を下す。それが「雨の下では、〔…〕あらゆるフランス人は平等」(29)であること示す象徴的行為となった。それ以後、現代の共和国大統領に至るまで、「天候不順に翻弄される」(30)労働者階級と経験を共有するこの振る舞いは継承されている。雨は人々を統合するのだ。

 クリストフ・グランジェは第2章「太陽、あるいは気楽な天気の味わい」で、1750年から1960年までのおよそ200年間で、太陽光に対する感性が文字通り180度転換したことを示していく。ヒポクラテスの体液説の根強い影響もあり、厳しい日差しは健康に悪影響であると長く考えられてきた。太陽への評価を転換させたのは、神が作った世界全体を照らす太陽の光を重視した同時期の自然神学だとグランジェは指摘する。さらにパストゥールらによる衛生学の進歩によって、19世紀末には太陽はあらゆる病に対する治療薬とみなされ、人々は恐る恐る日光浴を始めるようになる。そして第二次世界大戦後に大衆化するバカンスと日焼けの習慣こそが、現代フランスに見られるような太陽への崇拝を決定づけた。

 第3章「言葉を越え、風を越え」はマルティーヌ・タボー、コンスタンス・ブルトワール、ニコラ・シェーネンヴァルドによる共著である。本章はフランス各地の民話における擬人化された風や嵐の物語論的役割に焦点を当てている。風の役割は、主人公を助ける場合と、彼を罰する場合とに大きく二分される。前者の風は、幻想的な物語の幕を開け、主人公を冒険に誘い、彼の探究を手助けする。風車や航海の場合に顕著であるように、風は地方の生活に欠かせない。他方で、強すぎる風や嵐は懲罰となり、英雄に課される通過儀礼ともなる。

 アレクシ・メツジェールによる第4章は、味覚、視覚、触覚の三つの感覚から、雪に関する感性の歴史を整理する。山地から雪を運搬し飲み物を冷やすために用いる習慣がイタリア半島からパリに伝わりカフェ・プロコープでのシャーベットとなる物語や、風景画における雪の描写が南国ロンバルディアに始まりフランドルやオランダで開花する話も興味深い。しかしそれ以上に、不快であった雪との接触が、20世紀に入る頃には健康的な快楽へと転換していく様が、コルバンがつとに描き出してきた浜辺の誕生に呼応するものとして読者の関心を引くだろう。冷たい雪と赤く上気した頬の対比、高速で滑り降りるスキーヤーを守る雪のクッション。「衛生学と快楽主義が混じり合」(127)うことで冬季スポーツの流行が起こる。

 リオネット・アルノダン・シェガレーによる第5章「霧を追いかけて」では、もっぱら文学作品における霧の表象に関心が寄せられる。霧は航海士を惑わし、地面から立ち上る臭気が健康に害を与えると危険視されただけでなく、中に何が潜むのか分からないというその性質が人々の不安を掻き立ててきた。霧は推理小説では強姦、殺人と結びつき、モーパッサンの短編では死と埋葬を思わせる。スコットランドの城館やロンドンといった一部の例外を除くと、霧は特定の場所よりも、むしろ特定の時間と結びつくと指摘される。昼と夜、夏と冬の狭間、さらには生と死の間といった、二つの世界の通り道に霧は漂うのだ。しかし空想や幻想を生む詩的源泉ともなる霧は、都市化に伴い減少傾向にあるという。

 アヌーシュカ・ヴァザックによる第6章「雷雨の気配」は、「暴風雨 tempête」とは違い、予測困難で局地的で短時間の「雷雨 orage」に関わる複雑な感性史を描き出す。カオスを象徴し神の怒りを感じさせる雷雨は、啓蒙の世紀には科学的な理解を試みる対象となったものの、その後も雷雨のメタファーはより豊かになっていく。ロマン主義の時代には、雷雨は自然の脅威の中で崇高美を感じるための特権的な舞台装置となる。フランス革命期において雷雨は、王国を揺るがす民衆の怒りとも、革命に反対する神の怒りとも、立場に応じてさまざまに解される。さらに、科学的・実証主義的なテクストにおいてさえも、雷と電気はしばしば擬人化され、幻想的に描かれているという指摘も興味深い。

 マルタン・ド・ラ・スディエールとニコル・フルザによる第7章では、打って変わって天気予報が発達した現代社会における天候にたいする感性が扱われる。ラジオ、テレビ、インターネットで流される天気予報がますます正確で詳しくなった結果、逆説的に悪天候に遭遇してしまうことへの耐性が低くなっていると観察される。また冬季の日照不足による季節性うつ病に対抗するために、人工光を浴びたり、冬季のバカンスでも日光浴をする習慣が広まる様子が描かれる。最後に、我々はそのような天気予報の時代から、気候変動の恐怖に直面する時代へと移りつつあると指摘される。

 私たちは時に天候にたいする感性について安易な日仏比較を行いがちである。日本人は日焼けを避けるが、フランス人は太陽を愛する。日本人は小雨でも傘をさすが、フランス人は雨に濡れるのを厭わない。しかしそれらの「フランス的」感性は、必ずしも古来より続くフランス固有の伝統ではなく、18世紀の啓蒙主義、19世紀前半のロマン主義、そして19世紀後半の実証主義など、複合的な要因によって生じた価値観の転倒の結果であることが本書からわかるだろう。

 また文学研究者にとっても本書の価値は計り知れない。ともすれば私たちは文学作品に頻出する天候の描写を、雨であれば不幸の前触れのように、嵐であればロマン主義的高揚の前兆のように、単純な図式の中で理解してしまいがちである。しかし、本書が教えてくれるのは、そのような枠組みをはみ出す、多様性に富んだメタファーの数々である。本書を読んだ後に、自分がよく知っていると思い込んでいた文学作品を読み直してみると、そこに思いがけないほど多彩な悪天候への感性が描かれていることに気がつき、新たな読みの可能性が開かれることだろう。

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